2006年02月04日

間違いの悲劇 エラリー・クイーン

 入手した翌日には読み終えてしまった。読み終えてそのあっけなさに茫然としながらも、エラリー・クイーン最後の事件と銘打ったシノプシス(梗概)を読みながら永遠に出会う事のない長編の姿を夢見る自分がいる。なんと濃密なひとときであったことか。その一夜の幸せをあらためて噛みしめている。

 昨年は作家エラリー・クイーンの生誕100年にあたり、様々な企画や出版物があり、長年クイーンを愛読してきた僕は久々に真正面からクイーン作品に向き合う幸せな時間をすごした。その締めくくりとなるのが、まさに本書「間違いの悲劇」なのだ。

 作家エラリー・クイーンは同い年の従兄弟マンフレッド・B・リーフレデリック・ダネイが共同執筆するために考えだしたペンネームだ。同い年だからこそ作家生誕100年を心置きなく祝えるのであって、これが藤子不二雄だったらやっかいな事になるのは予想しやすい。

 しかし共同執筆という独自のスタイルを貫いたクイーン作品は、それゆえにファンや批評家を悩ませ続けたやっかいな代物であったとも言える。

 まずはデビュー当時まったくの覆面作家であったため、二人であることはおろか著者の写真も公開されていなかった。そのためドルリー・レーンシリーズのためのペンネームであるもう一人の覆面作家バーナビー・ロスと人気を二分し、公開討論を二人で仕掛けたりした。

 さすがに戦前デビューし戦後まもなく日本に紹介されてじきにバーナビーの謎も明かされていたから、僕が読んだ「Xの悲劇」から始まるドルリー・レーン四部作は最初からクイーン名義で出版されていた。そうなると冒頭の著者クイーンによるバーナビー・ロスというペンネームを使用した経緯は、実感をともなわないため読んでもいまひとつぴんとこなかった。

 覆面作家ではなくなったが、二人がどのように分担してあの緻密なミステリーを作り出しているかは相変わらず謎だった。評論家中島河太郎の解説では、リー亡きあとダネイは新作を書かないから、トリックはリーが考え文章をダネイが担当しているのではないかと推測していた。

 この説が僕に説得力を持っていたのは、当時購読していたEQMMに連載されたダネイ単独作品「ゴールデン・サマー」(ダニエル・ネイサン名義)を読んでいたからだ。文才があるのに書かないのは書けない理由があるからだ。つまりトリックを創造する才能はないのだと当時は納得していた。

 だが、ことはそんなに単純ではなく、やがてフランシス・M.ネヴィンズJr.「エラリイ・クイーンの世界」を読むとクイーン作品には代作が多い事が判明する。エラリーが登場しないペーパーバックはほとんどが名義貸しの代作である事は知っていたが、まさかエラリーが活躍する「盤面の敵」や「ガラスの村」が代作だと巻末の著書リストにさりげなく書かれていた時は固まってしまった。

 クイーンを王と崇めるネヴィンズだから本文では一切代作事情に触れていないので、いっそう巻末の淡泊な記述はフラストレーションを引き起こした。とりわけ「盤面の敵」は後期のお気に入りだっただけに納得がいかなかった。シオドア・スタージョンって誰だよぉとSFに疎い僕は当時うなったものであった(「盤面の敵」は彼の代作である)。

 その後、長くクイーン作品からは遠ざかる日々を費やすうちに、僕の中では初期クイーン作品熱が沈静化して、どちらかというと後期クイーンの渋さや味わいが再評価できるようになってきた。すると「盤面の敵」は代作でもなんでもクイーンらしさが感じられるから、好きなのを引け目に感じる事ないと思い切れるようになった。

 そんなとき「クイーン談話室」が出版され、そこに僕には驚きの記述があった。実はトリックや謎を考え出すのはダネイの方で、リーが文章を書いていたという事実。そして彼らはデビュー作こそ頻繁に会って作品の検討を行っていたが、流行作家になってからは互いに直接会うことは少なく、電話や手紙で連絡を取り合っていた。そして創作の謎も今やだいたい分かっている。

 まずダネイが筋立てを考えシノプシスにまとめ、リーに郵送する。その後、電話などでリーとシノプシスの内容について徹底的に検討する。話がふくらんで曖昧なところが解消されたら、リーがシノプシスに沿って文章を起こす。人物造形などはリーに一任されていたらしい。できあがった原稿はダネイに送られ、さらに徹底的に細かいところを検討して内容に修正を加えていく。そうしてあの見事に緻密な本格ミステリーができあがっていった。

 僕にとってはコペルニクス的転回とも言える二人の分業だった。そしてさらに代作事情についても詳しい事が分かった。つまりは後期に入ってリーはスランプになって書けなくなってしまった。その時期にダネイの筋立てを元に代作者が書いた作品が、先の「盤面の敵」であり「ガラスの村」などである。その場合でもできあがった作品にはダネイが(そしてリーも)目を通しているため、クイーンらしさは極力損なわれていない。長い月日を経てようやくホッとさせる真実だった。

