2008年07月27日

「新潮文庫の100冊2007」VS「新潮文庫の100冊2008」

 今年も角川、ナツイチ、新潮の順で一番最後になってしまった。ここ数年はナツイチの動向に目が離せなかったし、昨年の角川の「ナツイチ化」を分析するのもなかなか楽しかった。でも昨年からこの企画で一番楽しみにしているのが、実は「新潮文庫の100冊」なのだ。今年も最後になってしまったというよりは、楽しみを最後にとっておいたと言った方が当たっている。

 何が楽しみか。毎年ラインナップの7割が入れ替わることなく、装丁も相変わらずYonda?くんがおとなしげに読書に耽っている。何も変わらないならば、見どころなんてないじゃないか。新しい3割の中身に工夫があるのかしら。いや、その3割にしたって以前に入ったことがある作品も含まれている。本当に新作と言えるのは2割あるかないかだ。では、何が面白いのか。

 それは、かたくなに変化を拒む中にかいま見られる微妙な変更だ。それを僕は「壮大な推敲」と呼んでいる。昨年、アラビア数字を本文から駆逐して漢数字に置き換えた編集方針に、〈日本語をみがく〉ことにこだわる編集部の意気込みを感じた。それは解説やコピーの一字一句にまで行き渡っていた。そして今年も期待に違わず、こだわりを見せつけてくれた。角川やナツイチのナビゲーションチャートを調べるよりもエキサイティングな言葉のせめぎあいが、今年の〈新潮100冊〉にはある。

新潮100冊2008.jpg まずは小冊子表紙のYonda?のイラストに触れておこう。今年はレモン色に近い黄色を背景に、大きな緑の葉っぱが幅を効かせている。葉っぱの切り欠きに腰をかけたYonda?くんがいつものように読書に耽る。そう、このYonda?くんは本を読み耽る。バカンスには本を読むことが当然とばかりに、両手に持った本に顔を埋めるようにして読んでいる。まるで新潮文庫の読書への執着を体現したかのようだ。

 ところが今年のYonda?くんは結構よそ見が多い。こちらの様子が気になるようだ。読書に身が入らないのは、僕らがちゃんと今年も本を読んでくれているか、それが気がかりなのだろうか。今年も僕は読んでますよ。そして学生諸君は定番の「こころ」や「人間失格」を読んでるはずだから心配いらないよ!って、僕の気の回しすぎ?

 さて、今年のラインナップは全105冊。そして著者がちょうど100人。昨年、一昨年とまったく変わらない。この「著者がピッタリ100名」というところは昨年も言及したので、気になる方は自分で調べてみるといい。101名だぞ、と思った方はもう一度よく調べてみましょう。そして今年新たに入った本は35冊。当然ながら消えた本も35冊だ。昨年の入れ替わりは32冊だったから、ほんのちょびっと入れ替えが増えたけれど、ほぼ横ばいだ。

 では、さっそく「壮大なる推敲」の痕跡を見ていこう。今年の注目点は「句点、読点、そしてルビ」だ。

 「…」で文章が終わる時に句点が入るようになった。

こころ 夏目漱石
2007年: 友情と恋の、どちらかを選ばなくてはならなくなったら、どうしますか……
2008年: 友情と恋の、どちらかを選ばなくてはならなくなったら、どうしますか……

 以下の3冊もまったく同じで、変更は文末に句点が増えただけだ。
羅生門・鼻 芥川龍之介
2008年: ワルに生きるか、飢え死にするかニキビ面の若者は考えた……

蜘蛛の糸・杜子春 芥川龍之介
2008年: けっしてふりむいてはいけない、必ず一度、そんな時がきます……

砂の女 安部公房
2008年: 来る日も来る日も砂・砂・砂……


 こうするとどうなるか分かるだろうか。そう、コピーすべての文末が句点もしくは疑問符・感嘆符で終わる。この当たり前の日本語の形式を統一することの難しさが、毎年の「推敲」に映し出される。何故って、編集部の「上手の手から水が漏れて」しまうのだ。それも最後の最後になって…。

ガンに生かされて 飯島夏樹
2008年: ガン宣告を受けても、家族のため、自分のために前向きに生きる。最後の最後まで……


 今年新たに追加された話題作だ。コピーや解説から感動的な内容であることはよく理解できるから、ここで指摘しているのは些末なことだ。でも、今年の編集部は「……」の後に句点が抜けている事を見過ごせないだろう。

