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2014年09月08日

2014年8月の新刊

わー、すでに8月も終盤。この時期は、週末は子供を連れて夏休みの思い出作り、平日は学童に通う子供のための弁当作りに追われて、忙しいです。8月の文庫新刊もピックアップしてあったのに、コメントを書く暇がない。いっそのことリストアップしただけでお茶を濁してしまおうかしら。とにかく、がんばって書き上げます。いつもの大洋社調べ。

08/上 オカルト業界の取材をしたら、こうなった 三浦悦子(彩図社文庫) 669
08/上 文豪たちが書いた 泣ける名作短編集 彩図社文芸部(彩図社文庫) 640
08/06 錯覚の科学 クリストファー・チャブリス(文春文庫) 907
08/06 将棋自戦記コレクション 後藤元気(ちくま文庫) 1296
08/06 水底フェスタ 辻村深月(文春文庫) 648
08/06 生きがいは愛しあうことだけ 早川義夫(ちくま文庫) 734
08/21 明暗 夏目漱石(集英社文庫) 未定
08/23 美妙 書斎は戦場なり 嵐山光三郎(中公文庫) 1028
08/23 評伝 北一輝(2)明治国体論に抗して 松本健一(中公文庫) 1080
08/28 シンメトリーの地図帳 マーカス・デュ・ソートイ(新潮文庫) 1069
08/28 ソロモンの偽証 第I部 事件(下) 宮部みゆき(新潮文庫) 853
08/28 ソロモンの偽証 第I部 事件(上) 宮部みゆき(新潮文庫) 853
08/28 夢見る部屋 日本文学100年の名作(1)(仮) 池内紀(新潮文庫) 767
08/28 明治天皇という人 松本健一(新潮文庫) 907
08/29 シャーロック・ホームズ最後の挨拶【新訳版】 アーサー・コナン・ドイル(創元推理文庫) 907



すでに8月終盤になって、きっと書き上げる頃には9月に入ってしまっているだろうな。というわけで、店頭で平積みになっているのを手にとって見た本も多く、さらには購入してしまったものもあります。なので、そんなことも触れながらコメントを書きます。

 三浦悦子「オカルト業界の取材をしたら、こうなった」。オカルトといえば森達也さんのオカルト業界の人たちを取材したノンフィクションが印象に残っている。こういうのはUFOなどと同様で、話題を徹底的におもしろがるというエンタメの一つとしてアプローチするか、あるいは信用する側の熱狂的な思いが本全体を貫いているか、そして残りはオカルトのうさん臭さをあげつらって彼らの嘘を暴いてやるという底意地の悪い醒めたまなざしのいずれかになるのではないだろうか。実際に店頭で見た限り、タイトル通りの「(日本の)オカルト業界」の裏側を探った本のようだ。オカルトそのものの是非を語る本では無く、いちおうオカルトを商売にしている人たち、会社などをターゲットにしているので、初めからある程度うさんくさい商売だという偏見が著者にあることだけは確かだ。だから、そういう視点に満足する人しか読まない本だと思う。とはいえ、ゴシップ的なアプローチでも他になければ読んでみたくなるのが、ミーハーな僕のスタンスだ。

 彩図社文芸部「文豪たちが書いた 泣ける名作短編集」。ちょっと表紙が?という感じで、内容をみるとさらに?という感じだ。例えば芥川龍之介の「夏蜜柑」が泣ける名作かというと、今どきの若い読者にとっては大いに疑問だろう。昔、「サラダ記念日」の俵万智さんが編んだ「くだものだもの」という洒落たアンソロジーがあったが、その中に置かれた「夏蜜柑」は、まさに作品自体に著者のニヒリズムが反映していて、読む人のモラルの許容量が試されてしまうところがあるなぁと思ったものだけれど、でも夏蜜柑という「くだもの」が印象的な小道具としてもちいられていることは紛れもなくて、その意味ではアンソロジーに収録されるにたる短篇だった。「泣ける名作」と野放図に思い込んだ「文芸部」は、さてどういう見識を持って選択したのだろうか。

 クリストファー・チャブリス 「錯覚の科学」。そうそう、平積みになっているのを見かけたのだけれど、なんと手にとってない。その理由はというとタイトルが地味。著者名に聞き覚えがない。表紙にも特徴がない。などが挙げられる。いわゆる「錯覚」というと、トリックアートなどに見られる錯視を思い浮かべてしまうが、「記憶の錯覚」「理解の錯覚」「自信の錯覚」「理由の錯覚」「隠れた才能の錯覚」という6つの心理的錯覚を取り上げているようだ。例えば記憶を取り出す時に、体験をリプレイしながら取り出す。その際に他人の体験の記憶も同じプロセスを経るために、あたかも自分の体験だと思い込んでしまうことがおきる。こういうエピソードを紹介されると、途端に読みたくなってくる。さて、著者の説明の手際はどうだろうか。

