2009年02月12日

エジプト十字架の謎(新版) エラリー・クイーン(2009/2/3読了、再読)

 中学の頃に初めて本書を読んだときには、評判ほど関心しなかった。それはクイーンの他の作品に比べて「意外な犯人ではない」と思ったからだ。あるいはいつになくスリリングなストーリー展開であるにもかかわらず、肝心の推理の醍醐味が感じられないと思ったからでもある。でもそれは今になって思い違いだった事に、今回の再読で気づいた。

 「エラリー・クイーン・パーフェクトガイド」で指摘されているように、本作の特徴の一つに「読者へのサービス」が挙げられる。いつものクイーンの長編だと、一人か二人程度の殺人が起こり、あとは延々と捜査が続く。ここで名探偵のすることと言ったら、はた目にはトンチンカンな質問をし、思わせぶりな言動をするくらいしかない。得てして〈退屈〉な事が多く、この序盤の退屈を乗り越えられるか否かが本格ミステリー好きになれるか否かの試金石になる。

 ところが本作に限って言えば、本格ミステリーにお決まりの退屈さが感じられない。ウェスト・バージニア州の田舎町で起きた第一の首なし殺人事件の衝撃をそのままに、いったんはニューヨークに引き上げたエラリーだったが、ロング・アイランドで第二の首なし殺人が発生するに至って、再び猟奇殺人事件の渦中へと飛び込んでいく。あたかも、横溝正史のミステリーを読んでいるかのような連続殺人事件の醍醐味が感じられると言ったら言い過ぎだろうか。

 いや、金田一耕助ならば、首なし死体が「大文字のT」に見立てられていることの意味を、なによりもねばり強く追い続けるだろう。翻ってエラリーが果たす事と言えば、大文字のTと「エジプト十字架」との繋がりを示唆するうんちくを披露するだけだ。しかも、多少なりともミステリー好きな読者なら思いつくであろう事に、エラリーを始めとして警察は目をつぶっている。これは、この作品の、というよりはこの時代のミステリーの欠点とも言える。探偵の天才を際だたせようとして、現実の警察よりも無能な存在に描いている。それだけならまだしも、今回ばかりは名探偵自身も明晰な頭脳が錆びついたかのように停滞してしまう。

 そのせいか、猟奇殺人事件の捜査にしてはどこか緊張感のなさが感じられる。例えば、第一の殺人と第二の殺人の現場近くに居合わせる裸体主義者たちの村落という設定にしても、宗教的な狂気を読者に想起させるよりは、何か牧歌的なイメージを喚起させる。そもそもが〈復讐者〉が教祖をそそのかして都合の良い居場所を見いだしたという意味しか、裸体主義者たちの存在意義はないと言っていい。

 警察の無能やエラリーの迷走はさておくとして、先ほどもちょっと触れたが、〈連続首なし殺人〉というシチュエーションから、読者の誰もが「ひょっとしてこれはトリックなのではないか」と思い着くはずだ。しかし著者の最も油の乗った時期に書かれた作品だけあって、そう一筋縄にはいかない。読者の思いつきをあっさりと裏切るかのように、第二の殺人の直後に、第一の殺人に潜む謎が早々と明かされてしまう。この驚くべき真相をもたらすのは、長い航海から戻ってきたメガラという新たな登場人物だ。

 初読時の記憶に立ち返って当時の僕が不満だったのは、殺されるべき人々が殺されるまではしくじり続ける金田一耕助と似て、第三の殺人が起きるまでエラリーがまったくのお手上げ状態だった点のようだ。もちろん、第二の殺人現場に残されたパイプから犯人の意図を明らかにするエラリーの推理は、まさに「緻密なパズル(パーフェクトガイド)」に他ならない。にも関わらず、エラリーたちの間近でメガラが殺されて、第三の殺人をやすやすと許してしまう。

 今になってわかるのだが、本作で著者が試みているのは、現代ミステリーの一ジャンルとなった〈サイコ〉あるいは〈シリアルキラー〉を題材にしたミステリーなのだ。サスペンスが重視されるこのテーマでは、探偵たちは無差別に見える連続殺人に対して終盤まで一見するとお手上げである事を余儀なくされる。しかし当時の僕には、その手のサスペンスを受容する準備がまだできていなかった。いつものクイーンのように、「退屈」に見えて本格ミステリーらしい思わせぶりな展開を期待していたのだろう。それゆえ本作の異例なストーリー展開にとまどったのだと思う。

 一方で、サスペンスに富んだシリアルキラーのテイストを採り入れた著者にしても、従来の本格ミステリーの看板まで降ろすつもりはなかった。クイーンのサービス精神は、本作でシリアルキラーのサスペンスと本格ミステリーとの融合を試みたのだが、成功したとは言いがたい。著者の努力が結実するには「九尾の猫」を待たねばならない。小森健太郎が「探偵小説の論理学」で指摘したように、不合理な殺人者(サイコ)を暴く第一の解決と、論理に乗っ取って合理的な殺人者を指し示す第二の(そして真の)解決という二段構えの構成を編み出す事で、後期のクイーンは「エジプト十字架…」で試みた問題を解決したのだ。

