2010年02月10日

ハリー・ポッターと秘密の部屋 J.K.ローリング(2009/9/21読了,再々々読)

 読書の達人・松岡正剛さんの読書法では、「本は二度読め」と勧めているらしい。書店でちらっとみただけなので、その真意はよくわからない。だが、僕がこのシリーズで言えることは、あの狂乱のブームの中で「ハリー・ポッター」をただただ消費していくのはもったいないということだ。最終巻「死の秘宝」を読んでしまえば、あの懐かしい登場人物に再び会うことはできない。あの無責任なロックハート先生ですら、今は懐かしい。そうした多くの登場人物たちと、もう一度きちんとお別れせねばなるまい。

 こういったファンタジーにありがちな、見せかけの人生を生きた人物の真の姿や、あるいはおなじみの魔法使いの若かりし頃の姿に出会えば、そして何より最終巻で待ち受けている運命をひとたび知ってしまえば、もう一度最初にたちもどって、すべての人物たちの物語に付き従いたくなる。

 では、この二作目の良さとはなにか。一作目のおもちゃ箱のようなごちゃごちゃ感満載の楽しさと、シリーズ屈指の傑作である「アズカバンの囚人」との間にはさまれた本作は、全体の位置づけとしては「起承転結」の「承」にあたる。だいたいにおいて「承」は、「起」を承けて物語をつないでいく部分なので、驚きが少なく、展開も地味な事が多い。本書もそういう感じがする。

 しかし7巻を通してみたときに、本書の位置づけは決して無視できない。まずは、何よりドビーとの出会いがある。正直言って、この不気味でやかましくめめしくもある〈屋敷しもべ妖怪〉が、その後のハリーにとって、二人の親友以外で心の友とまで言える大きな存在になるなど、誰が予想しただろう。それはもしかしたら著者自身の思いでもあったかもしれない。

 完結して振り返ってみれば、何もかもが周到に準備されていたと思えるほど、前もって人物や出来事をストーリーに折り込んできた著者だが、ドビーの存在にハリー自身が心を奮わす場面を、この2巻の時点で著者が幻視していたとは信じがたい。

 徐々に悪の闇が忍び寄るシリーズの前途を思えば、本線のハリーと〈あの人〉との争いの決着は、スカッとした爽快さには欠ける。しかしそれを補って余りあるのが、ハリーの機転によってしもべ妖怪の身の上から解放されるドビーの喜ぶ姿だ。この本は、ドビーの物語を楽しむ本でもある。

 もう一つの出会いは、言わずとしれたとのヴォルデモート卿との結びつきだ。それも数十年の時をへだてたリドル少年との出会いが、ハリーのこれからを運命付ける。強大な悪の力を取り戻そうとする宿敵ヴォルデモート卿は、もちろんハリーの両親を殺したかたきであり、究極の悪そのものであり、ファンタジーの永遠なるテーマである〈善と悪〉の一方を体現した存在であることは間違いない。

 しかし、本シリーズでは、ハリーの中にひそむ〈リドル少年との互換可能性〉が、たえずハリーの未成熟な心をおびやかす。蛇と話ができる能力や、組み分け帽子が語ったスリザリンに相応しい資質、さらにはヴォルデモート卿と同じ材料から作られた兄弟のような杖のエピソードなど、もしかしたら自分こそが悪そのものになれる、いやなろうとしているのではないか、というハリーのとてつもない孤独は、まさに本作から始まるのだ。
posted by アスラン at 13:06| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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