 後藤元気「将棋自戦記コレクション」。最近はやりの「観る将」(指さないで観るだけのファン)ではないが、息子と違って腕前はへぼなので「ほぼ観る将」の僕は、観るだけでなく「読む将」でもある。自戦記というのは自分の対局を自ら振り返って書いたプロ棋士たちの文章だ。必ずしも勝った対局について書くわけではないので、つくづく将棋とは容赦のないゲームだと思う。対局の最後に自ら「負けました」と宣言させられ、終わってもその場から立ち去る事なく、勝者を相手に自分がいかにして負けたかを詳細に分析する感想戦を行い、負けた一手(敗着)を明らかにせずには悔し涙の酒を飲む事もできない。一刻も早く忘れ去ってしまおうにも、プロ棋士の記憶は尋常ではないので、とうてい忘れる事はできない。その上に自戦記などを書かされるのだから、その文章には棋士の人生そのものが乗り移ってしまう。と、まあちょっと大げさに書いてみたけれど、それに近いものが透けて見えてくるように感じるのが、このコレクションの醍醐味だろう。

 辻村深月「水底フェスタ」。「ゼロ、ハチ、ナナ、ナナ」が直木賞候補作になったあたりから、逆に読まなくなってしまった。最初の頃のように「ぼくのメジャースプーン」や「凍りのくじら」、そして「名前探しの放課後」のような少年や少女を主人公に据えたちょっとダークなファンタジーが好きなんだな。「水底フェスタ」はどんな話なんだろう。店頭で手に取った気がするんだけど、いまいち、引きがこなかったのだろうか。amazonの口コミを調べてみたが「あぁぁぁ」、これは言わぬが花。それでもかえって興味が湧いてくるかも。

 早川義夫「生きがいは愛しあうことだけ」。著者は、あの「サルビアの花」で有名なシンガソングライターだ。先日もNHKプレミアムのフォークソング特集で熱唱していた。僕はフォークブームの端っこに引っかかって、やがて怒濤のように押し寄せるニューミュージックの波の最前線にいた。だからフォークといってもいわゆる叙情派フォークが主たるもので、かぐや姫やグレープ、小椋佳に井上陽水といった面々に影響を受けまくっていた。それより前の学生運動にリンクしたメッセージ性の強いフォークソングは、自分にとっては襟を正すべき先輩たちの歌だった。敬愛はあったが、熱狂はしなかった。そして今、彼らは僕より少し先を老いながらも生きている、歩いている。彼らの言葉や歌がかつて以上に胸に響いてこないわけがないのだ。訥々とした歌い方なのに思いっきり哀愁を帯びていた「サルビアの花」が、今も「愛し合う」ことを誠実に受け止めている著者の一つのエッセイのように聞こえてきた。

 夏目漱石「明暗」。ぶ、分厚い! 店頭で見かけた集英社文庫の「漱石コレクション」の掉尾を飾る漱石未刊の遺作は、予想以上に分厚い。なんだろう、文字が大きいからか、紙質のせいか。なのに760円というお値打ち価格。思わず買ってしまいました。明暗に限らず漱石の作品は筑摩書房の全集とちくま文庫の全集とを両方とも実家に蓄えているのだけれど、それでも簡便に読める最新の文庫なら買ってしまおう。つい先月に「道草」も買ってしまったはずなんだけどね。

 嵐山光三郎「美妙 書斎は戦場なり」。山田美妙の評伝。確か、単行本が出たときに図書館で借りてきたのだけれど、読まずに返してしまったようだ。山田美妙というと、尾崎紅葉、石橋思案などとともに硯友社を結成して、文学運動をさかんにした明治の作家の一人だ。ただし尾崎紅葉が「金色夜叉」という後世に残る大作をものしたのと比べると、美妙の作品はこれといったものはなく、作家としては〈微妙〉な存在だ。ただ、文学史などを見ると、いち早く言文一致体を模索した人物として名が挙がってくる。以前見た文体では、地の文は美文(文語調)だけれど、文末表現を変えてみたり、文の切れ目に句点を挿入してみたりと、今からみればおかしな文体だけれども、明治の美文を得意とする作家たちがどのように新しい表現を切り開けばいいかを、最前線で考えていた先駆者だった。そのあまりに知られていない人生を、嵐山さんが描くとどう人物が立ち上がってくるのか、興味深い。

