2010年01月27日

「Xの悲劇」(創元推理文庫)ネタバレ解読

 (以下の文章では、エラリー・クイーン作「Xの悲劇」に関してネタバレを含む詳細な分析を行っていますので、未読の方は読まないようにお願いします。)

 「本作は初期クイーン流パズラーの集大成とも言うべき大傑作である」と、「エラリー・クイーン パーフェクトガイド」(以下、「ガイド」)は書いている。確かに処女長編「ローマ帽子の謎」以来、クイーンはあえて「公共の不特定多数が集まる閉鎖空間」を犯行現場に選び、「手がかりに基づく論理的推理で犯人を特定する」作品を提供しつづけてきた。その中でも本作では、閉鎖空間として市電・船・列車と次々に場所を変え、それぞれにおいて綿密で粘り強い演繹推理を展開していく。

 なんといっても3つの閉鎖空間で起きた3つの殺人のそれぞれで、探偵ドルリー・レーンはその論理的推理を惜しげもなく開陳し、その一つ一つが本格ミステリーの醍醐味を十分に与えてくれる。国名シリーズの最高峰「ギリシャ棺の謎」ほどには読者の頭を悩ませるアクロバティックな推理はないにしても、考え得る可能性をすべてあげつらっては一つ一つ消去して、次なる推理を展開して唯一の解に辿り着く。国名シリーズで培ってきた手法の〈集大成〉と言う主張はうなづける。

 では以下に細かく作者の手際を見ていこう。まずはP.375で犯人を前にして、ドルリー・レーンが正体を暴く最高のクライマックスシーンを示してから、「クイーンマジック」の仕込み(伏線)をたどっていく事にしよう。

「もっとも不幸な神の子
のひとり、マーチン・ストープス氏です。」
「別名、西岸線の車掌、エドワード・トムスン」
「別名、渡船に乗っていた知られざる紳士」
「別名、車掌、チャールズ・ウッド」


 しかも「ウッドは死んだはずだ」というブルーノの驚きの声に応えて「あなたにとっては死んでいたことでしょう。…しかし、わたしにとっては立派に生きていたのです」と、読者を身震いさせるような決めゼリフを吐いている。

 ではそんな事が果たして可能だったのか。一人の人間が幾人もの人間になりすます等と言うことが…。あらかじめ要約しておくと、マーチン・ストープスとは、今はニューヨークで株式仲買人となっているロングストリートとデヴィットともう一人に、かつてはめられて南米ウルグアイで見つけたマンガン鉱山を奪われ、妻殺しの汚名をきせられて囚われの身となった不幸な男のことだ。脱獄したストープスは5年前から着々と復讐の機会を狙っていた。

 5年越しの計画で、ストープスは複数の人間になりすます。この点が現実離れしているために、「仕事をもつ別人の人生を演じることは不可能だ」とか「変装がなぜ警察にばれないか」などと、お説ごもっともらしい批判は確かにあるだろう。しかし、思うにシェークスピア俳優にして聾唖の探偵が、お得意の変装を駆使して捜査するというケレンと呼応するように、この作品ではいわば〈役者どうし〉の知力合戦とでもいうべき趣向を楽しむミステリーだと割り切ってしまえばいいのだ。探偵エラリー・クイーンが活躍する〈国名シリーズ〉と一線を画するところがあるとすれば、どことなく浮世離れした演劇の虚構が作中に持ち込まれている点ではないだろうか。

[第1の殺人]
 ニューヨークの市電の中で、ロングストリート一行をのせた満員の車内で殺人は起きる。被害者はロングストリート。犯人は車掌のチャールズ・ウッドである。

 ロングストリートは上着の左ポケットから眼鏡ケースを取り出し、めがねをかけた後、ケースをポケットに戻す(P.33)

 車掌ウッドがロングストリートからお札を受け取る。(P.35)
 (この瞬間に凶器が左ポケットに入る)

 ロングストリートが殺害されて、車内に偶然いた警官がドアと窓をしめるように指示。車掌を外に出し、巡査に知らせるように言う。(P.39)
(凶器を安全に取り扱うための「手袋」が外にでる)

 凶器はコルク玉に50本もの針が刺さり、先端が1/4インチ突き出て針先に赤褐色の液体(のちにニコチン抽出液と判明)が塗られている。(P.44)

 車掌は5年前からの勤務で、背が高く頑丈。赤毛で50歳ぐらい。(P.58)

 車内のゴミを回収したが、手がかりなし(P.60)

 ハムレット荘にて凶器をいれたガラス瓶をうけとったレーンに「ふたはあけないほうがいい」とサム警部は忠告する。(P.93)
 (素手で扱えない凶器であることを読者にさりげなく提示している)

