2010年01月14日

「チャイナ橙の謎」(創元推理文庫)ネタバレ解読

(以下の文章では、エラリー・クイーン作「チャイナ橙の謎」に関してネタバレを含む詳細な分析を行っていますので、未読の方は読まないようにお願いします。)

 「ネタバレ解読」の趣旨を一言ことわっておくと、「エラリー・クイーンパーフェクトガイド」(飯城勇三著,ぶんか社文庫)の作品紹介が素晴らしいので、そこに書かれているポイントを確認しながら、十分に作品を味わい尽くすのを目的として行っている。この「パーフェクトガイド」の作品紹介ページは前半が初読者向けの案内で、後半が既読者向けの再読ポイントを挙げている。ここでは再読ポイントに乗っかって再読してみた感想を含めて、作品のあれやこれやを詳細に語っていく。

 「チャイナ橙の謎」の書評にも書いたが、この作品の謎解きは、煎じ詰めてしまえば以下の2つのポイントから構成されている。

(1)犯行現場のあらゆるものを「あべこべ」にした理由はなにか?
(2)被害者の背中に2本のヤリが通されていて、事務所側のドアをふさぐように死体が移動していたのはなぜか?

 (1)を解くためには、いくつかの手がかりに基づいた〈推理〉が必要となる。そして推理すると何がわかるかと言えば、「パーフェクトガイド」に書かれていたように「被害者は誰か?」がわかる。決して「犯人は誰か?」ではないという点に注意しよう。

 そして(2)については、重要なトリックが仕組まれている。一言で言えば「密室トリック」だ。もちろん「パーフェクトガイド」の指摘を待つまでもなく、犯行現場は密室にはなっていない。しかし、作者のトリック(作為)が見えてきて、言わば「半密室」である事に意識的になると何がわかるか。犯人がわかってしまうのだ。「犯人は誰か」がミステリーを読む読者の最大の関心事であるとするならば(というか、まさにそうなのだが)、(2)の謎さえ解ければ、ミステリーの読者の多くは(1)の謎解きに付き合うまでもない。「推理はトリックを乗り越えられない(パーフェクトガイド)」と書かれる所以である。

 では、まず被害者の謎解きについてみていこう。「被害者は誰か?」という問いは、本作品に限ってはあまり意味がない。ドナルド・カーク事務所を訪れてドナルドに用向きがある何者か、であるに過ぎない。ただし被害者は、きわめて珍品とされる高額の切手を手に入れて、買い取ってもらおうと事務所を訪れた。被害者が殺された理由は、その切手に犯人の目がくらんだことにある。実は犯人にあらかじめ殺意があったわけではなく、突発的な殺人だった。そして犯人は、被害者の身元から「高額切手を売りに来た」という事実が発覚する事を恐れて、被害者の身元を隠そうとしたところから「あべこべの犯罪」ができあがる。その過程を見ていこう。

 被害者は中国から来た伝道師(カソリックの聖職者)だった。被害者は、まずエレベーター前の受付係シェーン夫人に目撃される。
 なにしろ秋冷の候というので、ふとった首のまわりには、毛織の襟巻をまきつけていた。(P.11)

 首のまわりが見えないように作者が企んでいる。これは首のまわりに身元が一目で分かるような特徴があることを示す伏線である。

 死体となって見つかった被害者とその部屋の様子は、なにもかもがひっくりかえした「あべこべ」状態であった。被害者の服装は次のように描写される。
 死人の上着がうしろまえになっているばかりでなく、ズボンもさかさになって、これまたうしろでボタンがかけてあった。白のマドラス・シャツも、ちょっきも同じことだった。幅の狭い、固いカラーも同様に、逆にされて、襟巻のところで、ぴかぴか光る金のカラー・ボタンでとめてある。下着類もあきらかに同じように、人を食ったあべこべになっているらしかった。(P.58)

 赤字の部分が重要だ。カラーが逆向きになっているのを他の衣服の「あべこべ」が隠している。典型的な「葉は森の中に隠せ」タイプのトリックだ。そして、それを実現するためだけに「あべこべの森」は造られたのだ。

 さらには「被害者のネクタイがない」(P.74)ことが指摘される。恒例の「読者への挑戦」が挿入されるのが306頁目だから、3分の1の序盤で、ほぼ「あべこべの犯罪」を論理的に解く鍵は与えられていると言える。中盤にはほとんど手がかりらしい手がかりはない。ただし、そうは言っても可能性が多すぎて、探偵と同じような推理の経路をたどる読者がいるとは思えない。そして「読者への挑戦」の直前に最後のピースが手に入る。被害者が駅にあずけた手荷物だ。

