2009年07月03日

ガリレオの苦悩 東野圭吾(2009/5/16読了)

 シリーズ長編作「聖女の救済」に少し遅れて図書館で入手した。あの長編でもいつの間にか、テレビドラマで柴咲コウが演じた内海薫が定位置におさまっていた。いったいどの作品からテレビとのギャップを埋めるような手順を踏んだのだろうと気になった。「聖女の救済」では、以前にガリレオこと湯川学の研究室を薫が訪れた事があると、薫自身が独白しているので、きっときっかけとなる作品があるはずだ。

 それがこの短編集の中にあると目星をつけていたが、いざ読んでみると不思議なことに、やっぱりいつの間にか薫はほぼテレビと同じ立ち位置にいる。なるほど著者の東野圭吾はテレビの「内海薫」というキャラクターが気に入ったと見える。もしくは無視できないくらいの存在になってしまって何らかの対応に迫られたようだ。そこで彼がとった方法は「バックれる」ことだ。すなわち新人刑事としていつの間にか配属されて、いつの間にか草薙の代わりに湯川とのコンビを組むようになっているという重大な変更をすんなりと実現させてしまった。

 ただし、テレビと微妙に異なるのは薫の推理能力の高さだ。原作では草薙刑事を警視庁に転属させていないため(と言うか、最初から警視庁捜査一課に所属している)、もっぱら草薙をぼんくらに甘んじさせて薫が鋭い観察力を示すという分担ができあがり、捜査一課では解決できそうにない事件を薫が湯川に持ち込むという流れになった。そのせいだろうか、親しみやすい柴崎コウの顔を思い浮かべながら小説の薫の描写を読むと、少し切れ者すぎるなぁと感じる。

 しかし、女性ならではの視点で事件に新たな光をあてるというオーソドックスな構図をきちんと盛り込む事で、シリーズとしてのわかりやすさと面白さが一層期待できるようになった。その一つの結実が「聖女の救済」であったわけだ。

 ところで、本作の短編の最初の2つ「転落る」「操縦る」は、すでに読む前からストーリーになじみがあった。何故だろう。映画「容疑者Xの献身」公開直前にテレビで放映された「ガリレオΦ(エピソードゼロ)」で、この2編が使われていたからだった。「ガリレオの苦悩」という本のタイトルの由来は、この短編の「操縦る」で湯川の恩師が犯した犯罪を湯川自身が暴かねばならない事に、珍しく湯川が苦悩するからに他ならない。だが、テレビドラマ「ガリレオΦ」では湯川は苦悩しない。犯人から恩師という設定をはずしてしまったからだ。

 おそらくは「容疑者Xの献身」で古くからの友人の犯罪に悩まされるモチーフとダブってしまうと、テレビディレクターは判断したからだろう。逆に、草薙と湯川がコンビを組んで捜査する原点を描くという趣向を持ち込んで、テレビシリーズとはひと味違った面白さを提供して、映画と一線を画していた。ただし、薫の不在が物足りなく感じてしまうのは否めない。




posted by アスラン at 12:48| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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