 さて1971年にリーが、1982年にダネイが亡くなり、僕らファンの関心は未刊行の作品特に長編が存在するか否かに集中した。アガサ・クリスティはもっとも筆が乗っていた1940年代にポアロの最後の事件「カーテン」ミス・マープル最後の事件「スリーピング・マーダー」を書き上げて、死後出版に備えて保管しておいた。思いの外長生きしたためだろうか生前に出版される事にはなったが、その事実は僕にクイーンにも同様の未刊行長編があるのではという期待をいだかせるきっかけとなった。

 少なくともダネイがストーリーを生み出していたのならば、リーの死後にも代作者を立てて作品を作り上げる事は可能だったはずだ。だが、ダネイはそうしなかった。できなかったのだろうか?それとも二人あってのエラリー・クイーンだとリーの死に殉じて、エラリー・クイーンを封印してしまったのだろうか。おそらくそうなのだろう。

 そしてもう残された長編などという夢物語を期待するのはとうにあきらめていた21世紀に、今は亡きクイーンが意図せず仕掛けた爆弾が炸裂する…。それが「間違いの悲劇」だった。

 本国で1999年に出版された「The Tragedy of Errors」には未刊行の短編にまじって、最後の長編「心地よく秘密めいた場所」の次回作にあたる長編のためにダネイが用意したシノプシスが含まれていた。それはリーの元にダネイの手紙とともに届けられた。あとはリーが文章を起こしてくれさえすれば、これが最後の長編になっていたはずだが、残念ながらリーの死とともにシノプシスは日の目を見ることはなくなってしまった。

 いまこうしてシノプシスの形で僕らファンの長年の夢が叶うのは、本当は著者の本意ではないかもしれない。著者にとってはクイーンの創作法は永遠の秘密にして置きたかった事だろうが、ファンというのは本当に欲深いものだ。クイーンの神髄に触れるためには、著者の思惑は別にしてもシノプシスからクイーン最大の謎が解き明かされる事を望んでしまう。そして少なくともこの作品からダネイの分担の一端が見えてくる。

 驚くべきはシノプシスと言っても日本語で80頁以上もあり、しかもほぼ完成形を意識して章立てができあがっている。シェークスピアの戯曲をモチーフにしているため章立ては、プロローグとエピローグを除くと五幕仕立てとなっている。そして細かい描写やセリフこそないが、人物のやりとりや事件の骨組みはすべて書き込まれていて、これだけ読んでも作品を読んでいるのと変わらないかのような醍醐味が味わえる。なにより謎解きを楽しむための必要条件(伏線)は80頁の中に書き込まれているのだ。

 ネタバレになるので詳しい事は書けないが、設定としては「ハートの4」のようなハリウッドものであって、人間関係がかなり複雑で派手派手しい。しかも裏表が多い人物たちが登場してケレン味に満ちている。さらに幕ごとに犯人とおぼしき人物が変わり、真実は二転三転する。その中にはクイーンらしいテーマがいくつも現れて、読んだ感じではこれまでのクイーン作品の集大成といった要素がちりばめられている。

 もちろんシノプシスであるからには緻密なロジックを期待するのは無理というものだが、もしリーがかつての筆力を取り戻せていたら、かなり面白い作品に仕上がっていただろうと思わせるに足るできばえだった。そう思うと、なぜ長編で読めないのか改めて悔しさが募る。欲張りな一ファンの望みは尽きることはないのである。

 ところで本書の訳者・飯城勇三(ゆうさん)さんが、エラリー・クイーン・ファン・クラブ(EQFC)の掲示板に本書発売の一週間前に「もうすぐでますよ」と告知していらっしゃった。その告知の最後に「この本が売れたら、『あの本』もでますよ」と書かれている。はて「あの本」とは?

 以前、「エラリー・クイーン・パーフェクト・ガイド」が出版された時にも同様に告知があり、同じ締めくくりの言葉を使っていた。あの時は「Tragedy of Errors」(当時の通称は「誤の悲劇」)の事だなと納得できた。では本書が出た後でさらに「あの本」とは何だろう?

 いまのクイーン事情に疎いので無知は承知の上で推測する。何故か今回の「間違いの悲劇」では、本国で出版された「Tragedy of Errors」の後半部分にあった有識者のエッセイなどがすべて割愛されている。事情は分からないが、エッセイ集として別に出版する予定になっているのかもしれない。それではこれが「あの本」か?

 ところが、僕が重宝しているサイト「風読人(ふーだにっと)」のクイーンの著作リストには、どうも本国で刊行を予定しているラジオドラマ台本集があるとの事だ。タイトルは「The Adventure of the Murdered Moths and …(仮題)」となるようだと書いてある。なにしろラジオ台本は350(!)もあるそうだから全部が出版される可能性があるとは思えないが、選りすぐりの短編集が出て、当時のラジオ台本の全体像の一端でも知ることができれば楽しい。

 そういう意味では、まだまだクイーンの爆弾はさらに今後も炸裂してくれそうだ
(2006年1月31日読了)


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posted by アスラン at 04:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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