 手荷物の中には何冊かの本が入っていて、そのうちの一冊は表紙がとれるほど古びている。
「聖書じゃないですね。ありふれた安ものの日課祈祷書だ」
「…どうやら、たいへん信心深い老紳士に見参したらしいですね」(P.296)

 ここでついにエラリーの頭脳のシナプスが発火する。ではエラリーの推理をたどっていこう。

 犯行現場のあべこべ性には、以下の2つの解決が考えられる。
(A)事件の関係者のだれかにあべこべ性があることを指示する
(B)事件の関係者のだれかにあべこべ性があることを隠す

 手がかりは「死体にも現場にもネクタイがない」という事実だ。ネクタイが欠けている理由は、被害者が「不断ネクタイをつけない人物だった」とエラリーは推論する。普通の背広を着ながらネクタイをつけないのは聖職者しか考えられない。聖職者であれば「カラーをうしろ向きに付ける」のは当たり前である。このあべこべを隠すために、犯人はすべてのものをあべこべにした(P.333)。

 この結論には驚くべき意外性と同時に、信じがたく納得しがたい一点が残る。つまりは「被害者のネクタイがない」ので、そこに注目がいかないようにするためだけに、犯人はあれほどの手間をかける必要が本当にあったのか?という、はなはだ実もフタもない指摘だ。これに対しては、国内に多数いるカソリックの神父ではなく、「中国から来た伝道師」という点に重きを置かねばならないのだろう。

 1934年のアメリカの時代背景を知るよしもないが、おそらくは国内の聖職者であれば身元を特定しにくいかもしれないが、「中国から来た伝道師」となると、すぐに身元は割れてアメリカに来た目的も明らかになってしまうと、エラリーあるいは作者は言いたかったにちがいない。中学生の頃に読んだときには、その点に意識的ではなかったので納得がいかなかったが、今読むとさもあらんと言う気がする。クイーンの推理に手抜かりはない。

 では、次に「半密室のトリック」をみていこう。被害者は事務所のひかえ室の中で、事務所側のドアの前に横たわっている。
角(つの)のような、妙な形をした鉄製のものが二本、首のうしろの個所に、上着の下から突き出ていた(P.49)

 さらに、テーブルの椅子のそばに血痕があることから、椅子のそばで殴り倒されて、わざわざドアの近くまで移動させられたことがわかる。エラリーは死体の異常な状況を(不謹慎にも)おもしろがって、
「すると、あの動かされた本棚のうしろの、事務所に通じるドアのそばで、その男は、いったいなにをしていたかということになる」
(P.75)

などと、クイーン警視を前に軽口を叩いている。

 ここに作者エラリー・クイーンの詐術的なミスディレクションがある。つまりは、探偵エラリー自らが犯行のあべこべ性を強調し、
「…この部屋にある家具や、動かせるものはすべて、あべこべにひっくりかえしてあるじゃないか」(P.64)

とまで言い切っているのだが、本当を言えば「あべこべ」という一点で調和が取れている犯行現場とは言えないのだ。
 死んだ男は戸口の両側をふさいでいる二つの本棚のほぼまん中に、ドアの敷居口と平行に横たわっていた。ドアに向かって立っているエラリーの左側の本棚は、壁にぴったりとついていた元の位置からひき出されて、その左側のはしが、ドアの蝶番に触れ、右側は部屋のなかにとび出しており、こうして動かされた本棚はドアに対して鋭角に形作っていた。死体は半ばそのうしろにかくれていた。右側の本棚は、ずっと右のほうに移動させてあった。(P.89)

 一体、何事が死体周辺に起きているのか、正確に把握できた読者が果たしてどれだけいるだろうか?少なくとも中学生当時の僕には、なんのことやら全然理解できなかった。しかし作者自身も、この部分はそっとしておいて欲しかったにちがいない。この死体の有様は「あべこべの犯罪」以上に尋常ではないのだが、全体として「平仄があってない」ナンセンスな状況に一括されてしまう。

 一度は詳細に描写し、その後なるべくは読者が忘れてほしいと作者が願う死体の状況とは、いかなるものだったか。
 明らかに、槍の足のうしろ側から、ズボンのなかをくぐらせて、それぞれの足に一本ずつ差し込まれたもので、腰のところで一応外に出てきて、それから、男の背中のあべこべに着た上着の下に押しこまれ、おしまいに、V字型になっている襟口から突き出ていた。槍の尻は死んだ男の靴のゴム底とすれすれになっていた。(P.60)

