過去ログ記事リスト

2014年09月25日

2014年9月の新刊

遅ればせながら、ようやく8月の文庫新刊について記事を書き上げた。9月もすでに初旬を過ぎようと
している。中秋の名月も終わった。当日は見られず、翌日の冴えた夜空にのぼる「ほぼ満月、完全すぎる
スーパームーン」を見て満足した。さあ、この勢いで9月の新刊を書き上げよう。
いつものように、大洋社調べ。

09/04 翻訳ガール 千梨らく(宝島社文庫) 626
09/10 「思考」を育てる100の講義 森博嗣(だいわ文庫) 734
09/10 「私小説」を読む 蓮實重彦(講談社文芸文庫) 1836
09/10 小林カツ代の野菜のおかず大集合 小林カツ代(だいわ文庫) 648
09/11 チャタレー夫人の恋人 D・H・ロレンス(光文社古典新訳文庫) 未定
09/25 深泥丘奇談・続 綾辻行人(角川文庫) 648
09/25 預言 ダニエル・キイス(ダニエル・キイス文庫) 1296
09/27 ソロモンの偽証 第II部 決意(下) 宮部みゆき(新潮文庫) 810
09/27 ソロモンの偽証 第II部 決意(上) 宮部みゆき(新潮文庫) 853
09/27 にんじん ルナール(新潮文庫) 594
09/27 ポアンカレ予想を解いた数学者 ドナル・オシア(新潮文庫) 853
09/27 人生問題集 春日武彦(新潮文庫) 562
09/27 麦藁帽子 日本文学100年の名作(2)(仮) 池内紀(新潮文庫) 767


 最近、大手の書店で新刊の文庫を見ていると、3分の2ぐらいが僕と無関係の新刊だ。
従来からある時代小説とか、ハウツー本のたぐいとか、流行作家の書く小説とかも、一握りのお気に入りを除くと読まない。最近では、ラノベの出版数が尋常じゃないので、この分だと僕が年老いた頃には、平積みになる本の海から砂金のようにお気に入りを探す羽目になりそうだ。いや、そもそも、その頃には紙の本がじり貧という事もあるのかもしれないが…。

 千梨らく「翻訳ガール 」。いきなり、まったく見知らぬ著者の書く作品。どうやらラノベ調ではないかと思われる。なぜチョイスしたかというと、「翻訳」というキーワードに惹かれたからだ。主人公に翻訳家もしくは翻訳を目指す若い女性を据える事によって、どんな出来事が起きるのか。翻訳家らしいエピソードはどのように盛り込まれるのか。期待値が上がる。つい最近、書店で見たのだが、よく分からない。前作があるようで、ならばそこから読むのが妥当なのかもしれない。調べました。「翻訳会社『タナカ家』の災難」というのが前作のようだ。しかもこの前作も今回の作品も、宝島社文庫「日本ラブストーリー」大賞シリーズと銘打った中の一冊。ということは、千梨らくという作家は「日本ラブストーリー」大賞なるものを受賞したのだろうかと思って、さらにWikiで調べると、大賞ではなく「エンタテインメント特別賞」を受賞している模様(受賞作は「惚れ草」)。さて、どうしたものか。いや、初志貫徹。「翻訳会社『タナカ家』の災難」から、でお願いします。

 森博嗣「「思考」を育てる100の講義 」。著者のデビュー作になるのだろうか、「すべてがFになる」。1996年の講談社ノベルスだ。当時、本格ミステリーの新たなムーブメント真っ盛りで、北村薫や綾辻行人や宮部みゆきなど、僕が「発見」したと息巻いていた80年代の新人達が大きく育ち、次の面白い新人作家はいないかと思って、たまたま目に留まったのが「すべてがFになる」。理系の人間ならばすぐにピンとくるタイトルなので興味をもったのかもしれない。とにかくノベルスを買って読んでみたんだろうな。そして、その問題作の結末に?????を5つどころか、10個ぐらいつけて会社の同僚で同じようにミステリー好きの女性に読んでもらったら、やはり同じような感想。以後、多作で知られるベテラン作家に育ったのに、二冊目を読む事はなかった。でも、最近、ちょっとした事で、著者個人の考え方の方に関心を覚えた。個人的な問題を解く鍵があるかもしれないと、人づてに聞いたので、何を読むかを探っている。なにしろいっぱいあるので。とりあえず、出会いを悪くした「すべてがFになる」も再読しながら、エッセイの方も読んでみたい。

