2010年03月17日

ぼくのメジャースプーン  辻村深月(2009/12/24読了)

 いまのところ、僕が注目している作家の一人だ。「凍りのくじら」の書評でも書いたが、「名前探しの放課後」に付けられたPOPに惹きつけられ、その上下本の装丁から学園物のちょっと淋しげなテイストに魅せられた挙げ句に読もうと思い立った。でも、POPには「どうせなら本書を先に読め」と書いてもある。続き物なのだろうか。

 ならばと、本書から読むことにした。だから本書が、僕の初〈辻村深月体験〉だ。元々はノベルスが初出の作家なので、深月というペンネームであっても油断はできない。「北村薫」が当初覆面作家であったことを思えば、男性が書いている可能性は捨てきれない。メフィスト賞を受賞しているというのも、男かもしれないとの憶測を生む一因になった。

 読み出すと、予想に反して学園物と言うには小学生が主人公の物語である事に気づく。POPによるとエンディングで泣くような内容らしいのだが、どこをどう押せば小学生が主人公の物語で僕ら〈いい歳をした大人〉が泣く始末になるのだろうか。

 物語は、地方都市の小さな町で、なにごともないような日常の中から立ち上がる。その後の辻村作品のすべてがそうである事に気づかされるのだが、基本的に作者の書く小説の登場人物たちは、同じ時間・同じ空間を共有している。あるいは時が経過している事もあるが、町の風景はそれほどの変化がない。まるで時が止まってしまっているかのようだ。町の情緒も、その中で息詰まるような孤独感なども主人公たちに通底していると言っていい。だから性別や年齢に違いがあっても、どの作品の主人公たちもどこか似ている。

 難癖をつけるところから始めているようで恐縮だが、こういう設定しか書けない(あるいは書けなかった)のではないかと思われる。それがよく分かるのが、本書の主人公の少年を語り手にした文章を読んだ時だ。最初から違和感が感じられたのは、小学生にしては考えることも言うことも大人びているという点だ。

 もちろん「大人びている」限りは、子供じみてもいるわけだが、小学生にしては子供じみてはいない。高校生ぐらいであれば、考えそうであり言いそうである程度にませていると言えばいいか。つまり、小学生であることはストーリー上の必然であるが、精神年齢が高いのは作家の技量からくる必然と言えそうだ。

 ストーリー上の必然とは、もちろん、主人公の少年のおともだちである女の子が、大切に飼育していたウサギたちを何者かに殺されるという残虐な事件を中心にすえた事からきている。さらには、この事件がきっかけで少女が「声を失った上に精神を病む」事態に至る点に、結末で泣ける場面を用意するための「ストーリー上の必然」があったと考えられる。

 こういう分析的な言い方をすると、「あざとい演出」がそこにあるのではないかと、未読の人を勘違いさせてしまうかもしれないが、あざとさというものは辻村作品からは感じられない。ただ、作家の出自が「メフィスト賞作家」である以上、ホラーの要素が必ず作品を彩っているとは言える。辻村作品の主人公たちは何かしらの「痛み」を心に抱えているが、この痛みが誰にでもあるような共通の痛みという理解のさせ方では、もしかすると今の若い読者にはぴんとこないのかもしれない。作者の仕掛けは、この「痛み」を分かりやすい形で〈外部から来る悪意〉という形に変えて読者に提示した点にある。いわば、ファンタジーで「善と悪」が、まさに目の前で対決するように、何もない日常を平凡に退屈に生きるはずだった彼ら主人公の前に、明確な〈悪意〉が姿を見せる。それこそがウサギ小屋でおきた殺戮なのだ。

 その残酷なホラーシーンが〈行き〉だとして、〈帰り〉には再生の物語、あるいは復活の物語が始まる。そこに癒やしが感じられれば、読者は泣かされるだろう。泣かせる演出があることは悪い事ではない。多くの読者は泣かせてほしいと願っているからだ。でも僕は、本書ではあまり泣けなかった。

 実はもう一つ辻村作品には特徴がある。それは叙述トリックと言われるものだ。僕ら読者は最初から「Aである」と作者(あるいは語り手)に思いこまされるが、読み進めていくうちに「Aではない」と知らされる。そこには誤導(ミスディレクション)というミステリーでは確立しているテクニックが駆使される。ただし、本書も含めて一見するとミステリーっぽくない作品で、このトリックが使われると不意打ちを食らわされる。

 しかし地と図が反転するかのようなこの手法の威力はすさまじい。クライマックスに至って主人公たちのエモーションを高めるには非常に有効だし、僕ら読者のテンションも一気に高まる。この「どんでん返し」にひとたびはまると、僕らは怒濤のごとくエンディングの「泣き」に突入する事になるのだ。

 そうそう、言いおくのを忘れていたが、ノベルス版の表紙裏に著者の近影を見つけた。妙齢の女性である。念のため。
posted by アスラン at 13:10| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。