2008年10月07日

こころ 夏目漱石(2008/1/16読了、もちろん再読)

 今年になってすぐに「こころ」を読んだ。高校の頃に読んで読書感想文を書いて、以来幾度となく繰り返し読んできた小説だ。初めて文庫で読み、大学生になって筑摩書房の全集を購入して書棚に飾り、体を害して長期療養を余儀なくされた日々に病室に持ち込んで漱石の作品を読み切った。その中にも「こころ」はもちろんあった。

 その後、筑摩文庫の漱石全集を買い直しては読みとおし、あの「夏目漱石全一冊」でも読み、そして今また新潮社文庫の夏のフェア「ナツイチ」の一冊として、蒼井優が表紙を飾った2007年スペシャルカバーの文庫でふたたび読んだ。

 読み終わってすぐに、今の自分ならこう書くだろうという読書感想文を書いてみて、高校のときの感想文と並べてみたらおもしろいかもしれない、という下心もあったのだが、結局書かなかった。いや、書けなかった。思いの外、内容も文章も慣れ親しんだせいで、すぐには自分なりの感想を思いつかなかったのだ。ようやく思いつくと、それはどこかの本に書いてあった事だと思える。いや、そもそも今も、30年ほど前に書いた感想とそれほど違った思いは抱いてないのかもしれないと、自分を少しあざけってみたりもした。

 そこでふと、高校の頃に書いた自分の文章の一節が頭に浮かんだ。当時の僕は「先生」の残した遺書を読んで「自殺は肯定すべきでない。死ぬ気になればなんとかできるはずだ」というような事を書いている。あの当時、まだ見ぬ将来は不安とも希望とも言えない漠たるものではあったが、それでも楽天的に先送りする余裕があった。だからこそ自分の身に置き換え不可能な「自殺」という行為の是非などを安易に取りざたしたわけだ。今の自分ならどう考えるだろう。そこが出発点になりそうだ。

 人間は老いとともに、病とともに、心も体も衰弱していく。衰弱すれば自らの意思で自らの生き死にを選びとっていく事は困難になっていく。決めるのは近親者だ。そういう事を当事者として経験するのは非常に虚しい。自分以外の人間の生死を決める事などできやしない。たとえ親子であろうとも、だ。これは権利やモラルの問題ではない。「今を生きる」事に深刻にならざるを得ない者のみに訪れる巡り合わせのようなものだ。

 肝心なのは「今を生きる」事に深刻に、あるいは真剣になるのに年齢はなんの関係もないという事だ。老いを考慮に入れれば遅すぎるという事はあるにしても、少なくとも早すぎるという事はない。ならば答えは出たようなものだ。人は「他人の自殺」を肯定したり否定したりすることはできない。自殺は「するかしないか」それだけだ。巡り合わせ以外の何物でもない。

 では改めて漱石は、自殺を主題に据えるほどに「今を生きる」事に深刻にならざるを得ない巡り合わせを抱えていただろうか。思えば、漱石はまだ作家としてはアマチュアだった頃から「死」を題材に取り込んできた。「倫敦塔」「幻影の盾」しかり、出世作「吾輩は猫である」しかりだ。「吾輩は…」は猫の目から人間を皮肉ったユーモアあふれる作品と言うのが全般的な印象ではあるが、〈首括りの松〉や最後の猫の死のエピソードなどが、ユーモアな作品に影となってまとわりついている。プロとしての第一作「虞美人草」で悪女・藤尾は死すべき定めの女だったし、思えば「坑夫」の主人公は銅山の採掘場の底まで行って、あたかも母親の胎内回帰をしてきたかのように生まれ変わって地上に戻ってくる。つまり死と誕生を追体験するのだ。

 漱石自身、「修善寺の大患」で死を強く意識する事態に陥ったが、「こころ」を含む大患後の作品以降に死を意識した作品が増えるのではない。言ってよければ、漱石は最初から「死」を弄んだ作家だった。何故、彼は死と慣れ親しんでいたのか。「こころ」の主人公のような自殺を意識する出来事を漱石は抱えていただろうか。それはほとんどないと言っていい。一般には〈乃木希典の殉死〉に触発されて自殺を題材にしたとされたり、あるいは「明治の精神に殉じる」というような主人公の結末を書いたとされるが、これは僕の目からは作品のつじつま合わせにしか見えない。要するに話のオチに過ぎない。