 レーンは「労働者はいなかったか」「天気や季節(夏)にそぐわないものはなかったか、たとえば、外とう、夜会服、手袋など」と警部に質問する。(P.93)
 (凶器を取り扱う手袋のたぐいが車内にない事の論理的矛盾を暗に指摘している。著者によるしたたかで大胆な伏線である。)

 「これからどうするかはっきりしていることはおわかりですね」(P.96)

 かなりいじわるな言葉だ。この時点でレーンは車掌の犯行(少なくとも共犯以上)であることを見抜いている。

[第2の殺人(デヴィットの逮捕)]
 殺人の舞台はウィホーケン渡船場に移る。警察に密告状が届き、ロングストリート殺害の犯人について教えるという。密告者は海に落とされて殺害される。被害者は服装や傷跡から車掌のチャールズ・ウッドと判明する。

 この第二の殺人部分は、
 ・デヴィットの逮捕
 ・真犯人の解明
の2つの部分に分けて詳細に分析しよう。

 サムとブルーノは、渡船場に居合わせたデヴィットを一連の殺人の犯人として逮捕する。しかし、その後の裁判でレーンが見事な推理でデヴィットの嫌疑を晴らす。この部分が小気味いいのは、「Yの悲劇」で「殺人犯と毒殺未遂犯とは別にいるのか単独犯か」をめぐって、サムたちの複数犯説を完膚無きまでに叩きのめす中盤の名場面同様に、レーンが見事に真価を見せつけて、侮っていた警部たちの鼻をあかしてくれるからだ。

 スポーツジムで負傷したデヴィットの人差し指は、第一関節から縦に薄いかさぶたで覆われている。(P.114)

 海から落ちたという声がした甲板に向かうために、ドアの取っ手をつかんだ瞬間、デヴィットの人差し指の傷口がひらき血が流れるのを、レーンとサム警部が目撃する。(P.115)

 裁判では、犯行時に右手を使えば傷口は破れたはずであり、一方で右手を使わねば、犯行(200ポンドの被害者の体を張り出しから落とす)は不可能であると立証される。(P.246)

[第2の殺人(真犯人の解明)]
 被害者は車掌ウッドであるというのは実はトリックで、ウッド自身が別に用意した人間を自分に見せかけて殺した。

密告者とおぼしき男が海に落とされて、引きあげられた。市電の制服を着た死体は、市電の運転手の検分によって車掌ウッドであると確認される。(P.136)
(ただし「ああ、あの頭は…」というように、顔で識別したのではなく外見や死体の左ふくらはぎにある古傷から判断されている。)

 検死報告書では、2年前に盲腸炎を手術した痕跡が残されている。(P.156)
(この「2年前」というのは重要な手がかりになるのだが、それにしてもどうして手術跡が正確に2年前と特定できるのか不思議だ。30年以上クイーンファンをやってきたが、今の今まで気づかなかった。)

 市電の本社でレーンが聞き込みしたところでは、ウッドは5年間ずっと皆勤を続けていた。(P.177)

これは盲腸炎の手術の事実と矛盾する。見つかった死体はウッドではない。つまり「ウッドは死んでいない」とレーンは推理する。


[第3の殺人(犯人は誰か)]

 さらに場所が移り、ウィーホーケン駅。訴追をまぬがれたデウィット一行は列車に乗り込む。殺人の被害者はデウィット。犯人は、またしても(列車の)車掌だ。(名前はエドワード・トムスン)。

 さて、第3の殺人も二つの重要な部分にわけて分析しよう。すなわち
 ・犯人は誰か
 ・クロスした指のメッセージ
だ。

 デヴィットは片道6枚の切符と50回綴りの回数券を購入し、チョッキの左上のポケットにいれ、上着のボタンをかける。(P.260〜261)

 突然姿をあらわしたコリンズと内密な話をするために、デヴィッドは6枚の切符を取り出して同行者に渡し、回数券はポケットに残したまま席を立つ。(P.270)

 デヴィットは、照明が落ちた最後部の客車で死体となって見つかる。検死報告では、弾丸が左胸のポケットの位置で貫き、心臓に入った。「上着、チョッキ、ワイシャツ、下着、心臓と、まっすぐに貫通している。」(P.280))

 デヴィットの上着の内ポケットに古い回数券と一緒に新しい回数券も入っている(P.284)

 以上の事から、撃たれた時に回数券はチョッキの左上ポケットにはなく(あれば弾痕が回数券に残る)、上着に内ポケットに移ったことが判明。しかも利き手でない左手には(後で述べるように)奇妙な指の形が残っているので、右手はふさがっていたと推定される。(この部分は、「ガイド」が指摘するダイイング・メッセージの〈ひねくれた使い方〉にあたる。詳しくは後述する。)

