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    2025年12月10日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(15.1.9)

    Chapter15 挿入の諸形式「@語句の挿入――andとif」より。
    15.1.9 My mother felt my father's loss of fortune more keenly than my father himself, and it preyed upon her mind, though rather for my sake than for her own.
    (訳) 父が財産を失ったことを母は父自身より切実に感じ、そのために悩んだが、それは自分のためよりむしろ私のためであった。
     とりあえず、前半の比較構文について考えよう。伊藤先生は本書で「AとBをXについて比較する」ように説いている。
    (A) My mother felt my father's loss of fortune keenly.
    (B) My father felt his own loss of fortune keenly.
     という二文についてX「keenlyの強さ(大きさ)」を比較した結果、(A)のほうがXについて優っているという意味なので、以下のような推敲訳になる。
    (前半の推敲訳) 父が自らの財産を失ったことを切実に感じたのはもちろんであるが、それ以上に母はその事を切実に感じた。
     まだ日本語として問題はあるが、英文解釈から修正した訳としてはとりあえず満足しておくことにする。

     後半はふたたび比較構文で、「CとDをYについて比較する」ことを考える。
    (C) it preyed upon her mind for my sake.
    (D) it preyed upon her mind for her own sake.
     そして比較の対象となるYは「母の心を悩ませた目的」であり、手早くいえば「母の心を悩ませたのは誰のためか」ということだ。比較といっても強さや大きさの優劣を図るのではない。「C(for my sake)もしくはD(for her own sake)」の二択だ。二択からCを選択したので、以下のようにrather … thanを用いた[C>D]という比較構文になる。
    [C>D] it preyed upon her mind rather for my sake than her own.
     [C>D]の訳文は以下のようになる。
    ([C>D]の訳文) 母がそのこと(父が財産を失ったことを父以上に切実に感じたこと)に悩んだのは、母自身のためというよりもどちらかといえばわたしのためだった。
     伊藤先生の解説では「thoughが挿入されているのは、副詞節を導くthough本来の用法とは別のもの」だと書かれている。確かにこの比較構文には〈thoughが導く副詞節〉は存在しないので、"rather…than…"の直前にthoughが突然割りこんできては辻褄があわない。伊藤先生が「主語と動詞を補うという考え方では読めない形である」から、それ以上は構文を掘り返さないほうがよいとする所以だ。
     ただし、受験生にとってはそうでも、この突然姿を現すthoughは「前とは逆接の関係にあること示している」というヒントを伊藤先生は残しておいてくれている。今ならもう少し深掘りはできそうだ。前提として[C<D]となるのが一般的(普通)だという文脈で、[C>D]という結果が現れると逆接関係が顕在化する。その際、母が実際にとった行動(過去形)ではなく、一般的にとるであろう行動(現在形)に置き換えた比較構文「C’とD’をY’について比較する」ことを考える。
    (C') it preys upon her mind for my sake.
    (D') it preys upon her mind for her own sake.
     Y'は「母の心を悩ます理由(目的)」であり、手早くいえば「母の心を悩ますのは誰のためか」ということになる。常識的にも感情的にも「D'(for her own sake)」が選択されるのが普通なので、[C'<D']という比較構文になる。
    [C'<D'] it preys upon her mind rather for her own sake than for my sake.
     そして[C'<D']の訳文は以下のようになる。
    ([C'<D']の訳文) 母がそのことに悩むとすれば、わたしのためではなく(当然ながら)母自身のためだ。

     しかし、現実には「一般的とは逆の理由(目的)」から(C>D)という結果になっている。要するにここで考えるのは
    (a)〈現実とは逆の関係[C'<D']を導くthoughの副詞節〉+《現実の関係[C>D]》
     である。これを実際に構文として表現すると以下のようになる。
    (a) it preyed upon her mind rather for my sake than her own, though it preys upon her mind rather for her own sake than my sake.
     さらにthoughが導く副詞節をrather … thanの直前に挿入し、前提となる文脈に相当する部分をすべて省略すると(a')になる。
    (a)' it preyed upon her mind, though (it preys upon her mind rather for her own sake than my sake,) rather for my sake than her own.
     この構文がまさしく例文そのものである。

