2010年05月18日

ベンスン殺人事件 ヴァン・ダイン(2010/3/25読了)

 前から気になっていて、いまさら聞けない。というか空気のように当たり前の事となってしまったので、今の今まで思い出せなかった事がある。いったい「地方検事」とはいかなる存在で、何の権限があって捜査しているのだろう。

 日本の警察などとは仕組みが異なるし、作品発表当時と今とでは、本国アメリカでさえも異なっているだろうが、本書ほど警察が活躍しないで「地方検事」がしゃしゃり出てくるミステリーもないのではないか。そしてヴァン・ダインの作風を踏襲したエラリー・クイーンの作品においても、例えば「ドルリー・レーンもの」などでは検事ブルーノと警部サムが二人三脚となって捜査にあたっていた。

 最近だとキムタクが主演した「ヒーロー」というドラマのおかげで、検事そのものにも捜査権が与えられている事が僕ら素人にもよくわかった。だから検事が独自捜査する事は理解できるが、警察を従えて捜査を主導するなどという事は日本ではありえない。これはアメリカにおいてもそうだったのではないだろうか。すると僕の疑問の答えとしては、ファイロ・ヴァンスという浮世離れした探偵を活かすために、あえて上流社会ともつきあいがある相応の名士を相棒にする事を作者が目論んだという事になるのだろう。それが証拠に作者のミステリーでは、必ずと言っていいほど各界の名士が事件関係者として集まるようにできている。そこにはスキャンダルと陰謀が満ちている。

 ヴァン・ダインがいまでは本国でも顧みられない作家と作品になってしまったのには、ひとえに〈上流社会〉という、スノッブたちに訴える力の源を社会自体が失ってしまったからにちがいない。そもそもが気どった蘊蓄を取りのけてしまえば、素人探偵ヴァンスはでたらめな推理を持ち込んであり得ない行動で捜査を攪乱する世間知らずとしか見えない。

 では、一方で我が日本では何故にヴァン・ダインの作品がうけてしまったのか。あるいは、いまだに読みつがれているのか。これは十分に検討されてしかるべきだろう。一つには、解説を書いているミステリー評論家・中島河太郎がヴァン・ダインの経歴を魅力的に紹介してしまったせいで、本格ミステリーをこよなく愛する愛好家たちを過剰に虜にしてしまったという事は言えるだろう。良質の探偵小説の条件をあげつらった「探偵小説の20則」のような言わばハッタリも、大学のミステリー研究会では何度となく会員たちに議論のネタを提供する一級文献となったにちがいない。だが、それも最近の「名探偵の世紀」のような本で作者のニセの経歴が暴露されて、いっきに虚飾がはがれた。今こそヴァン・ダインの作品の正統な評価が求められる。

 今回、過去のハッタリや虚飾に左右されずに改めて読み直してみると、「ヴァン・ダインの作品は蘊蓄が過ぎる」「不要な描写、特にペダンチックな記述が多い」というように、さも装飾や語り口に不備はあるものの、そういう夾雑物を取りのければミステリーとして今なお読みに値するかのように好意的に評価する声も少なくないのではないだろうか。しかし、実は糾弾されるべきは、ミステリーとしての構成の弱さだろう。

 そもそも「ベンスン…」では、最初から警察がまじめに捜査すればたちどころに解決する部類の謎しか存在しない。ヴァンスは「心理的推理」という独自の手法を唱えて、容疑者との聞き取りから真実かどうかを見極めた上で、人間関係や状況証拠から犯人像をプロファイリングし、現実の容疑者に当てはめていく。これらはのこらず、現代の警察が当たり前のようにやってきた事に過ぎない。何も素人探偵にまかせておくことなどない。

 その上、この点がヴァン・ダイン作品の一番の致命傷だと思うのだが、なんといっても本格ミステリーの最低条件であるフェアプレイが守られていない。例えば、ベンスン家を訪れた女性が「ブロンドではない」という事が、ヴァンスにとっては遺留品の口紅やバックの色・形から自明だとしても、肝心の言及が本人あるいは語り手からなされてない以上、読者が推理しようがない。ヴァンスと同じ物を見たはずの警察官たちに対してはいい気になって自慢の推理を開陳すればいいだろうが、読者に何のアドバンテージも与えないのは「アンフェア」だ。

 一つひとつをあげつらっていくと、いいところなど一つもないと言うことになってしまうが、おそらくは日本のミステリー作家に一番影響を与えた作家の一人と言っても言いすぎではない。それが、まさに「蘊蓄好きで、過剰な趣味に走る素人探偵」という設定にある。今や圧倒的な量の作品が毎日のように出版されるミステリーというジャンルで、「デタラメな性格と知的素養を身につけた、頭でっかちな探偵」が活躍する作品はいたるところでお目にかかる。素人探偵が生き残る道はここぞとばかりに、謎に対してさらに謎めいた言葉を弄して、我らが現代のファイロ・ヴァンスたちは、今日も僕ら読者を煙に巻くのだ。
posted by アスラン at 20:42| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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