 回数券の移動と指のかたちが利き手になかったことから総合して、右手に回数券をもって使おうとしていたと推定できる。ということは車掌が検札しようと近づいたはず。つまり2人の車掌のうちの一人が犯人である。車掌トムソンは市電の車掌ウッドと同一人物であった。(P.401〜P406)

[第3の殺人(クロスした指のメッセージ)]
 エラリー・クイーンと言えば、「ダイイング・メッセージ」が代名詞となるくらいに、生涯を通じて様々な作品でダイイング・メッセージが多用された。その第一号が本作なのだそうだ。「パーフェクトガイド」の指摘では、
いかにもクイーンらしい、ひねくれた使い方をしている。レーンは、メッセージを解釈せずに、メッセージが残されていたというデータから犯人を特定するのだ。(ガイド)

と書かれている。

 これは言うまでもなくメッセージを伝える指の形が「利き手でない左手に残されている」という事実から演繹される推理のかなめとなる。だからダイイング・メッセージの使い方が「ひねくれている」というよりも、奇妙な指のかたちが「ロジックを構成するピース」と「犯人を直接しめすメッセージ」を示す二重の伏線になっていると解釈した方がいい。まったくもって無駄がないというか、欲張りというか、隙がないのだ。

 そして再読ポイントとして、レーンが次なる犠牲者となる可能性の高い人物(デヴィット)にダイイング・メッセージ談義をすることによって、
事件に介入し、事件を変えてしまうのである。(ガイド)

とも書かれている。その点を意識して見ていこう。

 ウィーホーケン駅で列車を待つ間に、弁護士ブルックスは、レーンのスピーチの言葉に触発されて、「息の根をとめられる直前の一瞬間に、頭の中には一生のできごとがひらめく」という小説を思い出す。(P.262)
(そのまえのレーンの思わせぶりな演説から場所を変えた余談まで、この後のダイイング・メッセージへの伏線とは思えないほど、著者は周到に準備を進めている。)

 「人間の頭というものは死の直前にはもっと驚くべきことさえなしとげるものだ」とレーンは語り、かつて殺人の被害者が砂糖を握りしめていたことから犯人は「コカイン常用者」だというメッセージであったというエピソードを披露する。(P266〜P.268)

 彼は死ぬ直前のほんのわずかな時間に、自分が残すことのできる唯一の手がかりを残したのです。このように−死の直前の比類ない神々しいような瞬間、人間の頭の飛躍には限界がなくなるのです。(P.268)


 この殺し文句によって、聞き手(デヴィットたち)に圧倒的な感銘を与えたと同時に、僕ら読者にもダイイング・メッセージという仮象を信じさせるにいたった。これはレーンの収穫というよりも、ミステリー作家エラリー・クイーンにとっての〈大収穫〉であった。

 死体で見つかったデヴィットの左手は、「中指が人差し指の上に重ねられて奇妙なかたちに堅くからみつき、親指と残りの2本の指は内側へ曲げたまま硬直していた。」(P.281)

 検察医シリングが「即死だ」と言うにいたって、レーンはデヴィットの指のかたちがダイイング・メッセージであると断言する。「苦しみから思わず指を絡めた」のではなく、銃で撃たれる前の一瞬に指を堅くクロスさせたと考えた方が妥当だからだ。(P.283)

 デヴィットの上着の内ポケットから見つかった回数券の古い綴りにはいたずら書きがあり、パンチをなぞったあとがある。(P.284)

 この内ポケットの状況設定もきわめて周到な伏線だ。と同時にミスディレクションに富んでいる。なぜなら「新しい回数券」の移動が犯人に繋がる手がかりとなっているだけでなく、「古い回数券」にダイイング・メッセージを解く鍵が隠されているからだ。デヴィットは犯人を識別するパンチの形に馴染みがあった事を示唆するのだ。このように複数の別個の手がかりを抱き合わせる事で、読者の注意が片方にしかいかない。ここでも著者の手際には無駄がない。

 車掌のひとりポムトリーは、古い回数券のパンチ跡を示して、丸印のパンチが自分のもので、「十字印のパンチ」が相棒のトムソンのものだと示す(P.286) 

 「指のかたちが残された」事実からすでに犯人(トムソン)が指摘されたので、ダイイング・メッセージ(犯人の指摘)は不要になってしまったかというと、そうではない。クイーンの、いやバーナビー・ロス名義の4部作では舞台の幕切れを意識して、最後の最後にあっと言わせる趣向をとっておく。そして、それこそがダイイング・メッセージの究極の使い方だと本作は教えてくれた。

 紙片(乗車券)の二個所―印刷文字のウィーホーケンの横と、それより下のウェスト・エングルウッドの横に―くっきりと鋭く打ち抜かれた車掌エドワード・トムスンの十字形のパンチの跡が残っていた―一つのX。
―幕―(P.422)
posted by アスラン at 12:55| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | エラリー・クイーン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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