2008年12月01日

ニュートリノ天体物理学入門−知られざる宇宙の姿を透視する− 小柴昌俊(2008/11/22読了)

 今年のノーベル賞で日本人が受賞したのを記念した〈ミーハー読み〉が続いている。南部陽一郎さんの「クォーク(第二版)」、小林誠さんの「消えた反物質」を読み終わった。益川敏英さんは適当な入門書を執筆されていらっしゃらないので今後に期待するとして、化学賞の北川さん?(ごめんなさい、名前を記憶できないほど関心が薄い)の著作は今ひとつ食指が動かない。取りあえず立川の最寄りの図書館で自然科学の棚を眺めていたら、前回日本人受賞者の小柴さんの著作が目に入った。これまではそれほどノーベル賞に関心がなかったから、小柴さんの著作も読んでない。見かけたタイトルは素人にも分かりやすそうだし、なによりニュートリノの研究と、今回の受賞者たちのクォークに関する研究とは地続きなので、いま読むのはまさにグッドタイミングだ。

 小柴さんは確か受賞時にはすでに一線を退いたご隠居だったはずだ。テレビで見る限り、好好爺然としてはいたが、国際的なプロジェクトであるカミオカンデを最前線で指揮してきたリーダーとしての自負と同時に、それなりの人間くささも感じられた。外見や言動だけで判断して肝心の学問的価値をうんぬんしないのは僭越なことではあるが、受賞当時はどうしても親しんでみたいとは思えなかった。これはもちろん個人的な趣味の問題にすぎず、小柴さん本人にはなんの責任はない。

 今回本書を読んでみて、僕の思いこみがなんら根拠のないことだと思い知った。いや、正直、小柴さんの人となりが文章から立ち上ってきて、とっても楽しく読めたのだ。本書は受賞以前の著作をもっと一般の人にも読みやすく書こうと、全面的に書き改めた入門書になっている。しかも、物理とはなんの縁もない娘と孫娘に読んでもらって、わからないところを推敲するという労を踏んでいる。引退した学者の手慰みと言ったものではない。およそノーベル賞を取ったお偉い学者さんにはなかなかできないことだ。

 その甲斐あって、本書はとっても読みやすくて分かりやすい。へんな話だが、肝心の「ニュートリノ」とは何か、ニュートリノがどんな働きをして最先端の物理学理論ではどのような位置づけにあるかを深入りして考えるにはもちろん向いていない。しかし、そもそも南部さんの「クォーク」で本格的な理論の手ほどきを授けられて、もう何がなんだかわからなくなってしまうのが「素人」という存在だ。全部わからなくてもいい、全体像をつかんでもらえば十分と割り切ったのが小林さんの「消えた反物質」だった。

 そして本書での小柴さんのスタンスは、〈最先端物理のおもしろさを伝えること〉、ただそれだけだ。そのためには難しい理屈は後回し。おもしろさのエッセンスは理論的な結果にあるのではなく、発見に至るまでのプロセスにあることを描いてみせた。これはまさに、「フェルマーの最終定理」の著者サイモン・シンのスタンスと共通する。

 小柴さんがカミオカンデにたどり着くまでのプロセスは、世界中の物理学者が積み上げては崩し、アプローチを変えては積み上げ直す素粒子物理学の悪戦苦闘の物語だ。そこに、頭のデキと生活的な余裕のなさから理論物理学者をあきらめて、実験物理で何事かをなそうとする気概に満ちた一青年・小柴さんの人生がオーバーラップする。いわば物理学・天文学のミクロレベル・マクロレベルのドラマが、小柴青年の人間ドラマと交差するところが面白いのだ。

 カミオカンデは神岡鉱山の地下に半径19m、高さ30m程度の水槽を作り、その底面や周囲に巨大な光電倍増管を数万個取り付けて水を満たし、宇宙から飛来するニュートリノを検出する装置だ(ゴメンナサイ、数字は正確ではありません)。粒子と粒子を衝突させてクォークを生成・消滅させる巨大加速器と比べると、なんとなく見劣りがしないでもない。しかし、こんな巨大で費用もかかるものを実現した若き日の小柴さんの山師的な姿を想像すると思わず「ウフフ」と笑んでしまう。また、浜松ホトニクスという会社に特注して桁外れに大きい光電倍増管を作らせたりした時の実験物理学者の達成感が伝わってきる場面では、こちらも思わず一緒になって小躍りしたくなる。

 余談だが、大学時代に浜松ホトニクスは学科の見学旅行で訪れた。光電倍増管というのは光の基本単位である光子1個1個を検出できるセンサーだ。これを利用した商品にはナイトビジョンがある。少ない光量でも正確に対象となる物体の輪郭・質感を捉えて映像化できるため、軍隊の夜間戦闘に利用されている。僕ら学生がそのとき考えていたのは、これをカップルが集まる夜間の公園で使ったらどうかという非常に非アカデミックで不謹慎なことだったのは、余談の余談だ。

 この本を読むと小柴さんのたどってきた科学者人生が見えてくるわけだが、面白いのはいろいろご苦労があったはずなのになんとなく幸運に恵まれていたと思わせるような文章に満ちているところだ。もちろん謙遜もあるのだろうが、これからの自分の将来のすがたが見えてない若い人にとっても敷居が低い親しみが文章から感じられる。幸運の第一は、なんといっても超新星の大爆発を、稼働してまもなくのカミオカンデが捉えたことだ。表紙を開くと扉に超新星の大爆発の天体写真がカラーで掲載されているのだが、実はこれがどんな意味を持つのかまったく理解していなかった。遠く何万光年・何百光年離れた星の様子は遙か過去の出来事にすぎない。だが、爆発によって伝播する素粒子たちも、光と同じ速度で伝播する。つまり見えている光景は遙か過去の出来事であっても、地球上につぎつぎと報告される情報はすべて今まさにリアルタイムで起こっていることと変わりないのだ。そこで映像として捉えられる爆発の数秒前にカミオカンデはニュートリノの飛跡をキャッチする事になる。これが、カミオカンデが稼働してからわずか一年後のことだ。僥倖と言っていいだろう。

 扉には幸運と自負の象徴となるカラー写真を載せておきながら、自らの肖像は一枚のスナップ写真で控えめに紹介している。学生時代に参加した南部さん(今年のノーベル賞受賞者)のゼミでの写真がそれだ。真ん中にいる野心にあふれた顔つきの学生が小柴さんかと思いきや、左端に顔が半分切れた学生が当人だと本文に書かれていた。顔が切れたスナップを掲載するユーモアには驚かされたが、半分しか見えない表情にも、今の小柴さんとさして変わらぬ親しみやすい印象がうかがえて、文章同様に心がなごんだ。

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posted by アスラン at 12:38| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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