2009年06月11日

ポトスライムの舟 津村記久子(群像2008年11月号、2009/4/29読了)

 芥川賞受賞作。と文章を始めた時点で何も書くことがないと告白したも同然だ。受賞作だから読むという「にわか読書家」と何も変わるところがない。


 しかし、こうも言えるじゃないかな。新進気鋭の作家の短編をひとつ読んだだけで、「何がわかったか」などと偉そうに述べる必要もなければ、それが可能だと考えるべきでもない、と。

 直木賞が大衆小説の、いやエンターテイメントの頂点であるという評価がされるほどには、芥川賞が「文学」の頂点であるとは、今や誰も信じてはいないだろう。そうは言っても、そういう雰囲気と権威を漂わせているのがこの賞であり、またそうでなければ読んでみようと考えるミーハーな読者がいまなお大勢いる事の理由にならない。自分を棚に上げている訳ではないが、受賞作を読んだ事で一級の「文学」を味わったなどと、訳知り顔になりたくないだけだ。

 その点ではここ数年、芥川賞受賞作品をなんとか読んできたが、書評(感想)を書くまでにはいたっていない。どうしてもうまく感想を絞り出せないのだ。おそらく今の社会状況をうまくとりこんで、その中で生きる人間の内面を活写した作品が選ばれやすい。もしくは文体にとてつもなく個性がある作家が評価される。それだけは言ってもいいだろう。

 前回の「乳と卵」の川上未映子はおそらく後者の作家だろう。関西弁を駆使した激情的でリズミカルな文体は、僕自身はあまり乗れなかった。ただ、確かに個性的ではあった。今回の作者は文体に特徴があるわけではないが、30〜40代の独身女性が働く、展望のもてそうにない職場の単調な日々と、それを体現するかのように自閉症を抱えた主人公の目を通して、家族や友人たちの生き方を描いていく。

 これにうまく感情移入できないのは〈現代〉がどんな時代なのかを実感できていないからだと言われそうでイヤなのだが、この小説を読んで「だからどうした」と言ってみたい気もする。毎日消費した金額を丹念に計算することで、友人づきあいや親とのつきあいがそれに見合ったものだったかをヒロインはいちいち確認していく。その行為自体に、今を生きる〈生き方〉の脱出口を上手に見いだせない彼女の切実さが見てとれる。せっかくの「世界一周カヌーの旅」のための貯金が一向に貯まる気配がないのは、彼女の生き方が他人からはどんなに息苦しいものに見えたとしても、「カヌーの旅」よりも「かけがえのないもの」を彼女自身が無意識に選び取ってしまっているからだろう。

 しかも、そのことに彼女が実感できていないところが、彼女の心の中にある地獄なのかもしれない。安穏とした独白で進行するさりげない日常の中で彼女なりに何かが見えてくるラストシーンが、読む側にとって一つの救いになっている。

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posted by アスラン at 19:30| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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