 蓮實重彦「「私小説」を読む 」。読んだ記憶はある。が、どうやら実にはならなかったようだ。藤枝静男の「欣求浄土」を取り上げていたような記憶があり、読もうとおもったが、これもまた読み果たしていない。どうやら、僕には小説をきちんと読み継いでいく根気が足りないようだ。なのに、こういった評論を何故読むのかとも思うのだが、やはり何事にもミーハーなしぐさから抜ける事はできない。AKBや特撮や、将棋や、折り紙や、宇宙や数学についての関心と同様に、文学や映画についてもミーハーなアプローチが必要不可欠なようだ。

 小林カツ代「小林カツ代の野菜のおかず大集合 」。小林カツ代さん、本当にお疲れ様でした。安らかにお眠りください。たぶん、僕の母親もNHKの料理本を買ったり、「今日の料理」とかで、カツ代さんのレシピを参考に食卓の献立を考えることもしばしばあったと思います。僕はというと、育ち盛りで、頭の中は、とんかつやすき焼きやカレーの事で夢中で、安くて手軽にできて「しかも美味しい」という工夫のメニューみたいなのには、あまり関心がなかったようにも思います。今、まさに母親にならって、息子の朝食やら弁当の中身に頭を悩ます主夫をやってみて、親の苦労を身に染みて感じています。文庫なので、美味しそうな料理の写真がないのがちょっと寂しいですが、非常に役に立ちそうな料理本です。

 D・H・ロレンス「チャタレー夫人の恋人 」。「言わずとしれた」と書きたいところだが、今や文学自体が滅びようとしているのに、かつては、その内容の猥褻さが裁判で争われて、出版社と翻訳した伊藤整とが実刑にとわれた作品だ。当時は猥褻だと指摘された部分を伏せ字にして再出版して、近年伏せ字を戻した完全版が出版されて今に至っている。でも、猥褻かどうかだけに興味をもったとしても、今や「公序良俗」の意味合いが1960年当時とかなり変わってしまっている。それよりもロレンスがこの作品を発表した1928年当時が、階級を超えた者どうしの恋愛、さらには不倫という事について、まだまだ今と違ってタブーだったという点が問われるべきだ。歴史的な意味は専門家に任せるとして、僕ら一読者の関心は、今人気の「昼顔」のような昼メロの原点が、ここにあるのでは?というところから入っていけばいいんじゃないだろうか。

 綾辻行人「深泥丘奇談・続 」。綾辻の本格ミステリーは出来るだけ読むようにしている。館シリーズも「暗黒館」以降は読んでいない。いや、「暗黒館」が長すぎて手を付けられずにいる。最近では、よい綾辻フォロワーではなくなりつつある。「アナザー」は読んだが、続編やスピンオフも手を付けていない。いや、そもそも綾辻のホラー小説は「殺人鬼」のような本格ミステリーとの掛け合わせでない限りは、熱心な読者にはなれないというのが正直なところだ。これも、怪談専門誌『幽』に連載されているシリーズのようだ。うーむ。先日も久々にテレビの謎解き番組の回答者として元気な姿を見せてくれたが、本格ミステリーの新作をひっさげて「すずらん本屋堂」にでもゲスト出演してくれないだろうか。

 ダニエル・キイス「預言 」。キイスさんが亡くなった。お弔い読書をするつもりだ。だが、やはりなんと言っても「『アルジャーノンに花束を』をもう一度読む」というのが僕にとってふさわしい気がするのだ。なにしろ、文庫の「アルジャーノン」が未読のまま、本棚のたくさんの蔵書の中に収まっているからだ。という話は、別の記事になんどか書いた。「24人のビリー・ミリガン」を会社近くの105円コーナーで見かけたら、いや、108円コーナーで見かけたら、そちらも入手するとして、さて、久々の新刊になるであろう「予言」とは一体どんな本だろう。「テロリストたちの狂気に満ちた暴力と洗脳。」とか「一人の女性の魂の苦境に9・11以後の狂い、壊れていく世界を映し出す、唯一無二の物語。 」などという惹句があらすじに書かれている。「アルジャーノン」以降、キイスさんはずいぶんと遙か遠くを歩いていってしまったようだ。もはや、「アルジャーノン」のように透き通るような気持ちで読む読後感は味わえないのだろうか。

