2009年04月10日

造花の蜜 連城三紀彦(2009/2/26読了)

 「王様のブランチ」のブックレビューコーナーで、「どんでん返しに次ぐどんでん返しで最後まで飽きさせない」と絶賛されていた。司会者も「ジェフリー・ディーヴァーばりの展開の上に、日本を舞台にして人物描写も確かなので読みごたえがある」と持ち上げていた。連城と言えば、かつてミステリー好きの同僚に勧められたことがあったが、今にいたるまで読んでいない。いい機会なので読んでみることにした。


 いきなりつまづいた。文章がいただけない。一文の中で主語が移動するのだ。こういう書き方は良くないと、文筆業を志す者は最初に手直しされるところだろうが、ここまで見事に主語が入れ替わる文章に出会ったのは初めてだ。

 だから、最初の10ページぐらいは躓いてばかり。僕のように一定のスピードを保って読みとばす読み手にとっては、致命的な欠陥文と言っていい。一度はギブアップしようかとも思った。だが、人間とは本当に始末におえない制御系だ。しばらく読み進めて登場人物の配置や性格が頭に入ってくると、なんとか文章の悪さを乗り越えられるようになった。

 すると、次の問題が見えてくる。登場人物のそれぞれが舞台の俳優のように演技しているとしか思えない点が気になる。リアルな事件を描こうとするディーヴァーと徹底的に異なるのは、探偵役の警部にしてから、最初から様々な(しかも根拠のない)憶測を平気で口にすることだ。つまりは思わせぶりが過ぎるのだ。

 警部だけではない。事件関係者も同様だ。特に最初の誘拐事件で、子供を誘拐された母親の義姉にいたっては、名探偵であるかのようにたびたび口出しをして家族や警察を困惑させる。ひょっとして彼女は素人探偵の役割を振られているのか、あるいは犯人と何らかのつながりがある人物なのか、僕ら読者を思いっきり戸惑わせておきながら、結局はなんでもなかったりする。ただの姉にすぎない、で終わってしまう。

 これが著者の明確なねらいによるものならば納得もするが、どうやら〈明確な〉とは言えそうにない。ただ人物の設定を宙ぶらりんにしているだけのようだ。あるいはドラマの進行上、個性的な人物を配置しただけというのが当たっているかもしれない。

 「連城劇場」のお約束に慣れている読者やオーバーアクトの演劇が好きな人には十分楽しめる出来であることはまちがいない。ただしテレビで引き合いに出されたディーヴァーのテイストを期待するべきではない。中盤まで読み進めるとはっきりと分かるが、本書は乱歩の「怪人二十面相」シリーズと同様のケレン味に満ちている。

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posted by アスラン at 02:22| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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「造花の蜜」 連城三紀彦
Excerpt: {/book/}「造花の蜜」 連城三紀彦 書評に惹かれて初めて連城作品を手に取ってみました。 幼稚園から子供が連れ去られて・・・・という誘拐事件が起こりますが、これがとても奇妙な展開を見せるので..
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