     ずいぶん回り道をしたが、結局thoughの存在理由がわかってしまえば、あとは挿入形式の訳を考えるだけだ。この章の例文では一貫して主節を先に訳して、従属節は添加や補足として訳してきた。今回も変わらない。
    (後半の推敲訳) 母がそのことに悩んだのはわたしのためだった。本来は母自身のために悩むところなのに。
     前半と後半をまとめる。
    (推敲訳) 父が自らの財産を失ったことを切実に感じたのはもちろんであるが、それ以上に母はその事を切実に感じた。母がそのことに悩んだのはわたしのためだった。本来は母自身のために悩むところなのに。

     さらに日本語として推敲する。例文の訳ではfeel keenly(切実に感じる)とpreys upon one's mind(悩む)との区別があまり感じられない。feel keenlyは「身に染みる、痛感する、ひどくこたえる」などが妥当な訳のようだ。preyは「苦しめる、悩ます、痛めつける」などがあるが、feel keenlyとなるべく区別がつくような訳を選択する。
    (推敲訳) 自分の財産を失って父はひどくこたえたが、父以上にひどくこたえたのは母だった。母は苦しんだが、それはひとえに私のことを思ってのことだった。本来ならば自分のことを思って苦しむところなのに。
    posted by アスラン at 03:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年11月27日

    (4)田子の浦にうち出でて見れば白妙の 山部赤人

    CIMG0619.JPG
    [第四首]
    田子の浦(たごのうら)に うち出でて(うちいでて)見れば 白妙(しろたえ)の 富士の高嶺(たかね)に 雪はふりつつ (山部赤人)
    (現代語訳) 田子の浦の眺望のきくところに進み出て、はるか彼方を見渡すと、まっ白い富士の高峰に、今もなお雪はしきりに降っていることだ。
     山部赤人(やまべのあかひと)は、柿本人麻呂と並ぶ歌聖と称された奈良時代の万葉歌人。生没年未詳ではあるが、宮廷歌人として活躍したそうだ。特に叙景を得意としていて、この歌も原歌である万葉集「田子の浦ゆ うち出でて見れば真白にぞふじの高嶺に雪はふりける」は実景歌だが、それをわざわざ叙景にしたようだ。

     「雪はふりける」だと実景(つまり、雪が降りつもった富士山を田子の浦から見ている景色)で、「雪はふりつつ」だと叙景(つまり、富士山を背景に目の前を雪が降っている景色)だというのだが、僕にはどれほどの違いがあるのかはよく分からない。富士山の雄大さを描いた点では原歌がまさっているという事らしいが、現代人の目から見れば「雪が降っている」事をふくめて富士の美しさが感じられる点が何よりもまさっている。とにかく美しい歌だ。
     しかも、凡人の僕らにも分かりやすい。特に言っておくとすると「田子の浦」だ。辞典にはことごとく「歌枕」だとの記述がある。「歌枕」とは「1.和歌に詠み込まれる歌語、2.特に、和歌にしばしば詠み込まれる特定の名所、旧跡」(日国)とある。「田子の浦」は静岡県東部、駿河湾に注ぐ富士川河口付近の海岸」(日国)の事を指す。
    (推敲訳) 田子の浦に行って、とりわけ富士山を見るのに絶好の地点にまで行って眺めてみると、てっぺんを真っ白にして、今も富士に雪が降っている。
    posted by アスラン at 00:50| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 小倉百人一首を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年11月22日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(15.1.8)

    Chapter15 挿入の諸形式「@語句の挿入――andとif」より。
    15.1.8 Purely physical fatigue tends if anything to be a cause o happiness.
    (訳) 純粋に肉体的な疲労は、どちらかと言えば幸福の原因になることが多い。
     前回のif anyは副詞節でif there are any …を意味していたように、今回のif anythingはif there are anything …を意味する。つまり、
    (A)Purely physical fatigue tends to be a cause o happiness,
    (B)if there are anything which purely physical fatigue tends to be.
     という構文になる。ここから「主節(A)+譲歩節(B)」の訳文を考えると訳文(a)のようになる。
    訳文(a) 純粋に肉体的な疲労は何かの原因になる事が多いとすれば、幸福の原因になることが多い。
     さらに、述部は「〜の原因になることが多い」の繰り返しになるので、譲歩節(B)を簡潔に表現して、そのままの位置に挿入すると訳文(b)になる。
    訳文(b) 純粋に肉体的な疲労は、どちらかと言えば幸福の原因になることが多い。
     これがまさに伊藤先生の訳文だ。