 松本健一「評伝 北一輝(2)明治国体論に抗して」。もちろん第2巻から読みたいのではなく、通して読もうかと思うのだが、著者は以前に北一輝について書いてなかっただろうか。そう思ってWikiをたどると、何度も書いて本を出してもいる。いや、これはもう、江藤淳にとっての漱石と同等の意味をもつぐらいだ。生涯を掛けて、一人の人間の思想を受け止めようとしている。僕はどちらかと言えば、右寄りの思想に関心をもってこなかったために、北一輝のようなナショナリズムについて考えざるをえなかった人物の思想をトレースすることが少なかった。わかりやすく書いてくれる人と言えば、著者をおいてはいないのかもしれない。

 マーカス・デュ・ソートイ「シンメトリーの地図帳」。以前から「素数の音楽」というタイトルの本が気になってはいた。新潮クレスト・ブックスという非常におしゃれな装丁のシリーズの一冊として出版されている。例えば「朗読者」とか「停電の夜に」などの、これまた独特な味わいをもった小説が含まれていて、実は「素数の音楽」という作品も、数学を題材として取り込んではいるが、小説なのだとずっと思ってきた。今回の作品も数学ノンフィクションとあるように「素数の音楽」もノンフィクション作品である。となると、途端に読んでみたくなった。すでに「素数の音楽」も文庫化されている。こちらから順に、だろうか。

 宮部みゆき「ソロモンの偽証 第I部 事件(上)(下)」。宮部みゆきの新作ミステリーは、スタートダッシュに遅れをとると、図書館の予約待ちがはけるのは1年越しになる。いや、宮部みゆきクラスは2年越しだろうか。現在、2012年に出版された単行本が、立川図書館で12冊64人待ち(5.3人/冊)、川崎図書館で39冊319人(8.2人/冊)だ。どちらの図書館も文庫は未入荷。きっと宮部みゆきだから蔵書になると思うのだが、そのときを逃さず予約すれば、早めに読めるかも。でも、とりあえず単行本をそろそろ予約しておくか。

池内紀「夢見る部屋 日本文学100年の名作(1)(仮)」。「(仮)」ではなくなりました。出版されて店頭にもならび、そして買ってしまいました。全10巻の予定なのかな。ラインナップを見ると、

荒畑寒村「父親」/森鴎外「寒山拾得」/佐藤春夫「指紋」/谷崎潤一郎「小さな王国」/宮地嘉六「ある職工の手記」/芥川龍之介「妙な話」/内田百閨u件」/長谷川如是閑「象やの粂さん」/宇野浩二「夢見る部屋」/稲垣足穂「黄漠奇聞」/江戸川乱歩「二銭銅貨」

新潮文庫創刊当時から10年間にわたって発表された小説が、非常にバリエーションに富んだ作家たちを取り合わせて編集されている。もう立派な装丁の文学全集は流行らないけれど、文庫で読めるならばお手軽だ。がんばって読まないと、すぐに色あせて積ん読か、買わずにやめてしまいそうだ。読書の秋到来が絶好の機会になるぞ。

 松本健一「明治天皇という人」。あれ、松本健一さん、今月2冊目だ。明治天皇についても評伝を書いていたのか。単行本の口コミと読むと、明治天皇に対する尊敬(敬愛)が感じられないので、面白みに欠けると感想を述べている読者がいる。それもそうだろうが、明治天皇の実像を描くのが困難なために、ある程度神格化されたエピソードで固めるというお手軽な明治天皇論も多い。敬愛しないぐらい、どうってことない。要は評論として感心させられるかどうかだけが重要なんだし。

 アーサー・コナン・ドイル「シャーロック・ホームズ最後の挨拶【新訳版】」。深町真理子さん翻訳による新訳版がでてから、何冊か買ったと思うのだが、中断している。最初の「冒険」はじっくりと読んだ。次は「回想」なんだけれど、「銀星号事件」を読んでは、行方不明になった銀星号の捜索にホームズが遅ればせながら乗り出して関係者から話を聞き出すところから、なかなか先に進まず、再び中断。おかげで調教師の妻が「カレー味の肉料理」を馬房に詰めている亭主にもっていったという話がつよく頭に印象づけられていく。そろそろ、前に進まねば。では、僕は次に「緋色の研究」から手にいれるべきなのかな。

で、結局9月に入るどころか、一週すぎてしまった。9月の新刊も早々にチョイスしないと。
posted by アスラン at 13:01 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | あっ、これ読みたい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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