 漱石は以前にも門弟にタイトルを決めさせて、それに合わせた内容の小説を書いた事がある。「門」というのが門弟たちが決めたタイトルだが、そのときの主人公・宗介が鎌倉の寺に参禅に行くというのも落語の三題噺のように「門」というお題に漱石がこたえただけのように思える。そのほかにも、たとえば「吾輩は…」や「行人」「彼岸過迄」のような作品は、オチを付けなければいくらでも話をつなげる事ができたように思う。漱石は結末を読むのではなく過程を読むのが面白いのだ。

 「こころ」は「私」の手記、あるいは「先生」の書簡という形式を取ったせいか、いやに文章が冗長だ。いや、冗長と言うのは当たっていない。漱石の文章は日本語のお手本となるほどわかりやすく見事だが、そもそも手記という形式そのものがまだるっこしい表現なのだと言い直そう。そのせいか第三部の「先生と遺書」と同じ内容の遺書が郷里にいる「私」のところに郵送されたとすると、とてもじゃないが一通の書簡ではおさまらないのではないかという詰まらない事を、読む度に考えてしまう。

 「こころ」という小説は当初さまざまな短編を一つにまとめる事を意図して書き出された事は、漱石当人が明かしている。「先生と遺書」の部分が長くなったので必然的に長編になり、他の短編は書かれる事がなかった。先生の書簡が当初の予想以上に長くなってしまったのは漱石の誤算に過ぎないのかもしれない。しかしこの詰まらない邪推を、この感想文の終着点にしよう。

 新聞の連載に慣れた漱石が作品の長さを見誤るとはちょっと信じがたい。要因は三つあると思う。一つは手記という形式で書く事が漱石の予想を超えて文章を長くした事。第二は〈乃木の殉死〉事件を「先生」の自殺の動機付けにする工夫が当初の予定にはなく、結果として不用意に原稿を費やした事。そして最後に、「こころ」が漱石の頭の中で生み出した観念的なドラマで、漱石本人にとっては一挙に了解可能な事柄だったからではないか。

 いずれも僕の推測に過ぎない。だが、この小説を通して読んだ人は、なんだか「嘘くさい」「うさんくさい」と感じた事はないだろうか。「私」も「先生」も「K」や他の人物も最初から名前を隠しているし、私と先生が出会う海水浴場でも、およそ生身の人間が真夏の日盛りに生き生きとレジャーを楽しんでいるという感じがしない。言ってみれば、最初から天国かどこかで死者が会話しているかような不穏な静謐に満ちている。確かに登場人物の名前を秘すのは漱石作品では初めてではないが、わざわざ読者にことわるのは珍しい。漱石の頭の中で幾度となく反芻された観念の具象化であれば、名前を付ける事など「よそよそしい」に違いない。

 ならば漱石の頭の中には、いや漱石の「こころ」の中には自殺という観念が渦巻いていた事にはならないだろうか。そしてそれは彼の「こころ」の奥底に深く沈められていて、生涯おもてに出る事はなかった。それが何故「こころ」という小説の形で表立ったかと言えば、やはり明治天皇の死、乃木希典の殉死、そして明治という時代の終わりを、自分自身の生涯と重ね合わせたからではないだろうか。漱石は慶応三年生まれで、明治の年号が漱石の年齢と一致していた。言わば自らが明治の精神を体現する存在だった。

 しかし、漱石は明治の終わりとともに死にはしなかった。それは乃木希典にとっての巡り合わせだったが、漱石の巡り合わせではなかった。「こころ」を書いたわずか二年後に、漱石は「明暗」を未完のままにしてこの世を去る。漱石の「こころ」に渦巻いていた観念はそのまま漱石の死とともに消え去った。ついに巡り合わせは漱石に訪れなかったわけだが、実は遠い過去に漱石はたった一度、自らの死に処を選ぶ巡り合わせに出会っていた。出会っていながら果たせなかったように思える。

 それは、生まれたばかりの漱石(金之助)が養子にもらわれて、ザルか何かに乗せられている姿を見て姉が連れ帰ったという寂しい身内の記憶とともに、祖父・祖母と思っていた夏目家夫婦が自らの父と母と知る場面だったのではないだろうか。幼い金之助に自死など思いも寄らない事だ。最初に「遅すぎる事はあっても早すぎる事はない」と書いた。しかし本当は「早すぎる事」もあるのだ。巡り合わせが早すぎたために、自らの生き死にを選び取る事なく生きながらえてしまった。漱石の小説の多くで登場人物が死に引きつけられるのは、果たせなかった巡り合わせを取り戻そうとする漱石の「こころ」の表れだったのかもしれない。

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posted by アスラン at 19:42| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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