     これくらい短い文ならばこのままでも問題ないが、今回もいつものように主節を言い切ってから補足する書き方を優先する。
    訳文(c) 純粋に肉体的な疲労は幸福の原因になることが多い、どちらかと言えば、だが。

     訳文(c)を基本にして日本語を推敲する。主語や目的語に使われている名詞句「純粋に肉体的な疲労」「幸福の原因」を述部表現に言いかえる。特に主語は《従属節+主節》を内包している。
    (推敲訳) ただ単に体を動かすだけなら、疲れても満足感が得られる事が多い。どちらかと言えば、だが。
    posted by アスラン at 07:05| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年11月17日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(15.1.7)

    Chapter15 挿入の諸形式「@語句の挿入――andとif」より。
    15.1.7 Few, if any, Americans grasped the significance of what had been accomplished.
    (訳) 達成されたことの意義を理解したアメリカ人がたとえいても、その数は少なかった。
     伊藤先生は「ifは、あとのS+Vを従属節にまとめる役目をする」と考えることはできるが、if possibleのような省略には一般的な規則がないものも多いので、「if possible、if necessary、if anyなどの挿入的な表現は熟語としてその意味を記憶するにとどめ、それ以上掘り返さないのがよい」と書いている。
     しかし、さすがにそれでは説明が淡泊すぎる。それに、ifに限らず従属節を形成する接続詞(whenなど)からして既に省略が発生するので、もう少し省略表現について最低限の事はふまえておくべきだろう。そこで江川泰一郎『改訂三版 英文法解説』に登場ねがおう。
    §267 副詞節における省略
    A. 「主語+be動詞」の省略 時・条件・譲歩などの副詞節に見られる。
    (1)基本形
     When (I was) a child I had a habit of blinking my eyes. (子供のころ、私は目をパチパチまばたきする癖がありました。)
       (略)
    (2)実例検討
     When eating soup, you must sip the liquid quietly from the spoon. (スープを飲むときには、音がしないようにスプーンで少しずつ飲みなさい。)
       (略)
    B. it is/was の省略 この場合のitは主節の内容を指す。
     I'll check the list again if (it is) necessary/possible. (必要ならば/できれば、リストをもう一度チェックしよう。)
       (略)
    C. その他 ifとalthough(though)には「主語+一般動詞」の省略がある。
     Drop that gun ! If not (= If you don't), you'll be sorry. (銃を捨てろ。さもないと、後悔するぞ。)
     He seldom, if ever (=if he ever does), goes to church. (彼は教会に行くにしても、ごくたまにしか行きません。)
       (略)
     《参考》if の場合は、次のような例にまで及ぶ。
      Correct errors, if any (= if there are any). (誤りがあれば訂正せよ。)
        (略)
     とりあえず、これくらいふまえておけばいいだろう。『英文法解説』の「A.(2)実例検討」には様々な実例が挙げられているし、if anyは《参考》で特殊な形式として取りあげられている。確かに一般的な規則に該当しないものも多いのだろうが、基本的なものを押さえておけば、熟語扱いしないで考えることができる。

     そこで、あらためて例文の検討に戻ろう。
    (a)Few Americans grasped the significance of what had been accomplished, if any.
    (b)If any, few Americans grasped the significance of what had been accomplished.

    (a')Few Americans grasped the significance of what had been accomplished if there are any Americans who did.
    (b')If there are any Americans who grasped the significance of what had been accomplished, few Americans did.

    (c)Few, if any, Americans grasped the significance of what had been accomplished.
     挿入形式を除外すれば(a)(b)のいずれかになるはずだ。パンクチュエーションとしては(a)はカンマで区切らず、(b)のみカンマで区切るはずだが、省略表現になると副詞節の認定が難しくなるので、どちらもカンマで区切る事になるようだ(あくまで僕の推測に過ぎないが)。
     いずれにしても(a)(b)の省略前の原文は、さきほどの『英文法解説』によるとif there are anyだが、これ自体も省略されているので本例文ではif there are any Americans who grasped the significance of what had been accomplishedとなる。しかも、従属節と主節の順番によっては代名詞や代動詞(does/didなど)の使いどころが変わってくるので、それぞれが(a')(b')になる。
     (a')または(b')のような従属節の省略表現に挿入形式を組み合わせると(c)、要するに例文そのものになる。

