2009年06月25日

秘密の花園 バーネット(2009/5/4読了)

 「秘密の花園」はかつて読んだことがあると思っていたが、どうやら勘違いだったようだ。最後まで読んでみて「こういう物語だったなぁ」というデジャブは訪れなかった。そのかわり「こういう物語なんだろうなぁ」という予想をまったく裏切らなかったとも言える。実はバーネットという作家は、あの「小公子」と「小公女」を書いた作家としても有名なのだと巻末の解説で初めて知った。この二冊は子供の頃にいずれも読んでいる(はずだ)。


 ストーリーもタイトルもよく知っているくせに作者に覚えがない。上記の2作品が同じ作者だということすら顧みたことがない。何故なら、こういった作品はすべて小学校の図書室で「図書」の時間に読んでいるからだ。いまも「図書」というカリキュラムはあるのか知らないが、僕が小学生のころには、45分まるまる図書室で本を読む授業があった。そこで出会った有象無象の物語たちには名前はあるが、子供にとって作者は重要ではない。今の子供たちならばアニメで摂取するであろう少年少女向けの世界の名作の数々を僕は小学校の図書で読んだ。「レ・ミゼラブル」という大層な小説ではなく「ああ!無情」という分かりやすい題名の物語を読んだのも、この「図書」の時間でだった。

 「小公子」「小公女」「ハイジ」「フランダースの犬」「母をたずねて三千里」「家なき子」くわえて、あのオランダの堤防の決壊を救った少年の話などなど、図書室には実にけなげな子供たちが主人公の物語であふれ、おそらく道徳教育の観点から大人が子供をしつけるには格好の教材であったこれらの本から、僕はかなりの影響を受けたと思う。強いて突っ込むところがあるとするならば、「けなげな子供」が多すぎるという点だろうか。

 過酷な運命に遭遇する読書体験で、感情移入の度合いが人並み以上に働いた当時の僕には、両親が死んで見知らぬ家にひきとられたらどうしようだの、母が遠くに行ってしまったら生きていけないだの、大道芸をしながら諸国を放浪するのはどんなに侘びしいだろう、などと様々に妄想が沸いて出たはずだ。眠れぬ夜の何分の一かは、そういう空想や妄想によるものだったかもしれない。

 その中でも「小公子」という物語には、過酷とはひと味違った雰囲気があった。父親を亡くした少年は確かにつらい運命に直面したが、立派な家屋敷をもつ祖父に引き取られる。ただし祖父の心が孤独に覆われていることが少年にとっての悲しみになる。と同時に最愛の母とも一緒に暮らせない事が少年の悲しみに追い打ちをかける。祖父の心を癒そうと、けなげな少年の思いやりが花開く。待ち受けている結末のカタルシスが子供ながらに予感された。幸せな結末は少年少女読者を裏切らない。当時の僕は結末で泣いただろうか?正直よくわからない。ただし眠れぬ夜の妄想が、眠れる夜を誘う空想へと転化していったことは確かだ。

 その読書体験から40年近くたって、同じようなストーリーの骨格を備えた「秘密の花園」という物語を読む巡り合わせとなった。今読んでも素直に楽しめる。この作品は、もちろん子供が読んでもいいが、原作の分量や文章の質の高さを考えると、大人向けの小説としての読みごたえがある。それは誰もが指摘するように、イギリスの荒野の中で奇跡のように育まれた〈花園〉に凝縮した自然が、見事に生き生きと描かれているからだ。と同時に、花園を中心にして交流する三人の子供たちの心の動きが非常にほほえましく、さすがは「小公子」の作者だと、その手際に拍手を送りたくなるからだ。

 何より読みやすい。バーネット女史の文章はするすると喉ごしのいいソバでも食べるかのように、すんなりと心の隅々に届いていく。読みやすいと同時に、登場人物の誰一人としてひねくれていないところが気持ちいい。悪人は一人としていないのだ。もちろんお屋敷の当主の息子は、甘やかされてわがまま勝手に育っている。ところが、メアリーという個性的な女の子が救いの手をさしのべるだけで、彼はすぐに本来持っていたまっすぐな心を取り戻す。これは、あたかも花園で枯れかけた草や花が、ほんのちょっと周囲の土を整えるだけで再生してゆく光景と変わらない。

 作者にしてみれば、近代人の自我が生んだヒューマニズムなんてこざかしいだけで、人間そのものは花や木や鳥や動物となんら変わらない「自然」の一部であるという信念があるからこそ、このような人物造形ができあがったのだろう。

 子供たちの生き生きとした感情描写に比べると、この作品に登場する大人たちに生彩がないのは何故だろう。これが「ハイジ」になると、ハイジに多大な影響を与えるアルムお爺やクララのお婆さん、それにフランクフルトのお医者さん(あるいはアニメに限って言えば家庭教師のロッテンマイヤー)のように、魅力的な大人がたくさん登場するが、この作品では大人は単なる背景にすぎない。

 そこが、ひらすら一直線に子供の物語だけを追い続けるシンプルな作品の楽しさに繋がっている事は確かだが、一方で葛藤や乗り越えといったエモーショナルな場面がまったくなくて物足りないとも感じる。特にお屋敷の主人と息子との和解が訪れるクライマックスは、もうちょっと盛り上げてもよかったのではないだろう。あまりに主人公の物わかりの良さが目立つ。あれほど妻の死に悲しみ、妻の死を呪うあまりに息子を疎んじ続けたと言うのに。

 しかし、いまさらケチをつけても詮ない話だ。これほどシンプルにして読ませる物語を、著者が健筆を奮った若い頃ではなく初老に近い年齢で書き上げた事に思いを馳せながら、こちらもじっくりと味わうという読み方がいいのかもしれない。
posted by アスラン at 19:21| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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