2005年12月19日

「L.A.コンフィデンシャル」「悪魔を憐れむ歌」(1998年7月27日(月))

 みゆき座で「L.A.コンフィデンシャル」(no.106)を観る。

 これは前評判どおり文句なしの出来。

 がむしゃらで友情に熱く信念をもった刑事ホワイト(ラッセル・クロウ)とエリートで野心家のエド(ガイ・ピアース)。およそ相容れることがない二人が、真実を求め巨悪を暴くために一緒に犯人を追い袖める。そこに悪徳刑事とも言える無頼漢ヴィンセンズ(ケビン・スペイシー)が絡んでくる。
 ギャングとハリウッドという影と光を合わせ持つ60年代のL.A.を見事に描き切り、その中で様々な思惑を抱えた人々が描かれ、サスペンスに複雑な陰影を与えている

 重い題材ながらラストは壮快で、心憎い演出がされている。

カチンコ
 原作はジェイムズ・エルロイの同名の小説。L.A.闇の三部作とも言われ現実の50年代ロサンゼルスをより闇の部分を拡大して再構成した作品らしい。どうも原作の方が濃い内容のようだが、本作も十分濃い映画だった。今から考えるとラッセル・クロウとケビン・スペイシーという二人だけでも配役の濃さは感じられるだろう。

 東劇で「悪魔を憐れむ歌」(no.105)を観る。

 デンゼル・ワシントンが知的で冷静な敏腕刑事に扮している。彼が、死刑に追いやった凶悪犯から抜け出て人から人へと移動していく悪魔(堕天使)に付け狙われる。

 なんというかアイディアだけで終わってしまった映画。人に触れるだけで悪魔が移動するという思い付きはよかったが、次々とリレーのように前の人の背中にタッチしながら女性を追うシーンは何が怖いのか少しも分からない。

 登場人物の描き方も平板。ドナルド・サザーランドの警部補もせっかくの名優を活かした配役とは思えない。

カチンコ
 なぜ「悪魔を憐れむ歌」というタイトルなのか、見た当時は分からなかった。洋楽は不得意のせいなのだがローリング・ストーンズの同名の曲名からとられている。実際に作中でも使われていたのか僕には残念ながら分からない。詞の内容が映画のモチーフに活かされていたのかも知れない。よくある事だが黒澤の「生きる」を例として引くまでもなく、対位法と言って悲しい場面にうれしい曲をつけたりという手法もあるから、この場合もストーンズの曲は題名ほど怖い曲ではないのかもしれない。
(ブログ「大いなる遡行」2005/10/26記事より転載)


↓クリックの応援よろしく!
banner_04.gif
人気ブログランキング
posted by アスラン at 01:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画評(1998年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/10811972
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。