 さて、第三の殺人のあとに天啓を得たエラリーは、ようやくいつもの明晰さを取り戻す。ここからは残りページ数も少ないため、僕のようなクイーンファンはじれったくなる。特に〈顔なき復讐者〉を追って大陸を縦断する追跡劇はスリルを味わうどころではなかった。今読み返してみると、本作が書かれた1930年代には飛行機がまだ主力交通機関でなかったという時代背景が感じられて楽しめる。エラリーは愛車デューセンバーグをポンコツにしかねないほど酷使して、第四の殺人を犯した犯人をひたすら追いかける。このクライマックスがつまらない、もしくはページの無駄に思えたあの頃の中学生に、今の僕なら大馬鹿者と言ってやりたい気がする。

 追跡の末に犯人の正体が明かされたときに、僕は複雑な思いを抱いた。一言で言えば「意外と言えば意外だが、素直に考えると意外でもなんでもない」と。著者が構築した「精緻なパズル」を忠実になぞっていった本格マニアにとっては驚くべき結末だが、直感や印象を頼りにストーリーを追った読者は復讐者の正体を先読みしてしまうかもしれない。後者は往々にしてミステリー初心者に多い。

 僕には高校当時の苦い思い出がある。SF好きで筒井康隆とタモリにかぶれていた同級生の友人に、傑作ミステリーとして「Yの悲劇」を勧めたところ、新年の賀状に「僕のミステリー嫌いを改めさせるには至らなかった」と、その頃の僕にとってはかなり辛辣な感想が書かれていた。すなわち友人は途中で犯人が分かってしまったのだ。「あまりに犯人に言及しなさすぎる」というのが彼の直感だった。その時の彼に「犯人当てだけがミステリーの醍醐味ではない」と言えればよかったのだが、僕自身が「エジプト十字架…」で犯人を指摘するエラリーの推理の見事さに当時は気づけなかったくらいだから、「Yの悲劇」の犯人を当ててしまった友人にそれ以上何も言えなかった。

 そして極めつけは、「エジプト十字架…」を評価する読者が必ず言う第四の殺人(最後の殺人)での「ヨードチンキの推理」だ。パーフェクトガイドでも「絶賛の言葉しかでない手がかりと推理」だと手放しでほめたたえている。だが、当時の僕はまったく逆の印象を持った。第三の殺人まではお手上げだったのに、最後の殺人現場でようやく犯人を特定する決定的な証拠を見いだすエラリーを、あまりにもふがいなく感じていた。そもそも僕が愛するエラリー・クイーンという探偵は、すべての殺人から犯人となる要件を洗い出して、唯一の犯人を名指しするロジックの大伽藍を作り出す手際にこそ、魅力があったのではなかったか。第四の殺人現場で初めて犯人が分かる探偵は、いつものエラリー・クイーンではない。

 さらに言えば、「ヨードチンキ」なんてあまりにも何気ないし、これならば誰だって思いつける手がかりなのではないか。「緻密なパズル」というよりは、出来の良いマジックを見せつけられたようだ。けれどもタネを教えてもらえば、あまりにあっけなくて気づかなかったこちらが馬鹿みたいに思えてしまう。

 そこで、再びパーフェクトガイドの指摘に立ち戻ることになる。過剰なほどの「サービス精神」と「わかりやすい」というキーワードだ。つまり、本作はゴリゴリのクイーンファンのみを読み手に選んで書かれた作品ではないのだ。そういった趣向は前作「ギリシア棺の謎」でやりつくしている。今回は前作にあった批判に対するクイーンなりの回答でもある。つまり、およそミステリーに関心のある読者ならば誰でも、探偵とつかず離れずにストーリーを楽しめる作品なのだ。そういう意味では、名探偵は今回に限りロジックの大伽藍を作ることを自ら封じて、肉体を酷使する行動派の探偵に甘んじている。そして、誰しもをうならせるのが「わかりやすい」最後の推理なのだ。

 だとすれば、以前から不思議に思っていた「エジプト十字架」が国名シリーズの一位、二位を争う傑作と評価が高い理由も、遅ればせながら僕にも納得できたことになる。

 最後に今回の創元推理文庫の新版について一言触れておきたい。井上勇氏の翻訳に手が入っているのかは比較していないのでわからない。旧版との大きな違いはフォントが一回り大きくなって、今の読者にも読みやすくなった点だけのようだ。翻訳が変わってないのに活字が大きくなっただけとしても、なんとなく読みやすい。文体もそれほど古びていないようだ。

 大きく変わったのは解説だろう。ミステリー作家の山口雅也が書いている。本作で大活躍するデューセンバーグという車がどんな車で、どういう時代背景を象徴していたかを紐解いていて、非常に新鮮みがあって楽しい。続いて本作が書かれた1932年および前年がどんなにクイーンファンにとって実りの多い年だったかを語るが、ここら辺は長年のファンにはおなじみのくだりだ。新しい読者には次に読むべき作品の案内にもなるだろう。ただし本年が「ミステリー史の当たり年」であったというのに、クイーンの作品だけを列挙してすませているのはちょっと手前味噌すぎるのではないだろうか。

(参考)
「エジプト十字架の秘密」(ハヤカワ・ミステリ文庫)ネタバレ解読

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posted by アスラン at 12:48| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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