 句点の次は読点ひとつの追加だ。

沈黙の春 レイチェル・カーソン
2007年: この告発が環境破壊との人類の戦いの始まりだった。
2008年: この告発が環境破壊との人類の戦いの始まりだった。

 この読点は、「この告発が」の部分が「始まりだった」に掛かることを、もしくは「環境破壊との人類の戦いの始まりだった」に掛かることを明確にする読点だ。本多勝一さんの「日本語の作文技術」からすると、かかる言葉と受ける言葉に曖昧さは生じないので有っても無くてもいい読点だ。だが表現者の「思想のテン」として自由に打ってよいとも説明している。実はこの本のコピーはいわく付きで、昨年大幅な変更をしている。その上での読点だから、ようやく龍に目玉が入った思いがする。

 次はルビだ。

日本の昔話 柳田国男
2007年: 藁が家に変わった!?猿の尾は長かった!?昔話って実はスリリング!
2008年: 藁(わら)が家に変わった!?猿の尾は長かった!?昔話って実はスリリング!


思い出トランプ 向田邦子

2007年: 心に沁みる。泣けてくる。これぞ不滅の恋愛小説。
2008年: 心に沁(し)みる。泣けてくる。これぞ不滅の恋愛小説。


「藁」や「沁みる」が難読かを問うべきではない。漢字を使うかルビを振るか、それともいっそ仮名にしてしまうかは、コピーの発信者と受信者の移り変わりを示す大きな指標なのだ。

黄色い目の魚 佐藤多佳子

2007年: ごまかさない。取り繕わない。マジになるって結構格好いい。
2008年: ごまかさない。とりつくろわない。マジになるって結構格好いい。


変身 カフカ
2007年: 読み始めてすぐに「何故だ?」と思い、読み終えた直後に「何故だ!」と叫ぶ。
2008年: 読み始めてすぐに「なぜだ?」と思い、読み終えた直後に「なぜだ!」と叫ぶ。


それこそ「何故だ!」などと叫んではいけない。漱石や芥川の作品の表紙がマンガになる時代だ。控えめながら読みづらい言葉や硬い言葉を仮名で柔らかくしていくのも、発信者の気配りと言える。

 ならば、次の変更はもはや気配りと言えないだろう。

愛より速く 斎藤綾子
2007年: 女がみんなこんなだなんて、バレたらまずいよ。
2008年: 女の子がみんなこんなだなんて、バレたらまずいよ。

「女」が「女の子」になるだけでずいぶん作品のイメージが変わる。昨年は「マジで」を削除してはすっぱなイメージを払拭したけれど、残った言葉だけからはアブノーマルな性癖を持つ大人の〈女〉限定に思われてしまう。仮名多めのコピーとあわせて、ちょっと若い女性の気を引く表現に微調整したというところか。

 この推敲には編集部の侃々諤々たる議論が見えるような気がして、それを考えるだけでも楽しい。しかし時に笑っていられないほどの大物をつり上げて衝撃を受けることもある。こんなのだ。

老人と海 ヘミングウェイ
2007年: …残りわずかな餌に想像を絶する巨大なカジキマグロがかかった。…
2008年: …残りわずかな餌に想像を絶する巨大なまかじきがかかった。…


 なんで「カジキマグロ」が「まかじき」になるんだよ。中学生の頃に読んだので本文になんて書いてあったかはもちろん記憶にない。でもなんとなくカジキマグロならイメージがわきやすい。いまさら「まかじき」って言われてもなぁ。そこんとこ、どうなんですか、新潮さん。でも確認の意味でも、もう一度読みたくなったなぁ。

 最後に今年新たに入った本の中で、コピーと解説が目新しい一冊を紹介しておこう。「鮮度の高さ」が売りかなぁ。また来年になれば「壮大なる推敲」のまな板にのるのかな。と、ふと確かめてみると2006年のラインナップに、このコピーと解説のまま掲載されていた。「バナナ」どっさりの解説文は編集長のおぼえめでたく推敲されずに残ってるということか。それにしても〈バナナの不条理感〉が夏らしく心地よい。

ナイン・ストーリーズ サリンジャー
コピー: 完成度では『ライ麦畑』より上との声も。ハマることうけあいの、ヤバい短篇集。
解説: バナナがどっさり入っているバナナ穴に行儀よく泳いでいき、中に入ると豚みたいにバナナを食べ散らかすバナナフィッシュ。あんまりバナナを食べ過ぎて、バナナ穴から出られなくなりバナナ熱にかかって死んでしまうバナナフィッシュ…グラース家の長兄、シーモアの謎の自殺を描く「バナナフィッシュにうってつけの日」ほか、九つの傑作からなる自選短篇集。