 宮部みゆき「ソロモンの偽証 第II部 決意(上)(下) 」。「ソロモンの偽証」の単行本はいまだに図書館で借りる事はできず、第1部、第2部、第3部と物語は進んでいく。一体どんな物語を紡いでいるのか。それを文庫では上下2巻ずつで出版しているというのだから、第3部までで6巻も読み継がねばならない。
今こそ、文庫版の入荷をまって、図書館で予約してやろうと思い立ったのだが、川崎も立川も、一向に文庫を購入するそぶりをみせない。単行本を買いすぎて文庫に注力する予算がないという事だろうか。残念ながら、もう少し見て見ぬ振りをしておくしかなさそうだ。

 ルナール「にんじん 」。大昔に読んだ。中学生になってからというもの、それまでのジュブナイルを卒業して、近所の本屋でも、文庫棚をあさっては、中学生でも読めそうな名作のたぐいを買って読んでいた。とにかく、何を読めばいいのか分からず、一方で「面白い」というだけの基準では読書の意味がないときまじめに思い込み、割とつまらない本ばかり読んでいた。いや、幼い読者にとっては「つまらない」としか思えない本ばかりを読んでいた。なにしろ中学生になりたての少年少女に「老人と海」を読ませて何が面白いというのだろう。もちろん、今ならば読み返す度に、日々老いに近づく自分の身の上と照らしては思うところが増えていく読書が堪能できるだろう。さて、「にんじん」は今読むとどんな感想を持つのだろうか。

 ドナル・オシア「ポアンカレ予想を解いた数学者 」。ポアンカレ予想を証明した事件について書かれたノンフィクションには、すでに「ポアンカレ予想−世紀の謎を掛けた数学者、解き明かした数学者−」がある。著者はジョージ・G.スピーロ。先に「ケプラー予想−四百年の難問が解けるまで−」を書いている。科学ジャーナリストだそうだ。「ケプラー予想」はすでに購入してある。理由は訳者がサイモン・シンの著作すべてを翻訳している青木薫さんだからだ。ただし「ポアンカレ予想」の方は訳者4名、監修者2名という大変怪しげな翻訳なので、ちょっと信用がおけない。ただし、本書にも問題がないではない。著者ドナル・オシアさんは数学科の教授。そういう専門家が書いた本が一般向けに面白いかどうか。なかなか難しい選択だ。

 春日武彦「人生問題集 」。著者は精神科医にしてたくさんの著述をものしている。あいにくどの本のご厄介にはあずかっていないが、本の雑誌に連載中の吉野朔美のマンガにちょくちょく読書仲間として現れる。描かれる姿がトレンチコートに帽子といった、ハードボイルド小説に描かれる探偵のように、である。本書は、ただのお悩み相談本ではなく、人生問題について精神科医の春日さんと、歌人・穂村弘さんが考えていくという趣向らしい。なかなかに面白そうな取り合わせだ。

 池内紀「麦藁帽子 日本文学100年の名作(2)(仮) 」。ああ、また忘れていた。これから、ほぼ10ヶ月にわたって1冊ずつ出版されていくのではないかと思う。ならば、巻1を購入した僕としては、すでに読み終わってなければいけないというわけだ。新刊本の山の中からえり出しておかねば。もうまもなく巻の2が店頭にのぼる。

 以上、9月の新刊はこれで終了。でも、もう僕がフォローしなくても、すでにあれもこれも店頭の平積み本として手に取れるのだから、僕が紹介するまでもない事も確かだ。さあ、いよいよ読書の秋の開幕だ。
posted by アスラン at 15:04 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | あっ、これ読みたい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月08日

2014年8月の新刊

わー、すでに8月も終盤。この時期は、週末は子供を連れて夏休みの思い出作り、平日は学童に通う子供のための弁当作りに追われて、忙しいです。8月の文庫新刊もピックアップしてあったのに、コメントを書く暇がない。いっそのことリストアップしただけでお茶を濁してしまおうかしら。とにかく、がんばって書き上げます。いつもの大洋社調べ。

