2010年05月30日

ほぼ日手帳の秘密 2007−14万人が使って、14万人がつくる手帳。− ほぼ日刊イトイ新聞・編著(2009/12/13読了)

 大学時代は手帳を持ち歩いた。講義や研究室のゼミなどにスケジュール管理が必要だったし、なにより映画の計画を立てたり、見に行った映画のタイトルや映画館をカレンダーに書き込み、メモの頁に簡単な感想を書くことが必須だったからだ。見開きに一ヶ月分のカレンダーが見えて、大きめの僕の字がおさまるように広めのスペースが用意されている、縦長の「ぴあ手帳」を愛用していた。

 ところがある年、ぴあ手帳は肝心の見開きカレンダーを放棄して、1頁に1週間分のカレンダーが立て積みされたタイプに変わってしまった。僕はあわてて見開きタイプの手帳を求めて、年末年始に大きな文具店を探し歩くようになった。そうしてみると、オシャレな装丁でイラストが入った手帳がたくさん売られている事を知った。それ以降は、手帳選びが僕の年末の楽しみとなった。

 会社に入社すると新入社員全員に黒革の手帳が配られたが、もらっても使わなかった。職種柄、大学時代と同様にスケジュール管理される事は少なかったし、何と言ってもあの黒革の無粋さが僕は嫌いだった。あるとき、会社の後輩から何かの御礼に手帳をもらった事があるが、それが黒革の手帳だった。支給品よりもはるかに高額で立派な手帳だったが、無粋さは変わらない。仕方なくその年は会社用とプライベート用の2冊の手帳を持ち歩く事になった。

 1996年頃に僕は一冊の本と出会った。装丁家・栃折久美子さんが書いた「ワープロで私家版づくり」という本だ。忘れもしない今は無き、神保町の「書肆アクセス」の小さなショーケースの中で、その本はおあつらえ向きに僕を待ち受けていた。本で使われているワープロ専用機が僕の持っているのと同じメーカーだったこともありがたかった。ワープロは各メーカー独自の使い勝手があるので、本で紹介されている手法をそのまま別のメーカーのワープロでできるとは限らないからだ。

 その本との出会い以降、年末年始は、いや、休みが明けて1月半ばぐらいは、せっせとワープロで手帳の中味をレイアウトし、印刷し、折丁を作り、かがり、表紙をつけた。最初の年は素人にも簡単な丸背だったが、2年目からは角背に挑戦しては失敗した。毎年、前年の失敗を思い出しながらも、また同じ失敗をしでかすという悪戦苦闘の連続だったが、仕事以上にのめり込んで「苦闘」を楽しんだ。

 結婚してからは、そんな年末年始のぜいたくな過ごし方は許されなくなり、おのずと手帳作りは休止となった。また、映画館に通って映画を観る暇もなくなったので、映画ダイアリーを兼ねた手帳を持ち歩く意味もなくなってしまった。

 ブログを始めたのが6、7年前。映画の代わりとなる手頃な趣味として読書により一層いそしむようになり、本の書評めいたことをブログに掲載した。最初は、いきなりブログの「記事を書く」のフォーマットに書き込んでいた。書く分量が多いとどうしても一度では書き上がらず、書き足したり削ったり推敲を重ねる手間をかけることが多かったので、携帯を使って本文を作成するようになった。

 入力ツールとしてリュウドのRboardというケータイ専用キーボードが活躍していることは、以前にブログに書いた。いまだに便利で愛用しているが、頭の中に浮かんだ言葉をすべて吐き出すには携帯というデバイスはむいていない。何しろメール文作成機能を利用するので字数の上限は限られているし、本文が長くなるとスクロールが面倒なので推敲しにくい。ここ1、2年はメモ帳にいったん言葉を吐き出すだけ吐き出してしまってから、清書と推敲を兼ねてPCでブログのフォーマットに書くという手順が気に入っている。

 はき出すにも気持ちの良い書きごこちのボールペン(uni「PowerTANK0.7」が最高だ!)と、僕のへたくそで大きめな文字を受け止めてくれて思う存分書けるようなページ数多めのメモ帳が不可欠だ。これに最適なのが、1000年はもつという永久紙をつかったPersonalというブランドのメモ帳だということも、やはりブログで紹介した。

