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    2009年03月03日

    「エジプト十字架の秘密」(ハヤカワ・ミステリ文庫)ネタバレ解読

    (以下の文章では、エラリー・クイーン作「エジプト十字架の秘密」に関してネタバレを含む詳細な分析を行っていますので、未読の方は読まないようにお願いします。)

     今回も「エラリー・クイーンパーフェクトガイド」(飯城勇三著,ぶんか社文庫)の作品紹介(P.40-42)に沿って解読していく(作品そのものについては書評を参照の事)。パーフェクトガイドでは、前半に未読者のための読書案内が、後半にはコアなファンのための再読ポイントが書かれている。以下では、再読ポイントを具体的に検証していく。

     作品紹介の前半では、「エジプト十字架の謎」が〈サービス精神が横溢している〉ことと〈分かりやすさを重視している〉ことが指摘されている。分かりやすさは、四つの殺人で伏線として織り込まれた謎をエンディングまで引きずることなく、その都度解き明かしてしまうストーリー構成から来ている。一転して作品紹介の後半では、〈読者サービスに見えたものが、実は、パズルの重要な要素であった〉として、以下の3点を挙げている。

     ・作者が四つも首なし死体を出した理由
     ・エラリーが登場した後も殺人を続けた理由
     ・第一の被害者に関するどんでん返しを早々と明かした理由

    これらは「次々と殺人が起きる」「通常は解決篇で語られる真相や推理を早々と明かす」ことで読者を退屈させないサービスだと、作品紹介の前半に書かれていた。

     検証に先だって、まず犯人と目的について明かしておく。今回の犯人は当初、第一の殺人の被害者だと思われた「アヨロ町の小学校校長アンドリュー・ヴァン」である。殺人の目的は、二人の兄弟トマス・ブラッドとスティーブン・メガラを殺すことにある。

    〈作者が四つも首なし死体を出した理由〉
     四つの殺人の目的は、以下の通りだ。

     第一の殺人-->アンドルー・ヴァンを殺しに来た復讐者クロサックを返り討ちにするため。
     第二の殺人-->トマス・ブラッドを殺すため(かつて一人の女性を争った)
     第三の殺人-->スティーブン・メガラを殺すため(親からの財産の分け前がなかった事からくる恨み)
     第四の殺人-->最後にクロサックに殺されたように見せかけるため。

     犯人が本当に殺したかった人物は第二、第三の殺人の被害者二人だけだ。第一、第四の殺人の被害者は、二段階に構成された〈加害者と被害者の入れ替えトリック〉を実現するためにのみ必要であり、犯人が自分の容疑をそらすためには四つの死体が不可欠だったわけだ。

    〈エラリーが登場した後も殺人を続けた理由〉
     第一の殺人で、作者は実のところ読者にほとんど手がかりを与えていない。だからエラリーはいつもの作品のようには推理する余地があまりないのだ。これは、第一の殺人がカモフラージュであるからで、第二・第三の殺人こそが犯人の真の目的なので、必然的に犯人は殺人を続ける事になる。

    〈第一の被害者に関するどんでん返しを早々と明かした理由〉
     ミステリー好きの読者ならば「首なし死体」が出現した時点で、「加害者と被害者の入れ替えトリック」ではないかと疑うのは当然だろう。本来ならば早々と名探偵がそれに気づかなくてはならないが、何故かエラリーは「首なし死体が形づくるT」に宗教的な意味を見いだすだけで、入れ替えトリックの可能性には言及しない。一見すると、エラリーに言わせない事で読者を誤った方向へ導こうとしているように見えるが、作者の狙いはそこにはないのだ。

     読者の推測(入れ替えについて手がかりはないので、読者は推測するしかない)に先回りして入れ替えトリックを種明かしすることで、「ヴァンが加害者」という推測を封じてしまうのが作者の真の狙いだった。この推測を封じてしまえば、第四の殺人でもう一度入れ替えトリックを行っても読者は容易に見破れない。

