本書では一変して、短編ではなく一つの妖怪の物語へとモチーフが絞り込まれる。その妖怪こそ塗仏だ。前作では、さしもの京極堂でも正体がつきとめられない怪奇な存在だったが、徐々にその輪郭が露わになってくる。しかも背後にはぞろぞろと、前作に登場した数々の名も知らぬ妖怪たちを引き連れてくる。そしてイモヅル式にすべての関連が歴史的な経緯とともに見えてくる。
しかも、それでもなお京極堂は動かない。いや、動けない。これまでの作品で彼が積極的に動かないことの理由は、すべてを見通した上で「事件にもならない下らぬ事だ」と事件から一歩ひいて見る余裕があったからだ。今回はその余裕がない。なぜならば、それこそが敵の狙いだからだ。
京極が追い込まれる。そんなシリーズ中最大の修羅場を作り出せるのは、京極堂さえも意のままに動かせる作者をおいて他にはいない。作者は、絶対にまどうことも迷う事もない究極のヒーローを作り出したにもかかわらず、それを追い込むことに腐心して用意周到に準備を重ねてきた。それこそが、シリーズ最長の小説「塗仏の宴」である。連作短編+一本の長編という複雑な物語構成を企み、「宗教が多すぎる」設定を採用し、訳の分からない妖怪たちのオンパレードという贅沢な趣向に読者を誘う。そういう作品なのだ。そして…。そして、ついに京極は動く。
追い込まれた京極堂を救う一言は、意外な人物に割り当てられている。P.783で僕ら読者は、ある常連の一言で京極同様、身を震わせる事になる。
中善寺の表情が変わった。…(中略)…血の気が引いて行くのが傍目にも判る。
ここだ!
この件(くだり)と出会いたくて、僕らは作者が綿々と語り継いできた1700頁もの文章をひたすら手めくりしてきたのだ。



