2009年04月30日

たのしいムーミン一家 トーベ・ヤンソン/著 山室静/訳(2009/3/12読了)

 MXテレビで「ムーミン」の再放送を日曜の夕餉どきにやっている(この4月から時間が変更になった)。僕が子供の頃に見た、岸田今日子がムーミンの声を担当していた方ではない。その後、たぶん平成に入って作られたアニメの方だ。70年代に最初に作られたシリーズは、日曜のしかも遅い時間に放映されていたように記憶している。

 日曜というと我が家ではお茶の間にあるテレビの番組争いは熾烈だった。当時の幼児たちを熱狂させた「ウルトラマン」でさえ、かなりごねてやっとのことで見せてもらっていた。おそらく「ムーミン」は、当時のチャンネル主導権を握っていた父の見るプロ野球中継とかぶっていたのではなかったか。そのせいか、ほんのときたましか見た記憶がない。それでも、様々なキャラクターの印象は強烈で、今でも個性的な声優陣の口調とともに懐かしく思い出される。

 特にムーミンの声は女優・岸田今日子の当たり役となり、ひと時代前の「ドラえもん=大山のぶ代」と同様に、声優とキャラクターのイメージが一体化していた。そして岸田が演じたボソボソと内気そうに話すムーミンを、かなり内向的な照れ屋だと当時の僕は感じていた。ストーリーそのものも痛快なものではなかったし、自我未発達な僕自身の心細さとあいまって、ややしずんだ調子に彩られた童話だと最近まで思っていた。

 しかし、日曜の夕食を子供と一緒に食べながら見る平成版「ムーミン」は、タイトルどおり〈たのしいムーミン一家〉そのものだった。いきなりムーミンは、スナフキンとなかよく山に登り、シルクハットを見つける。スナフキンは、ムーミンよりはるかに大人っぽい〈孤独な吟遊詩人〉だとばかり思っていたが、こんなにもフレンドリーないいやつだったのか。ちょっと皮肉やでものぐさなスニフ以上に、ムーミンはスナフキンと固い絆で結ばれている。

 シルクハットを持ち帰ってかくれんぼの隠れ場にしたムーミンは、魔力がある帽子だと知らずに恐ろしい姿に変えられてしまう。誰も本人とは気づかずに不気味なムーミンを蔑むが、ムーミンママだけが、のんびりとした調子で「そういえば、確かにムーミンだわ」と言い切る。この場面がなんとも温かくて、作品の根っこのところにある、人間を奥深く見透す著者の心持ちがかいま見られて、幸せな気分になれる。

 変わり者のヘムレンさんは集めていた切手のコレクションが完成してしまい心が沈んでいる。ムーミンはすぐに「コレクションする楽しみがなくて、ただのコレクターのなってしまって悲しいのですね」と気づく。ヘムレンさんがなにを生きがいにすればいいのか、一緒になって考えましょうとムーミンは言うが、疑い深いヘムレンさんは信用しない。でも「ママなら何かいいアイディアを思いついてくれます」と指摘すると、ヘムレンさんはしぶしぶ従って、ムーミンママから植物のコレクターへと変貌するヒントをもらって大喜びする。

 こんな何気ないエピソード一つに、作者の揺るぎない人間への洞察を感じる。この世界に対する作者の愛情と絶望とがすべてのキャラクターに反映しているところが、このファンタジーを何よりも魅力ある作品にしている。僕は改めてこの有名な作品をこれまで読んでこなかったことを恥じ、遅まきながらシリーズを通して読んでみようと決めた。

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posted by アスラン at 02:36| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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