2009年09月03日

盗賊会社 星新一(2009/6/5読了)

 これは確かに読んだことがあるぞ、中学生の頃に少々背伸びして。それまでは学校の図書室の蔵書か、書店の児童書しか持っていなかったのに、いきなり中学校の同級生たちにならって買い求めた。その頃の星新一といえば、真っ白なカバーに、あの和田誠の素朴で分かりやすく、しかし今にして思えば徹底的にモダンなイラストが表紙に入った講談社文庫が人気だった。この時に読んだ一冊に「盗賊会社」があったはずだ。

 社会風刺の効いた表題作などは、オチが面白いというよりは、ワンアイディアで思いつきの世界を形にする事の面白さがまさっている。こういう、オチが無くてもいいストーリーというのは、星のショートショートでは結構多いのだが、ストーリーで読むことしか知らない中学生当時の僕には、おそらくピンとこなかったに違いない。面白いには面白いが、「それでどうなるの?」という部分が物足りない、食い足りない。

 例えば、この短編集の中の習作「貨幣」などは、一つの札束を前にして大の大人が取り合いになっているのを、貨幣文化を持たない宇宙人が見て、札束をコピーして様子を観察する。それだけで人間の本質を小バカにした、星新一らしいクールなストーリーだ。この一編だけでも、著者の底意地の悪さに「なかなかやるね」と今の僕なら応じることができるだろうが、子供の頃の僕は「オチはどうなる?」と、ただ先を急いで読むだけではなかったか。

 そして、読者の期待にこたえたオチを著者は用意した。札束のコピーに狂喜する人間の様子を理解できなかった宇宙人は、それほどに喜ぶものであるならばと、大量に紙幣をコピーして上空からばらまき、二度と来ないであろう地球を後にする。中学生の僕は「すっげえ」とでも叫びながらゲラゲラ笑ったに違いない。でも右往左往する地球人たちの姿が描かれていないことに、物足りなさを感じたであろう。

 今の僕には、星新一の冷静すぎるほどのタッチの意味がよくわかる。紙幣が落ちてから地球がどうなったかを描くことはつまらない。どうなるかなんて、見ないでも分かるではないか。そんなつまらないものを描いてどうなる。人間の本質を、身をもって知り抜いた星新一だからこそ、あえて描かなかったのだ。

 勝手な想像だが、著者ならばこそ夏目漱石の名作「こころ」でさえも「なにを当たり前の事を書く」と一蹴していたかもしれない。
posted by アスラン at 13:01| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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