     では以上を踏まえた上で、上記以外の重要なパズルの要素を見ていこう。時間軸に並べると以下の4つになる。

     (1)エジプト十字架の推理
     (2)パイプの推理
     (3)チェッカーの推理
     (4)ヨードチンキの推理

    (1)エジプト十字架の推理
     第一の殺人の直後のエラリーは、思いつきから首なし死体の形作るTが「エジプト十字架」なのではないかと推測する。そこからTには宗教的な意味があるのではないかと推理する。しかし大学時代の恩師ヤードリイが「エジプト十字架」に関するエラリーの知識がまったくの誤りであることを指摘するに至って、「宗教に関連した仮説」のすべてを取り下げる。その上で、さらに推理を飛躍させる。

    「つまり、Tは最初からTを意味するだけのことで、ほかの何をさすのでもないのではありますまいか?TとはただのアルファベットのTである。」(P.188)


    これはTがヴァンたち3兄弟がツバルというTで始まる姓を持つという事実と照合されるが、ただしこの時点ではエラリーの推理は犯人の要件に何も付け加えはしない。ただし、これに続くエラリーのつぶやきの方が重要だ。

    「そういうことがありうるかしら?」「いや違う…あまりにも話がぴったりと合いすぎる。しかも確証はない。まえにも一度頭にうかんだことだが…」(P.189)


     これは入れ替えトリックに関する思いつきに触れていると言っていい。「確証がない」という理由だけで手の内を明かさないのはいつものとおりだが、そもそも「アルファベットのT」の推理についても確証があって言える事だとは思えない。この独白はエラリーの言い訳にすぎない。

     もう一言、この独白のずるさをあげつらっておこう。この独白は第二の殺人が起こる第二部の終わり近くに挿入される。ところがエンディングの謎解きでエラリーは、首なし死体には作意があるのではないかと最初の事件から疑っていたと言っている(P.420-422)。実際には第一部のエラリーにはそのようなひらめきは訪れていない。どうやら独白の「まえにも一度頭にうかんだ…」という件(くだり)だけで、最初から疑っていたと主張したいようなのだが、ちょっと虫が良すぎる気がする。

    (2)パイプの推理
     第二の殺人現場にはエラリーが頭脳を働かせるパズルに満ちている。パイプやチェッカーの手がかりがそうだ。

    〈パイプをめぐる二重底の推理は神業と言っていい〉
     変わった形のパイプが第二の殺人現場の死体(ブラッド)近くに落ちていた。やがて航海から戻ってきた共同経営者メガラの口から、パイプの持ち主がメガラだと分かる。ここからのエラリーの推理は〈緻密〉に展開していく。

    第一の推理:
     パイプを置いたのは犯人である。なぜならパイプがメガラのものだと知らない人物が、ブラッドが吸ったと思いこませようとしたから。そして、犯人はあずま屋が犯行現場であると警察に信じさせたかった(P.206)。ならば犯行現場は別にあるはずだ。

     しかし、パイプは名前入りのケースに入っていたので、メガラは「パイプの持ち主を知らなかった」という前提を誤りだとして退ける。そこですかさずエラリーは新たな推理を組み立て直す。

    第二の推理:
     ケースを持ち帰っている事から、犯人はメガラが航海から戻るまでは一時的に犯行現場をあずま屋に見せかけたかった。そしてメガラが戻ってきたら、真の犯行現場が別にあると警察に知らせたかった。結論として、真の犯行現場には犯人がメガラと警察に見て欲しいものが隠されている(P.208〜209)。探索の結果、書斎からブラッドのメモ書きが見つかる。

    (3)チェッカーの推理

     あずま屋から書斎へと犯行現場が移ったため、書斎のチェッカーの駒の配置が重要な手がかりとなる。第三部で第三の殺人の後にエラリーは犯人の要件を付け加える推理を展開する。

     執事の証言からチェッカーはブラッドが一人で練習していたものとされたが、エラリーは駒の位置(P.110)から対局者がいた事を推理する。実はこの推理はチェッカーのルールを知らないと分かりにくい。おそらく僕も初読時には中学生だったので、よく分からなかった。いや、実は今回再読してもよく分かっていない事に気づいた。推理を追う前に、以下の2つのルールを頭に入れておきたい。

