2008年08月20日

淀川長治の映画人生 岡田喜一郎(2008/6/22読了)

 淀川さんが亡くなってから今年の11月で10年になる。亡くなってしまえば、後は人々の記憶の中にしか生きられない。淀川さんを知っている者どうしは記憶と記憶を交換すればいいだけだが、知らない者へは伝えることしかできない。しかし落語家の話芸がいくら伝説となって語り継がれようとも、知らない世代は、リアルタイムに話芸を味わった世代の興奮を体感することは叶わない。ならば落語家も希代の映画解説者も消えていくしかない。新しい世代は古い船乗りを必要としないものだ。

 だから、この本で描かれる「淀川長治」には、新しい淀川長治像など顕れない。誰もが知っていて誰もが「ああ、あの人らしい」と感じる淀川さんが描かれている。自分の記憶と著者の記憶を交換するだけだ。だが、いつもいつも解説者としてニコニコしている淀川さんだけしか知らない人は、彼に厳しい映画人としてのモラルがあったことも、「映画から人生のすべてを学んだ」といいながら、人のえり好みが激しかったことを知らない。それが意外と感じる人もいれば、いや淀川さんらしいと納得する人もいるだろう。いずれにしても、もはや確かめることはできない。10年も前に亡くなっているのだ。

 僕の知る淀川さんは、水道橋にあるアテネ・フランセという語学の専門学校の3階にあるホールで不定期に開催された「淀川長治映画塾」で出会った淀川さんだ。わずか5,6回しか会えなかった。なんと言ってもうれしいのは、早めに会場について列をなしたわずか数十人ほどのファンの横を、毎回毎回エレベーターのない3階までゆっくりとした足取りでたどり着いた淀川さんが、一人一人に「ありがと、よく着たな」と感謝しながら通り過ぎる時だ。

 映画伝道師としての温かみと評論家としての厳しさはすぐに見てとれた。伝道師の彼は一人でも映画の面白さを理解して帰っていく事を期待して情熱を込めて語る。質問コーナーで意見を聞きたがる映画好きのファンには「見て損はないよ」「つまらん映画」「次は?」と、にわか映画フリークたちを突き放す。

 ちょうど「映画塾」の文庫が出たときは講演後にサイン会になった。本来は講演直後にテーマとなる映画を上映するが、サインを求める人の長い行列ができて肝心の映画がおろそかになった感じがした。そこにはエッセイストでもありタレントでもある淀川さんのカリスマが見えると同時に、映画を生業とする芸人としてのあざとさも見えた。もちろん、そんな事は揶揄するほどの事ではない。タレントである限り当たり前の事だ。僕の方こそ著書にサインをもらった一人なので、都合のいい時だけ淀川さんを神格化しようとしている虫のいいファンに違いない。

 回を重ねるうちに、淀川さんは病に冒されて次第に衰えを見せるようになった。エレベーターなしに登る階段も辛そうになり、最後の方では登り切ってから車椅子を使うようになった。話は映画への情熱と愛情に満ちていたが、内容は前回、前々回の繰り返しが目立つようになった。「今日○年×月△日という日は一度しかありません」というお決まりの口上から始まり、新しい映画を見た感想へと流れるところが、すぐにまたかつて語ったエピソードに触れる事が多くなった。だれも突っ込む人はいない。なぜなら会場の大半は、いや少なくともリピーターは淀川さんの姿を見に来ているからだ。それでも楽しかったのだ。いつもの話を聞きたがる孫のように、いつもの話を初めてのように語って聞かせるお爺さんのように、僕らは淀川さんの一言一句を逃すまいと聞き入った。

 そして、次はいつだろうか、なかなかやらないなぁと思いつつ、ついに十年前の11月11日を迎えてしまった。実家には淀川さんの最後の日曜洋画劇場の解説がビデオに納められている。しかし、あまりに悲しくて本放送を見たきり、ビデオは今に至るまで一度も再生していない。おそらく見る機会は訪れないだろう。

 本書には淀川さんが日頃語った言葉がいくつも納められている。特に著者自身が戒めとしたいと考えている淀川さんの口癖は、今の僕自身の戒めにもなるだろう。本書の最後の方に書かれていたが、淀川さんは「最近映画をあまり見てません、見る暇がありません」と言う人を嫌ったらしい。「あまり面白い映画がなくて…」と言うとさらに機嫌が悪くなる。「昔の映画は面白かった」などと懐かしむばかりではいけない。「今の映画が一番面白いんだよ」という言葉は、映画解説者としての含蓄ではない。「映画から人生を学んだ」と言い切る淀川長治の生き方そのものなのだ。

 「もっと映画を見なさい」 

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posted by アスラン at 19:53| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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