2008年08月22日

鉄塔 武蔵野線(ソフトバンク文庫版) 銀林みのる(2008/8/5読了) 

 「鉄塔 武蔵野線」は退屈な本だ。これまでに映画を観て、新潮文庫版を読み、さらに新潮社の単行本を読み比べた僕が言うのだから、確かだ。実際、本読みのブログのいくつかで「退屈だ」と書かれていた。その指摘は間違いではない。と同時に、それは決して本書の欠点ではないこともまた確かだ。むしろ、だからこそ、本書は「永遠の少年小説」の傑作なのだと断言しよう。

 確かに、この物語にはドラマチックなことは何も起こらない。鉄橋を渡った先に死体が隠されてもいないし、勇気や友情を試されることもない。父との確執もないし、離れて暮らす母に会いに行くなどという感動的な場面もない。ただ鉄塔をたどっていくだけの物語だ。これが退屈でなくてなんだろう。

 しかし考えてほしい。少年少女の頃の自分たちを思い返してほしい。夏休みのありあまるほどの時間の中で、飽きもせずに同じ遊びを一日中繰り返さなかっただろうか。大人の目からは無意味に見えたり無駄に思えることを何時間でも何日でもやることができたのが、少年時代の自分たちではなかったか。そして自分が決めたルールを「やり遂げる」ことが何よりも大事だった経験が、誰にもあるはずだ。そして、もう一度思い出してほしい。それは、果たして本当に「退屈」だっただろうか。

 「鉄塔 武蔵野線」は、傍観者の大人のままで読むかぎりは退屈だ。さらに少年少女の頃を懐かしむ〈かつての少年少女〉にとっては、半分楽しく半分退屈だ。しかし、少年少女の心をいまだに隠しもっている「永遠の少年(少女)」であるならば、「鉄塔 武蔵野線」は退屈であろうはずがない。背伸びすることのない等身大の夏休みの記憶が、この本にはぎっしり詰まっていることは約束できる。

 そして完全版というべき本書が、昨年ソフトバンク文庫から出版された。著者のあとがきに事情は簡単に書かれているが、おさらいしておこう。

 1994年の第6回ファンタジーノベル大賞を受賞した本作は、同年に新潮社から出版された。その際、受賞作に添付されていたおびただしい数の鉄塔の写真は、出版の諸事情からかなり割愛せざるを得なかった。1997年に公開された映画では、主人公の見晴は父を亡くした夏に面影を求めるかのように、前年の夏にやり遂げられなかった鉄塔の冒険を再開するというドラマチックなストーリーに変更された。

 映画の内容に触発された著者は原作に手を加えた。主な変更は2点ある。見晴とアキラに次いで第3の隊員ヤスオとのエピソードを加えた事と、冒険の終着点である日向丘変電所の地下には〈地球鉄塔〉なるものが隠されているというファンタジー部分をごそっと削除した事だ。レイアウトの点では、新潮文庫版は写真のサイズが単行本よりも小さくなっただけでなく、やはりスペースの関係で鉄塔の写真の多くを巻末にまとめて「武蔵野線全鉄塔」と題して掲載し、本文からかなりの数を削除した点が大きな変更だった。

 そして、今回の再刊にあたっての著者の最大のねらいは、受賞時の生原稿と同じように5枚一組で構成される鉄塔の写真を全部掲載するというものだ。その結果、本書では500枚以上の鉄塔やそれに付随した写真が掲載される事になった。これがどんな意味をもつかは本書を読めばすぐに理解できるだろう。新潮社版の書評でも指摘したが、これまでの単行本も文庫も鉄塔の写真が不完全で、かつ本文との同期が不十分だったので、鉄塔をたどっていく冒険の臨場感が写真からなかなか伝わらなかった。5枚一組の中には、鉄塔を見上げた写真だけでなく、その場から前後の鉄塔を遠望する写真も含まれている。まるでRPGゲームのワールドマップを歩いているような視点で、作中の見晴たちが見るものを僕ら読者は共有する事ができる。

 しかし写真掲載にこだわる著者のねらいはそれだけではない。人間が暮らす当たり前の風景に溶け込んで、日頃は目に見えない鉄塔という異形の存在が見える著者は、鉄塔を僕らの視界に取り戻すための思想そのものを作品に込めようとしている。そして500枚もの写真によって、鉄塔の世界観そのものを僕ら読者にまるごと提示しているのだ。だからこそ、著者はあとがきで自信をもって次のように語っているではないか。

