2008年09月04日

私の男 桜庭一樹(2008/6/29読了)

 「私の男」とは誰あろう父親だ。おじいさんと言ってもおかしくないほど歳をとった実の父親が死んだあとに、父の親族であり自分と同族の血の濃さをもつ青年に彼女は引き取られる。それは身も心もすべて「男」にゆだねたも同然のいびつな親子関係へと発展した。

 本作は、その〈親子関係〉イコール〈男と女の関係〉に至った経過を時間軸をさかのぼって淡々と描いていく。そして二人が出会う運命の瞬間に近づくにつれて、二人が抱えた真の禁忌の核心が見えてくる。それが何なのかはネタを明かす事になるのでここではふれないが、そうしたドラマチックなストーリー構成はひとまず置いても、この小説の読ませどころには別の面白さが存在する。それはタブーをあたかもタブーでないかのごとく易々と読者に受け入れさせる著者の手腕とでも言えばいいか。

 始まりはOLとなって働く娘の結婚がちかづくその日からだ。直木賞を受賞した本作は、まるで愛憎に満ちた最近の昼メロドラマのように過剰にゆがんだ男女の姿から描いていく。30すぎまで独身を通した主人公の女性は、結婚しない理由が父との生活から抜け出せないからだと内省する。はた目からは、よくあるファザコンもしくは男手ひとつで育ててくれた父への恩に見えなくもないが、それにしては冒頭で姿を現す「父」はあまりに刹那的であまりに無頓着で、そしてあからさまな愛を込めた娘へのまなざしを隠さない。当然ながら、周囲は二人の親子にしては過剰な関係をあやしむが、一方でタブーにふれたがらない普通の人々の普通な心情から見て見ぬふりを通す。悩まされるのは、結婚を決めた世間知らずの年下のフィアンセだけだ。

 普通と変わらず父娘のつましいアパート暮らしを続け、当たり前のように世間から隠れて男と女の関係をもつ。これが父と娘という法律上の関係でなければ、いまこの地球上で当たり前のように繰り返されている、当たり前の男女の営みのように描かれている。ましてや父と娘といっても本当の親子ではない。言ってしまえば、かつての愛人の娘を育て、やがて愛人にしてしまう光源氏に倣ったまでの事。これが世間的にはモラルに反するとしてもタブーにふみこんだわけではない。そういう男女もいるだろうな、という程度にあっけらかんとインモラルな二人の営みが描かれていく。そこにいんびさは感じられない。

 しかし、やがて時をさかのぼり、主人公がOLから女子高校生、中学生、小学生へと幼さを増すにつれて、血の禁忌という得体の知れない実体の密度が増していく。僕ら読者も目をそらせていたものへの視線を取り戻さずにはいられなくなる。若き日の父をなにくれとなく面倒を見てきた世話好きの老人がある日早起きしてカーテン越しに見てしまったもの。そこにはやはり「オゾマシイ」と僕らの心を逆なでする男女がいる。

 にもかかわらず、この老人の愛情と絶望とが二人に届くことはない。禁忌を超えた二人の「淡々とした」心情は、絶望を乗り越えようとあがく老人の情愛を拒絶する。その場面があまりに悲しくあまりにむなしい。

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posted by アスラン at 12:50| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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