 そこへきて、ここ最近の手帳ブームだ。なにやら効率的な使い方のノウハウ本や、自分らしさを演出するマイ手帳の作り方の本など、いろんな関連本と手帳そのものが、大手書店の一隅を飾っている。そんななか、ひときわ目に付いたのが「ほぼ日手帳公式ガイドブック」という特定の手帳の解説本だった。

 本をめくると、「ほぼ日手帳」に〈秘密の花園〉めいた楽しくも遊び心をくすぐられるような謎がギュウギュウにつまっているように感じられた。でも肝心の手帳は書店に見あたらない。その後、気になって文具店の手帳売り場に立ち寄るようになったのだが、出くわさない。「ほぼ日手帳」がサイトの通販、あるいはロフトでしか売られていない事に気づくのは、さらにあとの事だ。

 結局、解説本は図書館にもなかったため、「ほぼ日手帳」のキーワードに引っかかった本書を川崎市の図書館から借りた。毎年、手帳のデザインや機能・レイアウトなどに改良が施されるらしいので、最新の「ほぼ日手帳」とは違うところもあるだろうが、この本には最初に企画された段階から2007年版に至るまでに、いかにスタッフでアイディアを出し合い、ユーザーたちの意見をとりいれては少しずつ改良していったかのプロセスが、たいへん魅力的に描かれている。

 最初にできあがった手帳は、購入者全員に配送した後に背表紙の強度が足りない事が判明し、新たに作り直した手帳を交換ではなく別に送る事に決めた。糸井重里代表の颯爽とした決断はとてつもなくかっこいい。と同時に、それを支えるスタッフがどんなにか汗をかいただろう事も容易に推しはかられて、興味深かった。

 わかったことは、ほぼ日手帳は斬新なアイディアに満ちていながらコンセプトはいたってシンプルだということだ。まずは「システム手帳のようには地図もスケールも、何もついてない」という事。文字通りシステムを押しつけるのがシステム手帳だとして、このほぼ日手帳では押しつけがましい事は可能な限りしない。自由気ままに使ってほしい。ただし「何でも自由で」と、まっさらなメモ帳を渡されたら手帳を買う意味がない。そこには最小限の定型が必要だ。

 それが「1日1ページ。365日分のページからなる余白」というフォーマットだ。そこには色々な仕掛けがあって、ToDoリスト(チェックボックス付き)があったり、図や表をフリーハンドで書きやすいように方形の目盛りがページ全体に印刷されていたりする。誰もが最初は余白が多すぎるのではないかと思うらしいのだが、糸井たちの考え方は逆だ。「余白がある」ことを許容するのが、まずこの手帳のコンセプト。全部埋めていく強迫観念から抜け出して、書いたことが逆に際だつようになることが狙いだ。

 さらには日付と連動した日記やメモや絵や写真のスクラップが、使い済みになった手帳をひとたび開けば、持ち主の頭の中をまるごと封じ込めたかのようなアルバムになってゆく。日記を書かずして日記以上のものができあがる。

 コンセプトも商品そのものもとっても魅力的だ。難があるとすると、ほぼ日サイトに申し込むと送られてくるまでに日数がかかることだ。ロフトの店頭でも買えるが、ほぼ日サイトで買うとちょっとしたノベルティが付くらしい。でもとりあえずはロフトでお試しに購入しようかとお小遣いと相談した。実は、ちょうど「大人の科学マガジン 二眼レフカメラ」の号と、どちらを買うか迷った挙げ句に最終的に「大人の科学」の方を選んでしまった。

 手帳ぐらい一年使うものだから買えばいいのにと思われるかもしれないが、買わなかった一番の理由は別のところにある。ブログに載せる書評をPersonalのメモ帳に書くのが習慣化すると、どんどんメモ帳の消費量が増えていき、とてもじゃないが一年で一冊では足らない事がわかった。たとえ「ほぼ日手帳」を買ったとしても、ブログの文章を従来通り別のメモ帳に書いていくのはもったいない。かといって、ほぼ日手帳の余白に書いていったら、おのずと書評の文章がこぢんまりとなり窮屈な思いをすることになるのは明らかだ。

 結果、買わない事が僕の今年の決断となった。だが、また年末に来年の〈ほぼ日手帳〉を買うか買わないか、悩む事になりそうだ。今から楽しみだ。
posted by アスラン at 04:24| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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