「武蔵野線全鉄塔の世界基盤が出揃った本が誕生する」


 それにあわせて「鉄塔 武蔵野線MAP」が付録としてはさまっているので、見晴やアキラがたどった道のりや距離感を都度測りながら読むという至福の体験が待っている。惜しむらくは「MAP」が簡易なものなので、実際にどんな建物や林や森を通り抜けていくのか書き込まれていない点がやや物足りない。しかし、次回は本格的な地図に「鉄塔武蔵野線」の配置を書き写して再読するという楽しみを思いついた。Google Earthやストリートビューを駆使したらもっと楽しいかもしれない。そして最終的には現地をたどりながら再読する、という究極の楽しみが待ち受けているような気がする。

 なお、本書は基本的には新潮文庫版を底本にしている。新潮社版・新潮文庫版・映画のそれぞれが異なる結末を持つわけだが、本書は新潮文庫版と同じ結末になる。鉄塔の全写真掲載に気を取られて、本文は新潮文庫版と同一なのだと思いこんできたが、この夏に読み出してみて冒頭から文章に手を加えられているのがわかり、驚いた。著者は完全版を出版するにあたって文章も推敲している。

 例えば、冒頭で「いつ終わるともしれなかった夏休みも後半に入っていました。」(新潮文庫)が、「長いように思っていた夏休みも後半に入っていました。」のように修正された。全編にわたって細かい修正が加えられているので、ここで逐一挙げるまでもないが、以下の3カ所には、かなりの文章が追加されて新たなエピソードが付け加わった。

(1)第59号鉄塔で「女の人の裸の写真」が載った週刊誌を見晴が見つけて、アキラと「やらしいなぁ」と互いに言い合いになるエピソード(P.188-190)
(2)第58号鉄塔近くの民家から、家に寄っていけと誘う耄碌した「鉄塔ババア」が出てくるエピソード(P.191-200)
(3)第37号鉄塔で、「送電線パトロールの車両」に遭遇するエピソード(P.276-282)


 いずれも特に増やす必然があるわけではなさそうなので、推敲しているうちに著者の興が乗ってきただけの事かもしれない。あるいは鉄塔の写真をうまくレイアウトするために、鉄塔と次の鉄塔の記述が少ない部分に文章を手当したのかもしれない。いずれにしても、本書のあとがきで本文の修正については触れられていないので真相は不明だ。これ以上の詮索も無用だろう。

 それより今回、「MAP」を片手に「鉄塔 武蔵野線」の冒険に見晴・アキラとともに繰り出してみると、〈ドラマチックなことは何もおこらない〉などと言ってしまうのはおこがましいほど、ドキドキさせられた。著者は「鉄塔」の物語を書こうと思いついてから、モデルとなる鉄塔を東京都全域に何百基となく探し回った末に「武蔵野線」と運命的な出会いを果たしたと書いている。

 すると、現実の「鉄塔 武蔵野線」は、中盤の真夏の太陽が照りつけるあたりで、身を隠すところがなく自転車もこげない畑が続き、日が傾きかかるあたりで「のいち鉄塔」という枝番の鉄塔が正番と交互に出現して、僕ら〈鉄塔調査隊〉を苦しめる。そして日が落ちる頃合いに僕らの冒険を無情にも阻む「入間川」が姿を現すのだ。「鉄塔 武蔵野線」は「鉄塔のドラマ」を描くのに最適な鉄塔だったのだと、あらためて理解できた。いや、理解したのではない。
 
 この夏は、見晴と著者と僕とで確かに同じ鉄塔を見上げたのだ。

(参考)
 鉄塔武蔵野線(新潮社版) 銀林みのる
 鉄塔武蔵野線(新潮文庫版) 銀林みのる
 「鉄塔武蔵野線」あるいはもうひとつの「電車男」

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posted by アスラン at 19:21| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 鉄塔武蔵野線 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大学4年生の者です。
卒論はこれでいく!と決めていました。
「鉄塔 武蔵野線」
アスランさんの書評素晴しかったです。
私も同じ鉄塔を見上げたい!!
Posted by エリコ at 2012年05月03日 15:55
エリコさん、コメントありがとう。
GW中はアクセスしてなかったので返事が遅れました。

「鉄塔 武蔵野線」で卒論を書くなんて凄い!
いまだに「一部の鉄塔マニアの聖典」ぐらいにしか評価されて
いないような気がするので、ぜひ本格的に論じてみてください。
僕もぼちぼちまた鉄塔ウォークを再開してみたいと思います。
Posted by アスラン at 2012年05月07日 12:56
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