 さて、最後にいつものように「今年躍進した作家」「今年後退した作家」「今年新たに入った本」「今年消えた本」のリストを挙げておく。

[今年躍進した作家]
三島由紀夫(1->2)
湯本香樹実(1->2)
唯川恵(1->2)


[今年後退した作家]
江國香織(2->1)
星新一(2->1)
梨木香歩(2->1)


 これをざっとながめて思いついた事が二つある。唯川恵というと集英社文庫御用達作家というイメージがあった。恋愛小説家だから、村上由佳と並んでナツイチの顔となる女性作家だ。だが昨年のナツイチで村上由佳が6冊の大躍進だった事を考えあわせると、唯川恵はすでにナツイチの顔ではなく、新潮文庫でも常連となりつつある。恋愛小説家から脱皮したと言えるかも。

 もう一つは、今年後退を余儀なくされた梨木香歩の扱いだ。〈新潮100冊〉にラインナップされた「西の魔女が死んだ」は、この夏に映画化されたというのに、だ。角川文庫ならばメディアミックスで売る絶好の機会を逃さないだろう。別に角川に限らず普通はもっと便乗するはずだろう。なのに便乗しない、宣伝もしない。なにせ解説には一言たりとも「映画」の事は触れてないのだ。伊坂幸太郎「重力ピエロ」のコピーでは「本年度本屋大賞受賞作家の代表作」などと便乗してるし、「赤毛のアン」ですら「誕生から100年、記念の年を迎えました。」と書かれているというのに。梨木さんの今回の無視に近い扱いは、ちょっと異常じゃないだろうか。

[今年新たに入った本(35冊)]
憑神 浅田次郎
ガンに生かされて 飯島夏樹
一握の砂・悲しき玩具 石川啄木
ロリータ ウラジーミル・ナボコフ
魔性の子 小野不由美
対話篇 金城一紀
恋 小池真理子
蟹工船・党生活者 小林多喜二
ナイン・ストーリーズ サリンジャー
脳のからくり 竹内薫・茂木健一郎
自転車少年記 竹内真
ビルマの竪琴 竹山道雄
はつ恋 ツルゲーネフ
流れ星が消えないうちに 橋本治
放浪記 林芙美子
にごりえ・たけくらべ 樋口一葉
黄金の羅針盤 フィリップ・プルマン
友情 武者小路実篤
あすなろ物語 井上靖
海と毒薬 遠藤周作
三四郎 夏目漱石
錦繍 宮本輝
号泣する準備はできていた 江國香織
潮騒 三島由紀夫
きみの友だち 重松清
ナイフ 重松清
指揮官たちの特攻 城山三郎
阿部一族・舞姫 森鴎外
伊豆の踊子 川端康成
斜陽 太宰治
春琴抄 谷崎潤一郎
春のオルガン 湯本香樹実
家族八景 筒井康隆
恋せども、愛せども 唯川恵
恋人たちの誤算 唯川恵


[今年消えた本(35冊)]
天使のみつけかた おーなり由子
悲しみよこんにちは サガン
停電の夜に ジュンパ・ラヒリ
ダーク・タワー I―ガンスリンガー― スティーヴン・キング
自閉症だったわたしへ ドナ・ウィリアムズ
人生論 トルストイ
野菊の墓 伊藤左千夫
風林火山 井上靖
沈黙 遠藤周作
ローマ人の物語1・2 塩野七生
坊っちゃん 夏目漱石
破獄 吉村昭
蛍川・泥の河 宮本輝
雨はコーラがのめない 江國香織
神様のボート 江國香織
智恵子抄 高村光太郎
堕落論 坂口安吾
エイジ 重松清
くちぶえ番長 重松清
天国の本屋 松久淳・田中渉
硫黄島に死す 城山三郎
八甲田山死の彷徨 新田次郎
山椒大夫・高瀬舟 森鴎外
ブランコのむこうで 星新一
雪国 川端康成
走れメロス 太宰治
痴人の愛 谷崎潤一郎
心がだんだん晴れてくる本 中山庸子
できればムカつかずに行きたい 田口ランディ
破戒 島崎藤村
愛のひだりがわ 筒井康隆
ターン 北村薫
真夜中の五分前 本多孝好
ため息の時間 唯川恵
ぐるりのこと 梨木香歩


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posted by アスラン at 03:02| 東京 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 夏の文庫フェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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