 最初に部屋や着衣が「あべこべ」だと言い、死体まわりの様子を指して「平仄があわない」と言い換える。しかし冷静にながめれば、もっとも異常なのは、何にもまして二本の槍にズボンも上着も刺し貫かれて棒状に横たわった死体の方ではないだろうか。

 決定的なのは、
「われわれが事務所の側からドアをあけようとすると、かんぬきがさしてありました。ごらんのとおり、この部屋の内側からかんぬきがかってあります。」(P.69)

と状況説明をするエラリーの一言だ。これによって、犯人は廊下側のドアから入り、被害者を殺害後、再び同じドアから出て行ったという認識がほぼ確定しまう。

 そして、作者があえて忘却のかなたに追いやった死体の槍の事を思い出させてくれるのは、事もあろうにクイーン警視の次なる一言だ。なんと、この間235頁も費やされている。
「それじゃ、あの死んだ男の背中から、アフリカ土人(まま)の槍が二本突き出ていたのは、いったい、どういう意味かね。」(P.304)

 この警視の問いかけに放心したエラリーは、
「しめた、それが解答だ。あの槍だ、ありがたい。」(P.304)

と叫ぶ。なんと本当に忘れていたらしい。作者の催眠術は、読者だけでなく作品のなかの探偵にまで効果があるようだ。

 この直後に「読者への挑戦」が置かれ、「あべこべの犯罪」の謎解きが始まるのは、先にみてきたとおりだ。その後に、ようやく「半密室のトリック」をあばく実験が行われるのだが、これは省略するとしよう。なぜなら、この方法で、うまく死体が移動して、うまくかんぬきがかかって、うまく死体とかんぬきを操作したひもが回収されるのか、何度読んでも理解できないからだ。

 ひもはかんぬきがかったあとにひっぱり続けると切れる程度の強度らしい。ならば何故、太った被害者の死体をドアの左側の本棚に沿って引っ張った際に切れなかったのだろう?

 とにもかくにも「二本の槍」と「紙のように薄いインディアン絨毯」と「細い、じょうぶそうなひも」を使うことによって、事務所側から控え室の内側のかんぬきをかけることにエラリーは見事に成功する(P.342〜347)。

 この成功で犯人であるオズボーンは自白する。ドナルド・カークの秘書であったオズボーンは犯行時に事務所にいた唯一の人物であり、機械的なトリックでかんぬきをかけられる唯一の人物だからだ。エラリーはつぎのように推理の過程を説明する。

 「…すると、疑問が起きてきた。なぜ犯人は、死体をドアのそばに移したのか、という。明らかに、犯人は、あの場所から死体をなにかに使ったのだ。」(P.348)

「その疑問に対して僕が与えた唯一の論理的解答は、一見不可能なようだけれど、死体を室内のほかの場所からドアのそばに移した犯人は、死体が倒れるときに、あのドアに対して、なにごとかをしてもらいたかったのだ、ということだった。…ドアに対して、なにか犯人にとって重要なことをするという場合、考えうる唯一のことは、ドアに錠をおろすことである。…いったい、なぜ、死人にかんぬきをかけさせる必要があるのか」(P.349)

「それに対する唯一可能な解答は、犯人は、廊下のドアを通って、この部屋から出ることができなかったか、あるいは出ることを欲しなかったか、どちらかだ。犯人は、事務室に通じるドアを通って、この部屋から出たかったのだ。」(P.350)

 しかし、エラリーが盛んに「唯一」という言葉を重ねて強調するほどには、この推理には説得力がない。「ドアに対して行うなにごとか」が「かんぬきをおろすこと」であるというのはエラリーの直観であって論理的解答ではない。さらに言えば、エラリーの直観を支えているのは「密室トリック」の存在である。

 あれだけ、ドアまわりや被害者の状況が異常であれば、なんらかのトリックが疑われるのは当然だ。しかし、そこからエラリーはどうやってあの複雑怪奇な「密室トリック」にたどり着いたのだろう。死体に残された二本の槍以外に、インディアン絨毯や長くてじょうぶなひもがあれば死体が動かせて、おまけにかんぬきがかけられることを、どうやって「推理」したのだろう。いや、エラリーは「密室トリック」をあばくために、なにひとつ推理していないのだ。

 すると、「パーフェクトガイド」が指摘する「本作を密室ミステリーとして読んだ読者にとって、”あべこべをめぐる推理”などはどうでもいいがゆえに、作品の評価が下がってしまう」ということの責任の一端は、やはり作者が負うべきものだと考えられないだろうか。何故なら「推理はトリックを乗り越えられない」ことを、まず何よりも先にエラリー自身が作中で実践していたのだから。
posted by アスラン at 04:16| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | エラリー・クイーン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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