タイトルどおり、この本はクリスティの「アクロイド殺し」を詳細に分析して、〈ほんとうは誰がアクロイドを殺したのか〉と問いかける刺激的な評論だ。著者はフランスの大学教授だそうだ。つまりミステリーの評論ではなく、テクスト論の一応用というわけだ。
だから横溝正史ブームが起こった70年代に数々書かれた名探偵・金田一耕助の推理が行き当たりばったりで本当は別に犯人がいるのではないかという、いわばブームに乗ったおちゃらかし本とは訳が違う、と思ってぜひ読んでみたかった。もちろん、純粋にミステリー評論の方がおもしろい場合もあるが、こと「アクロイド…」について言えば、メタミステリーの代表作もしくは問題作と言われ続けてきたから、本書でもその点をつまびらかにしてくれると期待したのだ。
ところが一向に読めない。ウンザリする。飛ばすしかない。しばらくは読む。また飛ばす。ずっと飛ばす。いっそ章の結論をはしょり読みして、次の章を読んでみる。やはり飛ばさなくてはならない。なんだ、読めるところがないじゃないか。
なんのことか分からないだろう。実は本書は〈学問のため〉という大義名分を水戸黄門の印籠のように振りかざした著者が、無造作に「アクロイド殺し」以外のクリスティ作品のネタばらしをしている。しかもミステリーファンの間でお約束である「ここからネタを割りますよ」という断りはいっさいない。それどころか、「〜というトリックを用いた作品Aや作品B」とか「〜が犯人である作品Cや作品D」といった具合に、無神経にも二三冊まとめてタイトルを列挙していく。おかげで数ページ読むだけで、クリスティの未読の作品5、6冊の犯人が分かってしまった。
クリスティの作品をいずれは読破したいと野望を抱いている僕としては読書を断念せざるを得なかった。それにしても本の帯に「本国フランスで絶賛!」のような惹句が書いてあったが、ネタばらしの無神経さを指摘した批評家はいなかったのだろうか。いや、たぶんいたはずだ。
では誰がこの本を読むのか?単なる文学論や言語論を専門にしている人たちは読むだろうが、同時に参考資料として引用されている他のクリスティ作品もネタバレした上で読むのだろうか。だとしたらご苦労なことだ。一読者は、一ミステリーファンは読まないだろう。あとはコアなクリスティファンや評論家しか残っていない。彼らはネタバレされても一向に困らないからだ。ただし僕と同じように著者の無神経さに憤る可能性は高い。やはり著者の同業者だけが内輪でありがたがるだけのようだ。
それにしても、何故他の作品のネタ割りをしなければならないのか、よくよく考えてもわからない。テクスト論であれば、作家としてのクリスティがどんな作品を残したとか、どんなトリックや犯人の設定を好んだとかは、括弧に括ってしまってよかったのではないか。僕には単なる箔づけにすぎないように思えた。
読みたいと思った日:2006年のいずれか
読みたいと思った処:会社最寄り駅近くの古本屋さん
積ん読?: 自宅に積ん読(ただしクリスティ全作品読破が条件なので、処分しちゃうかも)



