2006年01月23日

木曜組曲 恩田陸

 まず例の映画が頭からはなれなかった。たぶん映画化されてから本書の存在を知ったからだろう。

 だから確か原田美枝子が出てて鈴木京香がでてたな、誰が誰だったのだろうなどと読みながら考えてしまう。きっと静子が原田だろうな、いや時子って線もあるな。すると鈴木京香が静子か、などとイメージを当てはめてみる。合いそうでもあり合わなそうでもある

 所詮は原作どおりのイメージというのは映画にとって決して誉め言葉とは限らない。無意味だと知りつつ、やはり一人ひとりがどの役者なのか繰り返し繰り返しイメージが後追いする

 それが何故なのか読み進めるとよくわかる。この作品はまさに映画なのだ。いや映画というより舞台かもしれない。戯曲だ。だから登場人物の造形は分かりやすく作られていて、最初の方で「うぐいす館」に毎年集まる4人の女性の性格はたったの一文で簡潔に描かれている。その後それぞれのキャラクターは、その一文の性格分析から大きく逸脱することなく役割を演じていく事になるから、どうしたってどの役者が誰を演じたかが気になるというわけだ。だから映画が原作どおりというより映画あるいは舞台を前提に作られた小説と見なした方が分かりやすい。似て当然なわけだ。ただし問題は似ているところにはない。似て非なるところだと言える。

 さらにいうとこの作品は例のフランス映画に似ている。フランソワ・オゾン監督「8人の女たち」だ。あれは山荘に集まった世代の異なる女性たちの誰が男を殺したかを描いていた。妻か娘か母親か愛人か、はたまた…。オゾンの映画は年端もいかない子供から老人まで、およそ女性という存在の怖さ醜さ美しさ強かさが年齢を超越したものである事を描いてみせてくれた。言わば殺された男は女の本質を描くダシなのだ。

 だが本書で描かれる女性はそういった本質論とは無縁の至極似たもの同士にしか見えない。世代の違いこそあれ理解不能とまでの確執はなく、血の繋がりも血液型が同じ程度の重要性しか感じられず、馴れ合いめいた彼女らの関係からは女性特有の生理的嫌悪や嫉妬も立ちのぼってこない。では彼らを似たもの同士とみせているものは一体なんなのか?

 それは彼女らが文章を生業とする作家であるという事だ。つまりこの「うぐいす館」という閉ざされた時空間に木曜日をまんなかにした3日間だけただよう濃密な雰囲気というのは、作家たちの自意識であり嫉妬であり連帯である。それが、木曜日の雰囲気が好きだった故人・時子を偲ぶ会に毎年毎年彼女らを集わせる唯一の理由に他ならない。

 彼女らを今なお支配しているのは、時子の作家としての大きさと各人が超えられない作家としての才能である。それが時に尊敬を生み、時に嫉妬を生み、そして憎しみを生む。そして超える事もさげすむ事もできないところに時子は行ってしまう。彼女の自殺は「うぐいす館」の時間だけをあの時のまま止めてしまったのだ。彼女たちがいくらどのような作品を書き、名をなし歳を重ねても「うぐいす館」に集うたびに、時があのときのままストップしている重苦しさに出会う。それは誰もが彼女の自殺を信じていないからだ。それが時子らしくないと分かっているからこそ、彼女たちは5年もたった今になって一人一人が真実を告白する事になる。

 暴き立てられるひとつひとつの事実は舞台劇としてはエレガントと言えなくもない。しかし著者・恩田陸が書きたかったのはエレガントなミステリーだったのか?ならば何故、女流作家たちがあつまるというシチュエーションを思いついたのだろう。これはいつものように読書好きである著者が本についての本、作家から見た作家というテーマを趣向として持ち込んだと考えるべきか。すると、これは本当に面白い趣向だったのか

 僕が納得しないのは、ミステリーとしての鮮やかさが足りないとか醍醐味がないというような事ではなくて、作家としての自意識や内面というものを文章巧者の著者が描き足りてないという事だ。時子が作家として尊敬も羨望も憎しみも集めるような人物だと言うならば、そう納得できるだけの証が描かれなければならないが、それは単に同義反復な言葉でしか表現されない。例えば「彼女の偉大さは、あのきらめくような文章の才能だ」というような。

 時子の偉大さを言いつのる5人(編集人であるえい子を含めて)がおよそプロらしく文章を語る事はなく、時に愚痴っぽく時に皮肉っぽく語られる互いの資質の批評や文章批評は、誰が読んでも素人の戯れ言程度にしか読めない。例えばつかさの新作が載った文芸誌を回覧して、文芸批評家たちの物を知らない言いぐさを揶揄する会話は、ひょっとしたら作家たち同業者の内輪話としては気の利いたつもりかもしれないが、読者の方からしてみればそれがかえって彼女たちの書く文章の底の浅さを言い当ててしまったようで逆効果としか思えない。

 いつも期待しながらコクのなさに裏切られる。そうであってもまだ期待してしまうのだ。どこまでいけば期待通りの恩田陸に僕は出会えるのだろう
(2006年1月21日読了)


カチンコ
 ちなみに映画「木曜組曲」のキャストを調べたところ以下の通りとわかった。映画では原作にない刑事役に竹中直人が割り振られている。
鈴木京香 スズキキョウカ(絵里子)
原田美枝子 ハラダミエコ(静子)
富田靖子 トミタヤスコ(尚美)
西田尚美 ニシダナオミ(つかさ)
加藤登紀子 カトウトキコ(えい子)
浅丘ルリ子 アサオカルリコ(重松時子)

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posted by アスラン at 13:28| Comment(0) | TrackBack(1) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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木曜組曲
Excerpt: 木曜組曲 ・読み : もくようくみきょく ・著者 : 恩田 陸 ・発行 : 徳間書店 ・発行日 : 1999/11 ・定価 : 1,680円 耽美派女流作家..
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