08/上 オカルト業界の取材をしたら、こうなった 三浦悦子(彩図社文庫) 669
08/上 文豪たちが書いた 泣ける名作短編集 彩図社文芸部(彩図社文庫) 640
08/06 錯覚の科学 クリストファー・チャブリス(文春文庫) 907
08/06 将棋自戦記コレクション 後藤元気(ちくま文庫) 1296
08/06 水底フェスタ 辻村深月(文春文庫) 648
08/06 生きがいは愛しあうことだけ 早川義夫(ちくま文庫) 734
08/21 明暗 夏目漱石(集英社文庫) 未定
08/23 美妙 書斎は戦場なり 嵐山光三郎(中公文庫) 1028
08/23 評伝 北一輝(2)明治国体論に抗して 松本健一(中公文庫) 1080
08/28 シンメトリーの地図帳 マーカス・デュ・ソートイ(新潮文庫) 1069
08/28 ソロモンの偽証 第I部 事件(下) 宮部みゆき(新潮文庫) 853
08/28 ソロモンの偽証 第I部 事件(上) 宮部みゆき(新潮文庫) 853
08/28 夢見る部屋 日本文学100年の名作(1)(仮) 池内紀(新潮文庫) 767
08/28 明治天皇という人 松本健一(新潮文庫) 907
08/29 シャーロック・ホームズ最後の挨拶【新訳版】 アーサー・コナン・ドイル(創元推理文庫) 907



すでに8月終盤になって、きっと書き上げる頃には9月に入ってしまっているだろうな。というわけで、店頭で平積みになっているのを手にとって見た本も多く、さらには購入してしまったものもあります。なので、そんなことも触れながらコメントを書きます。

 三浦悦子「オカルト業界の取材をしたら、こうなった」。オカルトといえば森達也さんのオカルト業界の人たちを取材したノンフィクションが印象に残っている。こういうのはUFOなどと同様で、話題を徹底的におもしろがるというエンタメの一つとしてアプローチするか、あるいは信用する側の熱狂的な思いが本全体を貫いているか、そして残りはオカルトのうさん臭さをあげつらって彼らの嘘を暴いてやるという底意地の悪い醒めたまなざしのいずれかになるのではないだろうか。実際に店頭で見た限り、タイトル通りの「(日本の)オカルト業界」の裏側を探った本のようだ。オカルトそのものの是非を語る本では無く、いちおうオカルトを商売にしている人たち、会社などをターゲットにしているので、初めからある程度うさんくさい商売だという偏見が著者にあることだけは確かだ。だから、そういう視点に満足する人しか読まない本だと思う。とはいえ、ゴシップ的なアプローチでも他になければ読んでみたくなるのが、ミーハーな僕のスタンスだ。

 彩図社文芸部「文豪たちが書いた 泣ける名作短編集」。ちょっと表紙が?という感じで、内容をみるとさらに?という感じだ。例えば芥川龍之介の「夏蜜柑」が泣ける名作かというと、今どきの若い読者にとっては大いに疑問だろう。昔、「サラダ記念日」の俵万智さんが編んだ「くだものだもの」という洒落たアンソロジーがあったが、その中に置かれた「夏蜜柑」は、まさに作品自体に著者のニヒリズムが反映していて、読む人のモラルの許容量が試されてしまうところがあるなぁと思ったものだけれど、でも夏蜜柑という「くだもの」が印象的な小道具としてもちいられていることは紛れもなくて、その意味ではアンソロジーに収録されるにたる短篇だった。「泣ける名作」と野放図に思い込んだ「文芸部」は、さてどういう見識を持って選択したのだろうか。

 クリストファー・チャブリス 「錯覚の科学」。そうそう、平積みになっているのを見かけたのだけれど、なんと手にとってない。その理由はというとタイトルが地味。著者名に聞き覚えがない。表紙にも特徴がない。などが挙げられる。いわゆる「錯覚」というと、トリックアートなどに見られる錯視を思い浮かべてしまうが、「記憶の錯覚」「理解の錯覚」「自信の錯覚」「理由の錯覚」「隠れた才能の錯覚」という6つの心理的錯覚を取り上げているようだ。例えば記憶を取り出す時に、体験をリプレイしながら取り出す。その際に他人の体験の記憶も同じプロセスを経るために、あたかも自分の体験だと思い込んでしまうことがおきる。こういうエピソードを紹介されると、途端に読みたくなってくる。さて、著者の説明の手際はどうだろうか。

