またまた性懲りもなく折原作品を読んでしまった。ケレン味たっぷりの文章でひっぱった挙げ句に肩すかしをくらわされる事が多いので、読後にもうこれっきりにしようと思ったはずなのに、またしばらく経つと読んでみたくなる。まったく困った代物だ。
昔、まだ東京駅の駅弁がまずかった頃、その原因は「日本食堂」が一手販売していて切磋琢磨する必要がなかったからだった。僕は2年に一度ぐらい思い出したようにチキンライス弁当を買っては、食べてみて「ああ、そうだ。前回食べて二度と食べないと誓ったんだっけ」と手遅れの感想を漏らしたものだ。あれとまったく同じだ。
でも本当のところは、ヤッパリ自分がマズいと思った感想が本当だったか確かめたかったのだと思う。折原作品も毎回軽く裏切られながらも、もう一回もう一回と読みたくなる。その最たる理由は、書店で思わず手にとってしまいたくなるような扇情的な趣向にある。今回は特に表から順に読む「生存者」と、裏から逆に読む「殺人者」、それにちょうど真ん中に袋とじになっている「206号室」の3つのパートからなっているところが、なんとも見過ごせない。
この趣向は折原作品では初めてではない。「首吊り島」というのがそれで、前々から図書館の書棚に見かけるたびに手を出そうかやめようか迷っていた。そうこうするうちに本書が同じ趣向を再び用いているのを知って、ぜひとも読もうと思った。
内容はこうだ。かつては駆け落ちまでしたが互いの家の事情で引き裂かれた男女が、ある旅行会社が企画したミステリーツアーの目的地で落ち合おうというメールに誘われて、ツアーに参加する。当然ながらメールが本当に相手からのものなのか非常に疑わしい。これは表からと裏からの2つのパートを読み合わせればすぐにわかることだが、どちらも相手からの「目的地で待つ」というメールで呼び出されている。つまり、これは計画的な悪意が潜んでいる。もっとも、折原作品にはたいてい「計画的な悪意」が存在するのだから、別に驚くに当たらない。問題はどんな悪意か、どんな計画かということだ。
ツアーバスの目的地は富士山の麓にある樹海だ。無謀にもツアー一行は樹海に足を踏み入れる。そこにはかつてスランプに陥った画家が作品に打ち込むために家族と住み着いた別荘の廃墟がある。画家一家はそこで惨殺されたというのが噂だ。いくつかの謎がある。なぜ行きはあって帰りがないかもしれない樹海にツアー参加者はやすやすと入ることを同意してしまうのか。なぜ男女はツアーで相手を見つけられないのか。果たして別荘では何が待ち受けているのか。
重苦しい雰囲気のツアーは別荘で起こる惨劇でクライマックスを迎え、それぞれのパートで男と女は201号室のドアをはさんで相対する。前もって決めておいた合い言葉「心中おだやかではない」という合い言葉を口にして…。さて今回はどんな結末が用意されているのだろうか。
この時点でじらしにじらされた僕ら読者の期待は最高潮に達している。決してコクのある内容ではないが、袋とじに隠された謎解きを楽しみに、とにかくも読んできたのだ。問題はここに至るまでの満足度が決して高くないことだろう。結末で驚かしてくれなければ「金返せ」とふっかけるところだ。ただし金は払わずに図書館で借りて読んでる身としては文句の言いようがない。
唖然。確かに驚かされた。犯人が誰か?にではない。何故こんなツアーが企まれたか?にでもない。驚愕の結末はそんなところにはないのだ。まったく意表をついてくれたもんだ。ただし、奇妙な事に〈笑える〉。ホラームービー並みに惨劇があり、ミステリー並みに謎解きがあるにもかかわらず、最後の最後に〈オチ〉を用意していたとは、さすが折原一。
いや、誉めてはいけない。やっぱり今回もだまされたなぁ。間違いなくチキンライス弁当だったよ〜。
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2008年11月20日
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