そんな彼女が書いた自伝的エッセイが本書だ。新書という手軽さが受けてずいぶん売れたらしい。ただし、そのほとんどが女性なのだろう。僕のような興味本位の男性読者は少ないと思われる。彼女のグラビア写真が掲載されているわけでもないし。
読書好き、特に太宰治好きが高じて「人間失格」になぞらえてタイトルを決めた本意がどこにあるのかは、本書で繰り返し語られる。要するに、
・モデルを目指すには歳をとりすぎていた。など、とにかく関係者から「失格」の烙印を押されても致し方ないくらいに、プロの自覚がなかったことをさしている。
・当初はモデルとしては太りすぎていた。
・モデルのイロハも知らずに、業界に入ってしまった。
そこからいかにして今の立ち位置までたどりついたかを要約すれば、これはもう2つのことしかない。ひとつ目は
・ダメで元々。好きなことをやりたいという前向きさを失わないこと
これは資質が大きく物を言う戦略だと思う。資質がそうでないならば努力でカバーするしかない。彼女の場合、イヤミにならない程度に「努力した」事が本文で強調されている。もう一つは、
・運。めぐりあわせ
だ。これも重要だ。〈運も実力のうち〉とよく言われるが、だいたいがTVなどのメディアで生き残るスターは、人知らず消えていった、あるいは日の目をみない幾多の人々を押しのけて、水上に顔を出した氷山のようなものだ。「押しのける」という意図はもちろん本人になくとも、何故か正しい道を選び取って山の頂点に残ってしまったわけだ。
彼女の場合、CanCamの専属モデルの地位を手に入れなければ、一時のカリスマのような立場にのぼりつめることはなかっただろう。ただし、運そのものを呼び込んだのは、彼女のわかりやすい「前向きさ」であることは確かだ。内面はどうであるにせよ、TVや文章、グラビアなどから伝わるシンプルなポジティブさがどうしても備わっているところが、彼女の魅力なのだろうな。