2010年03月25日

素数に憑かれた人たち−リーマン予想への挑戦− ジョン・ダービーシャー(2010/3/7読了)

 サイモン・シン「フェルマーの最終定理」を読んだ頃から、あの作品くらい〈読ませてくれる〉サイエンス・ノンフィクションの本を探しては読む事が多くなった。正直言ってシンの著作ほど読みやすくて面白いノンフィクションはそうそうないのだが、それでもフーコーの振り子を取り上げたアミール・D・アクゼルの「フーコーの振り子 科学を勝利に導いた世紀の大実験」などは、なかなかよかった。少ないながらも読みごたえのあるサイエンス本はまだまだあるのだろう。


 ただ言っておかねばならないのは、僕ら素人にも分かりやすく解説してくれる本になるかならないかは、著者の粘り強い根気と文章力が要求される。たんにそのジャンルに詳しい専門家(科学者や数学者)というだけでは、往々にして「素人にわかりやすくを心がけた」という言葉は額面通りには受け止められない。専門家ならではの思いこみがあるからだ。

 一方で、専門家でない作家が手を出すと、わかりやすさを重視するあまり、科学や数学の本質的な部分よりも、それにまつわるエピソード(人間ドラマ)ばかりを追って、肝心の問題の面白さは描ききれずにお茶を濁すという事になりかねない。例えば、最近NHKスペシャルで「リーマン予想」と「ポアンカレ予想」とを取り上げたドキュメンタリーをたてつづけに2本見た。おそらくは別々の時期に同じスタッフによって製作されたのではないかと推測するが、驚くべき程に切り口が似ていた。

 どんなところがと言うと、冒頭でそれぞれの難問の難しさを紹介し、その一端をやさしく解説する。あとは、それらに取り憑かれた人々の挫折の歴史を概観し、いまなお難問に取り組んでいる最先端の人々にフォーカスを充てて、生々しい現実の人間ドラマとして描く。あとは「リーマン予想」がいまなお解けずに未来の数学者に残されている点と、「ポアンカレ予想」がペルリマンという異才かつ変人によって解けた点を分岐点として、エンディングの後味が違うものになってはいる。テレビで超難問にどれだけ迫れるかは難しいところではあるが、いずれにしても不満は残った。あとはちゃんとした本を読むことで不満を解消するしかない。

 本書は「リーマン予想」について、どちらかといえば人間ドラマは簡単に要点のみ紹介するにとどめ、問題の本質に「分かりやすく」を心がけながら、粘り強く迫っていく良心的なサイエンス本だ。まえがきで著者は、
 知的である、かつ好奇心もあるが数学者ではない読者を対象にしている。

と書いている。そして、当初は「微積分をいっさい使わずにリーマン予想を説明できないか」と、野心的な構想を描いていたようだ。さすがにそれは断念されたが、できあがった本はこれらの目標に沿って、十二分に僕ら「好奇心ある」読者を満足させる読み物になっている。

 何しろ本丸である「リーマン予想」にたどりつくまでに、僕ら素人が知っておくべきことが山ほどある。その部分を一歩ずつガイドして、僕らの手に必要なアイテムと必須レベルの能力を準備してくれる。いきなりボスキャラと相まみえるのは馬鹿げたことだと、RPGをやったことのある人間ならば、わかりきったことではないか。

 だから、この本を読む読者は、いわゆる数論の基礎、数の成り立ちなどを、最初からおさらいする機会が与えられる。これだけでもめっけものの数学ビギナー本だ。

 あとは後半の部分がもっと分かりやすければ◎だったのだが、後半は少し端折った印象がある。飛躍的に難しくなって頂上にたどり着くころには何が何だかわからなくなってきた。そこがちょっと残念だったが、構想や文章は評価する。とってもいい本だし、いい作家だ。シン同様、同じようなアプローチで、僕らを楽しませてくれる本を書いて欲しい。
posted by アスラン at 13:00| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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