     まずは(a)または(b)について考える。「(a)主節 if 従属節」が正順で「(b)If 従属節, 主節」は逆順と考え、カンマの有無が異なるだけで意味は変わらないと、パンクチュエーション(句読法)では教える。しかし、推敲のレベルで文章を考えたら「どちらを前にするか」にまったく意味が無いとも思えない。ニュアンスを日本語に移し替えると、以下のような違いに対応するのではないだろうか。
    ((a')の推敲訳)たとえいたにしても、成し遂げられてきた事がどれほど重要な事だったか把握できた米国人はほとんどいなかった。
    ((b')の推敲訳)成し遂げられてきた事がどれほど重要な事だったか把握できた米国人がたとえいたにしても、ほとんどいなかった。

     伊藤先生の訳文は(b')に対応する。これでは日本語として不十分だと思う。何故なら、(a)系列と(b)系列の文は従属節の省略表現を解決しただけで、挿入形式についてはなんら手心が加えられていないからだ。そうなると訳さねばならないのは(c)だ。
     この16章の例文で何度も検討してきたが、日本語の場合は英語のように無理に文章の途中に副詞句を挿入すべきではない。主節を日本語として言い切ってしまってから、従属節を追加(補足)する形にした方がよい。
    (推敲訳)成し遂げられてきた事がどれほど重要な事だったか把握できた米国人はほとんどいなかった。たとえいたにしても、だが。
     さらに日本語を推敲する。had been accomplishedなので時制は過去完了形だ。しかも自分以外が成し遂げる訳なので、時間的な観点を顕在化するために「あの当時に成し遂げられた事」になる。その事の重要性(意義)をいつ把握したかと言えば「あの当時」なので、「(あの当時に)成し遂げられた事を(あの当時)どれほど重要だったかをあの当時把握できた」のように、「あの当時」がどんどん後ろに掛かっていく事になる。最終的には「あの当時、ほとんどいなかった」になるので、「成し遂げられた(完了)」以外はすべて現在形にしても問題ない.逆に今のようにすべて過去にしてしまうと、日本語としてはうざったい。
     また、if anyはこれまで通り添加(補足)を意味する。主節では「ほとんどいない」だが、その上で「まったく存在しない」可能性も追加している。なので「存在したとしても」を後ろから挿入する。
    (推敲訳) 成し遂げられた事がどれほど重要なのかを把握する米国人は、あの当時ほとんどいなかった。もちろん、いたとしての話だが。
    posted by アスラン at 23:05| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年11月15日

    エラリー・クイーン『ローマ帽子の秘密』を散策する(その3)

     引き続き、当時流行作家だったS・S・ヴァン・ダインが作品に持ち込んだペダンティックな言い回し、いわゆる「S・S・ヴァン・ダイン風なパズラー(演繹的推理を駆使した本格ミステリ)」を著者エラリー・クイーンがどのようにアレンジしていったかを見ていこう。

    [翻訳](8章P.186)「ゆうべ、帽子以外にもフィールドの持ち物がなくなってる可能性は考えなかったのかい」
    (略)警視は不機嫌に言った。「たしかに考えたよ――ステッキだ。(略)」
     エラリーは含み笑いをした。「シェリーかワーズワースを引用したいところだね、父さんの知力をたたえて。でも”してやられた”以上に詩的な文句を思いつかないな。何しろ、ぼくのほうは、いまのいままでステッキのことは考えもしなかったんだから。(略)」
     被害者モンティ・フィールドのアパートメントを父子で捜索すると、シルクハットはなくパナマ帽や中折れ帽など4つの帽子が見つかった。だが、そもそも帽子があってもなくても犯人の手がかりにはならない事にクイーン警視はいらだつ。しかし、エラリーから「帽子以外に無くなったものがないか考えなかったのか」と聞かれた警視は「ステッキの事を言っているのなら、検討済みなので問題ない」と答える。一見するとエラリーはクイーン警視の努力を褒めたたえているように見えるが、精一杯知恵を絞ったわりには上手く行ってない事をやや皮肉っぽく指摘しているのだ。
     シェリー(1792-1882)は英国のロマン派屈指の詩人だ。妻のメアリー・シェリーは小説家兼社会思想家で、あの『フランケンシュタイン』の著者でもある。ワーズワース(1770-1850)は同じく英国の詩人で、自然の美を歌うロマン主義運動の中心人物となった。
     シェリーもワーズワースもロマン主義(ロマン派)である事から、「父の知力・努力は評価したいが的は射ていない。ステッキなんて、ずいぶんロマンティックな想像力だな」と言っているのだろう。エラリーの言葉には皮肉なニュアンスが感じられるが、同時に父への愛情がこめられている。

