2009年04月02日

深代惇郎エッセイ集 深代惇郎(2009/2/17読了)

 以前読んだ坪内祐三著「考える人」で、タイトル通り〈考える人〉として紹介された16人の中の一人が深代惇郎だった。朝日新聞の記者で、第一面のコラム「天声人語」を1973〜1975年に担当していた。「天声人語」と言えば、かつては大学受験の試験問題にも多く採用され、その文章も内容も論説文の手本とされた時期があった。それはひとえに深代惇郎の文章の魅力にあった、ようだ。ようだとしか言いようがないのは、すでに僕が受験した頃には「天声人語」が採用されることはなくなっていて、僕ら受験生や就職活動中の学生がありがたがっては読まなくなったからだ。それはおそらく深代惇郎が早世したことと無縁ではないだろう。


 彼は病気によって朝日新聞の一記者のまま若くして亡くなったがために、意外なほど痕跡を残さずに世間から消えてしまった。だから若い読者が深代の名前を知らないのは当然だとしても、今や絶版となってしまった著書を読む事もかなわないのは大変に嘆かわしい。そういう経緯で著者を採り上げたと、坪内は「考える人」で書いている。その一言に乗っかった僕は、街の古本屋の100円コーナーから本書を救いあげた。

 さてどんな読書体験が待っているかと思いきや、期待に反して案外退屈な文章だ。特に文章に惹きつけられる特徴はなく、個性的なカリスマが感じられるわけでもない。いや、新聞に載るエッセイなのだから個性的であってはならないのかもしれない。しかし同じ朝日新聞記者だった本多勝一の文章が、色のない中立的な文章からは大胆にも大きくはみ出していたのを思えば、取り立てて読みたくなる内容ではない。特に1970年代当時の時事ネタを題材にしたエッセイは風化してしまい、現代の目線から見ると古くさい。唯一、評価されるとすれば、記者としての、ジャーナリストとしての見識ではないだろうか。まだ右翼とか左翼という境界が明確だった時代に、中立であり続ける事を自らに問い続けた「見識の人」だったのではないか。

 本書には含まれていないが、少なくとも「天声人語」では死ぬまでそれを貫いたのかも知れない。しかし本書の「世界名作の旅」というルポルタージュでは、それまで隠してきた個性があからさまに顔を出す部分が感じられる。好きな文学作品の生誕地をたどる旅が、彼にジャーナリストとしての見識をつかの間忘れさせたのかもしれない。単に名作をたどるだけではなく、自分自身が惹かれる作品が何故どのようにして生み出されたかを探る、好奇心に満ちた著者の生き生きとした顔つきが文章に出ているように思える。「チボー家の人びと」を愛読していたという著者が選んだ「名作の旅」は以下の通りだ。

怒りのぶどう
風と共に去りぬ
最後の一葉
アメリカの悲劇
フランクリン自伝
バスカヴィル家の犬
海へ騎りゆく人々
チボー家の人びと
人形の家
チップス先生さようなら


 このルポを読んで、もう少し著者の文章につきあってみたいと思った。

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posted by アスラン at 03:30| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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