 後藤元気「将棋自戦記コレクション」。最近はやりの「観る将」(指さないで観るだけのファン)ではないが、息子と違って腕前はへぼなので「ほぼ観る将」の僕は、観るだけでなく「読む将」でもある。自戦記というのは自分の対局を自ら振り返って書いたプロ棋士たちの文章だ。必ずしも勝った対局について書くわけではないので、つくづく将棋とは容赦のないゲームだと思う。対局の最後に自ら「負けました」と宣言させられ、終わってもその場から立ち去る事なく、勝者を相手に自分がいかにして負けたかを詳細に分析する感想戦を行い、負けた一手(敗着)を明らかにせずには悔し涙の酒を飲む事もできない。一刻も早く忘れ去ってしまおうにも、プロ棋士の記憶は尋常ではないので、とうてい忘れる事はできない。その上に自戦記などを書かされるのだから、その文章には棋士の人生そのものが乗り移ってしまう。と、まあちょっと大げさに書いてみたけれど、それに近いものが透けて見えてくるように感じるのが、このコレクションの醍醐味だろう。

 辻村深月「水底フェスタ」。「ゼロ、ハチ、ナナ、ナナ」が直木賞候補作になったあたりから、逆に読まなくなってしまった。最初の頃のように「ぼくのメジャースプーン」や「凍りのくじら」、そして「名前探しの放課後」のような少年や少女を主人公に据えたちょっとダークなファンタジーが好きなんだな。「水底フェスタ」はどんな話なんだろう。店頭で手に取った気がするんだけど、いまいち、引きがこなかったのだろうか。amazonの口コミを調べてみたが「あぁぁぁ」、これは言わぬが花。それでもかえって興味が湧いてくるかも。

 早川義夫「生きがいは愛しあうことだけ」。著者は、あの「サルビアの花」で有名なシンガソングライターだ。先日もNHKプレミアムのフォークソング特集で熱唱していた。僕はフォークブームの端っこに引っかかって、やがて怒濤のように押し寄せるニューミュージックの波の最前線にいた。だからフォークといってもいわゆる叙情派フォークが主たるもので、かぐや姫やグレープ、小椋佳に井上陽水といった面々に影響を受けまくっていた。それより前の学生運動にリンクしたメッセージ性の強いフォークソングは、自分にとっては襟を正すべき先輩たちの歌だった。敬愛はあったが、熱狂はしなかった。そして今、彼らは僕より少し先を老いながらも生きている、歩いている。彼らの言葉や歌がかつて以上に胸に響いてこないわけがないのだ。訥々とした歌い方なのに思いっきり哀愁を帯びていた「サルビアの花」が、今も「愛し合う」ことを誠実に受け止めている著者の一つのエッセイのように聞こえてきた。

 夏目漱石「明暗」。ぶ、分厚い! 店頭で見かけた集英社文庫の「漱石コレクション」の掉尾を飾る漱石未刊の遺作は、予想以上に分厚い。なんだろう、文字が大きいからか、紙質のせいか。なのに760円というお値打ち価格。思わず買ってしまいました。明暗に限らず漱石の作品は筑摩書房の全集とちくま文庫の全集とを両方とも実家に蓄えているのだけれど、それでも簡便に読める最新の文庫なら買ってしまおう。つい先月に「道草」も買ってしまったはずなんだけどね。

 嵐山光三郎「美妙 書斎は戦場なり」。山田美妙の評伝。確か、単行本が出たときに図書館で借りてきたのだけれど、読まずに返してしまったようだ。山田美妙というと、尾崎紅葉、石橋思案などとともに硯友社を結成して、文学運動をさかんにした明治の作家の一人だ。ただし尾崎紅葉が「金色夜叉」という後世に残る大作をものしたのと比べると、美妙の作品はこれといったものはなく、作家としては〈微妙〉な存在だ。ただ、文学史などを見ると、いち早く言文一致体を模索した人物として名が挙がってくる。以前見た文体では、地の文は美文(文語調)だけれど、文末表現を変えてみたり、文の切れ目に句点を挿入してみたりと、今からみればおかしな文体だけれども、明治の美文を得意とする作家たちがどのように新しい表現を切り開けばいいかを、最前線で考えていた先駆者だった。そのあまりに知られていない人生を、嵐山さんが描くとどう人物が立ち上がってくるのか、興味深い。

