「造花の蜜」を読んだとき、文体のちぐはぐさに躓き、読み切ってしまえばミステリーというよりは「怪人二十面相対明智小五郎」ばりのサスペンスものだったので、少々勝手が違うところが感じられた。〈怪しい、怪しい〉と思わせぶりな人物に仕立て上げておきながら、結局はたんなる傍らのエキストラに過ぎない存在だったりする。TVドラマ化すれば、さぞかし見る者を惹きつける扇情的な演出ができそうだが、ミステリー慣れした読者からするとやり過ぎじゃないかと思わずにはいられない。
本作も、WowWowでドラマ化されたのに合わせて書店で平積みされていたのに気づいて、読んでみようと思い立ったのだけれど、また「造花の蜜」の二の舞にならないかと躊躇していた。たまたま会社の同僚が連城ファンで、この本を持っていたので、借りて読むことにした。今回は猫がさらわれ、犬がいなくなり、山羊が不可解にも殺される。雪に閉じ込められた地方都市の警察署は、当初バカバカしくていいかげんな対応をしていたが、猫の“誘拐”で大騒ぎしたおばさんが、今度は隣家の幼女の誘拐を知らせる電話を掛けてきたところから、次第に大がかりな犯罪が顕在化してゆく。
不思議なことだが、今回は文章にひっかかりが一切なく、するすると話にのめり込むことができた。しかも「造花の蜜」のときに感じられた大仰なケレンが少なく、犯人も「大怪盗」のような荒唐無稽な存在ではなく、たんなるありふれた動機をもつ、生身の人間であった。そこらへんも本書に好感がもてるところだ。
ただし、ラストのどんでん返しにそなえてトリックを優先するあまりに、登場人物の造形が型にはまりすぎていると感じられるのが少々物足りない。また、「造花…」でも感じられたが、この作者は必ず現代社会への批評(批判)が作品に盛り込まれる。とくに動機の一端には、今の社会から疎外され、アウトサイダーとなった人々の悲哀といったものが描かれている。作者の根っこにそういう人々に対する共感があるせいか、アウトサイダーを生み出す社会に対する著者なりの信条めいたものが文章に見え隠れする。
ときとしてそういう作者個人の信条は、純粋なエンターテイメントを読んでいると思っている僕ら読者にとっては目障りなものだが、最初から「アウトサイダーへの共感」に焦点をおいた作品ならば、著者の手際に身をゆだねて、もっと読みひたれるような気がする。