    [翻訳](8章P.191)「うわっ!」エラリーが声をあげる。「あの男は服の好みがずいぶんとうるさかったんだな。マルベリー通りの伊達男ブランメルといったところか」
     フィールドの寝室にあるクローゼットの中身を吟味しながら、エラリーは声をあげる。ブリタニカによると、「伊達男ブランメル」とはジョージ・ブライアン・ブランメル(1778-1840)のことらしい。「19世紀初頭のメンズ・モードに多大の影響を及ぼした英国の代表的ダンディ。イートン校時代から皇太子(のちのジョージ4世)と旧友で、英国の上流社会に君臨した」と書かれている。
     「マルベリー通り」はニューヨークのリトルイタリー地区にある通りで、19世紀にはギャングや移民のたまり場だった。つまり、ギャングのたまり場に出入りするような被害者が、まるで上流階級のように洗練されたファッションを身につけているという皮肉が込められている。

    [翻訳](8章P.191)エラリーはくすくす笑った。「だけど、もし酒の神バッカスを呼び出したくなったら、この祈りの文句を勧めておくよ。おお、酒よ、汝、知られたる名を持たぬなら、われ、そなたを死と呼ばん」
    (原注)ここでエラリー・クイーンは、おそらくシェイクスピアの文句をもじっている。「おお、汝、目に見えぬ酒の精よ、汝、知られたる名を持たぬなら、われ、そなたを悪魔と呼ばん」
    『オセロー』第二幕第三場
    “O thou invisible spirit of wine, if thou hast no name to be known by, let us call thee devil!”
     ピゴット刑事が台所から酒瓶のケースを抱えてもってくる。警視がにおいを嗅いで中身を確かめたのでピゴットもそれにならうが、さすがに味見をする気にはならないと軽口を叩く。ピゴットの軽口を受けてエラリーもユーモアを込めてシェークスピアの言葉を引用する。
     なにしろ被害者は劇場で毒を飲まされて殺されているので、「酒=死」と覚悟しておくようにというエラリー流のシャレになっている。引用元となった『オセロー』の台詞の意味は、「酒がさまざまな災いをもたらすのであれば、もはや酒の精ではなく悪魔と呼ぼう」という警句だ。エラリーは、「さまざまな災い」を「死」に限定した言い方にもじっていて、シャレであると同時にずいぶんと気取った言い方をしている。

    [翻訳](9章P.196)「”旦那さまは冷たい、冷たい土のなかに”(フォスターの名曲のタイトル)」玄関でエラリーがそう言って含み笑いをした。
     フィールドの従者マイクルズがアパートメントを訪れて、主人のいどころを訊いてくる。エラリーの答はずいぶんと思いやりに欠けるが、マイクルズが直前に朝刊を読んで主人が亡くなった事を知っている事に気づいたので、わざと冷たくあしらっている。
     エラリーの言葉は、フォスター作曲の『Massa's in de Cold Ground(主人は冷たい土の中に)』(1852年)の一節で、アメリカ南部のプランテーションで働いていた黒人たちが、亡くなった主人(massa)を悼む情景を描いた哀歌だ。マイクルズの立場を米国南部の黒人の立場に例えるのは、1920年代当時の人種差別が背景にあると言っていいだろう。別の場面でも黒人差別が露わになる箇所がある。著者クイーンに人種差別が社会的な問題であるという批判的視点があるならばやむを得ないが、本作の出版当時、まだ二十代半ばの若き知識人二人にとっては黒人差別の存在など思いもよらない事だったに違いない。公民権運動が始まるまでには、まだ20年以上もある。