 松本健一「評伝 北一輝(2)明治国体論に抗して」。もちろん第2巻から読みたいのではなく、通して読もうかと思うのだが、著者は以前に北一輝について書いてなかっただろうか。そう思ってWikiをたどると、何度も書いて本を出してもいる。いや、これはもう、江藤淳にとっての漱石と同等の意味をもつぐらいだ。生涯を掛けて、一人の人間の思想を受け止めようとしている。僕はどちらかと言えば、右寄りの思想に関心をもってこなかったために、北一輝のようなナショナリズムについて考えざるをえなかった人物の思想をトレースすることが少なかった。わかりやすく書いてくれる人と言えば、著者をおいてはいないのかもしれない。

 マーカス・デュ・ソートイ「シンメトリーの地図帳」。以前から「素数の音楽」というタイトルの本が気になってはいた。新潮クレスト・ブックスという非常におしゃれな装丁のシリーズの一冊として出版されている。例えば「朗読者」とか「停電の夜に」などの、これまた独特な味わいをもった小説が含まれていて、実は「素数の音楽」という作品も、数学を題材として取り込んではいるが、小説なのだとずっと思ってきた。今回の作品も数学ノンフィクションとあるように「素数の音楽」もノンフィクション作品である。となると、途端に読んでみたくなった。すでに「素数の音楽」も文庫化されている。こちらから順に、だろうか。

 宮部みゆき「ソロモンの偽証 第I部 事件(上)(下)」。宮部みゆきの新作ミステリーは、スタートダッシュに遅れをとると、図書館の予約待ちがはけるのは1年越しになる。いや、宮部みゆきクラスは2年越しだろうか。現在、2012年に出版された単行本が、立川図書館で12冊64人待ち(5.3人/冊)、川崎図書館で39冊319人(8.2人/冊)だ。どちらの図書館も文庫は未入荷。きっと宮部みゆきだから蔵書になると思うのだが、そのときを逃さず予約すれば、早めに読めるかも。でも、とりあえず単行本をそろそろ予約しておくか。

池内紀「夢見る部屋 日本文学100年の名作(1)(仮)」。「(仮)」ではなくなりました。出版されて店頭にもならび、そして買ってしまいました。全10巻の予定なのかな。ラインナップを見ると、

荒畑寒村「父親」/森鴎外「寒山拾得」/佐藤春夫「指紋」/谷崎潤一郎「小さな王国」/宮地嘉六「ある職工の手記」/芥川龍之介「妙な話」/内田百閨u件」/長谷川如是閑「象やの粂さん」/宇野浩二「夢見る部屋」/稲垣足穂「黄漠奇聞」/江戸川乱歩「二銭銅貨」

新潮文庫創刊当時から10年間にわたって発表された小説が、非常にバリエーションに富んだ作家たちを取り合わせて編集されている。もう立派な装丁の文学全集は流行らないけれど、文庫で読めるならばお手軽だ。がんばって読まないと、すぐに色あせて積ん読か、買わずにやめてしまいそうだ。読書の秋到来が絶好の機会になるぞ。

 松本健一「明治天皇という人」。あれ、松本健一さん、今月2冊目だ。明治天皇についても評伝を書いていたのか。単行本の口コミと読むと、明治天皇に対する尊敬(敬愛)が感じられないので、面白みに欠けると感想を述べている読者がいる。それもそうだろうが、明治天皇の実像を描くのが困難なために、ある程度神格化されたエピソードで固めるというお手軽な明治天皇論も多い。敬愛しないぐらい、どうってことない。要は評論として感心させられるかどうかだけが重要なんだし。

 アーサー・コナン・ドイル「シャーロック・ホームズ最後の挨拶【新訳版】」。深町真理子さん翻訳による新訳版がでてから、何冊か買ったと思うのだが、中断している。最初の「冒険」はじっくりと読んだ。次は「回想」なんだけれど、「銀星号事件」を読んでは、行方不明になった銀星号の捜索にホームズが遅ればせながら乗り出して関係者から話を聞き出すところから、なかなか先に進まず、再び中断。おかげで調教師の妻が「カレー味の肉料理」を馬房に詰めている亭主にもっていったという話がつよく頭に印象づけられていく。そろそろ、前に進まねば。では、僕は次に「緋色の研究」から手にいれるべきなのかな。

で、結局9月に入るどころか、一週すぎてしまった。9月の新刊も早々にチョイスしないと。
posted by アスラン at 13:01 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | あっ、これ読みたい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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