     (A)キング(同じ色のコマを重ねたもの)は将棋の成金にあたる。「成る」ためには、相手陣地の端の列に到達しなければならない。また到達したら、必ずキングに「成ら」なければならない。成らないうちはゲームを先に進める事はできない。
     (B)相手から奪った駒は、将棋とは違って〈死に駒〉である。だからゲームには二度と使われない。

     駒の配置から分かった事は以下の通りである。

      ・事務机に近い側の指し手の持ち駒は黒
      ・黒が圧倒的に優勢(奪った赤い駒が9つ、取られた駒が3つ)
      ・赤にはキングになれる駒が相手陣地の端に一つあった

     勝負に圧倒的な優劣があることから、エラリーは「(ブラッドが)だれかほかの者を相手に勝負した」(P.360)と考える。放置された赤の駒から、まさにそのときにゲームが中止されたと推理する。ブラッドは相手から取った赤の駒を手にとってキングになれる駒に重ねようと手にとった。被害者の手に赤いシミが付いていたのはそういう理由からだ。そして血痕は、事務机と倒れた椅子の間にある。つまり、ブラッドは「対局した相手」に殺されたのだ。

     この推理からさらに、

     ・チェッカーの勝負をした相手はブラッドと顔見知り。
     ・犯人は別の人物になりすましている。
     ・ブラッドの身近に見あたらないので、犯人は〈びっこ(原文のまま)〉ではない。

    が、犯人の要件として明らかにされる。ただし、推理小説のお約束として犯人はブラッドの身近に必ずいるはずだから、当たり前の事しか分かっていないとも言える。つまり作者は犯人を特定できる決定的な手がかりを読者に与える事を周到に避けているのだ。これだけ緻密な推理をしていながら「復讐者は誰か?」という謎だけは最後の最後に取っておいてあるのだ。


    (4)ヨードチンキの推理

     〈最後の決め手となるヨードチンキの手がかり…がただ一人の人物だけに結びつくように巧みな状況設定をしている〉
     そして第四の殺人に至って、ようやく決定的な手がかりが見事な手際で作者から読者に提示されるのだ。第四の殺人の犯行現場(ヴァンの山小屋)には、犯人が傷ついた手首にヨードチンキを塗って繃帯を巻いた痕跡が残されている。作者は、洗面所の棚を警部たちが調べる際の描写に決定的な手がかりを滑りこませている。
    「…繃帯の落ちていたすぐそばに大きな半透明の瓶がころがっているのを指した。それは色の濃い青いガラスの瓶で、貼紙(レッテル)は貼ってなかった」(P.387)
     

    「その棚の上には二カ所あき間があるだけで、そのほかはぎっしりとつまっていた。棚の上には青い木綿の布で包んだ包み、歯ブラシ、絆創膏がひと巻きと、繃帯とガーゼがひと巻きずつ、ヨードチンキと貼紙に書いてある小さな瓶と、マーキュロ・クロームという貼紙を貼った大きさの瓶があり、…」(P.387)


     犯人はヴァンの薬を使った。しかしなぜわざわざ貼紙(レッテル)のない瓶のヨードチンキを使ったのか。すぐ見えるところに貼紙付きのヨードチンキの瓶があったにも関わらずだ。結論としては、犯人は山小屋の持ち主以外にいない。

     驚くべき結論ではあるが、真に驚くべきは第四の殺人現場を描写する同じページに、ミスディレクションと手がかりが近接して置かれている点だ(上記P.387の引用2つを参照のこと)。さらには後半の引用では、「貼紙付きのヨードチンキの瓶」(手がかり)が目立ち過ぎないように、他の貼紙付きの瓶(マーキュロなど)についての描写もさりげなく加えているという念の入れようだ。

    (参考)
    エジプト十字架の謎(新版) エラリー・クイーン(2009/2/3読了、再読)
    エラリー・クイーン Perfect Guide 飯城勇三・編
    エラリイ・クイーンパーフェクトガイド(文庫版) 飯城勇三・編著

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    posted by アスラン at 19:30| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(エラリー・クイーン) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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