    [翻訳](10章P.225)「よこしま?」エラリーはまじめな口調で言った。
    「金は諸悪の根にある」警視は意味ありげに笑って切り返した。
    エラリーの口調は変わらなかった。「根とはかぎらないよ、父さん――果実でもある」
    「また引用か」警視は茶化した。
    「フィールディングだよ」エラリーは涼しい顔で言った。
     ローマ劇場で上演された「銃撃戦」のプログラムに、被害者フィールドが書き殴った3つの数字。これには犯人を脅迫して奪い取ろうとした取引額が絡んでいる。その数字の意味するところを父子で考えている場面だ。普通は「金は諸悪の根源である」と言い習わすが、この場面では「果実」との対比が際立つように「根(ね)」を用いたようだ。
     エラリーが言いたかったのは「金は諸悪の根でもあり、果実でもある」という事だろう。道徳としては「金は諸悪の根(根源)である」という戒めになっているが、悪徳を信条とする輩にとっては「金は諸悪の果実である」。いわばコインの裏表の関係にあることを指摘している。
     この「果実」の例えがフィールディングによるものだとすると、おそらくヘンリー・フィールディング(1707-1754)の事だろう。ニッポニカによると、フィールディングは英国の小説家で戯曲も書き、「政治風刺の脚本が多く、そのほうに手腕を発揮した」らしい。特に百科事典マイペディアによると「鋭い観察眼によって人間の虚飾をはぎ、滑稽さの中に人間性の真実に迫る作品を残した。」と書かれているので、「金は諸悪の果実である」などという穿った事を言ったかもしれない。
     だが、別の解釈も考えられそうだ。地方検事サンプソンは、別の場面で被害者の本来の苗字がフィールディングだったと説明している。 
    [翻訳](6章P.142)サンプソンは強い調子で言った。「(略)もともとの苗字はフィールディングで――そこからモンティ・フィールドになったんだ」
     だとすると225頁のエラリーの言葉「フィールディングだよ」は文字どおり被害者フィールド本人を指している事になり、辻褄が合う。だが、エラリーは、クイーン警視にも僕ら読者にも、どういう意図で「フィールディング」と言ったのか一切説明しないで章を終えてしまうし、二度と種明かしもしない。なんというか、以後も、こういった勿体つけた言い回しに僕ら読者はつき合わないといけない。ヴァン・ダイン風というよりは、作家エラリー・クイーンの悪弊と言ってもいいかもしれない。

    [翻訳](12章P.267)「あの娘のことじゃない」警視は苛立たしげに言った。「けさの出来事の全体について訊いているんだ」
    「ああ、そのことか!」エラリーはかすかに笑った。「イソップ風に言ってもいいかい」
    「好きにしろ」警視はうなるように言った。
    「ライオンも」エラリーは言った。「ネズミに感謝するかもしれない」
     大富豪フランクリンは娘フランシスを案じるあまり、クイーン警視とサンプソン地方検事に自宅に来てもらい、その場で娘の聞き取りをするように懇願した。聞き取り捜査を終えたクイーン警視は、帰る道々、同席したエラリーに感想を求める。
     日本でもおなじみのイソップ物語だが、ニッポニカには「動物その他の世界に仮託して人間生活の諸相を描いた古代ギリシアの寓話集。」と書かれている。ここでの「ライオン」はフランクリン・アイヴズ・ポープで、「ネズミ」はクイーン警視の事を指している。分かりやすい例えだが、勿体ぶった言い回しがいかにもエラリーらしい。

    [翻訳](13章P.269)博士はよく響く声で言った。「お会いできて光栄だよ」
    「ぼくのほうこそ、ニューヨーク市の錬金術師パラケルススにして高名な毒物学者である博士に、ぜひともお目にかかりたいと思ってましたよ」エラリーは微笑んだ。
     検死官補プラウティがクイーン父子のアパートメントに、ニューヨーク市の毒物学者ジョーンズ博士を連れ立ってやって来る。パラケルスス(1493あるいは1494-1541)は「〈医学界のルター〉と称されるスイスの医師、思想家。(略) 文献よりも実験・実証を重んじて医化学派の祖とされるとともに、硫黄・水銀・塩の3原質、アルケウス、アルカナといった〈根源物質〉を想定する病因論・治療論には、錬金術、占星術、フィチーノ流のミクロコスモス・マクロコスモス照応説のほか、ドイツ神秘主義の影響が濃厚」(マイペディア)。日本でも錬金術師として名高い。エラリーも敬意とユーモアを込めて言い習わしたようだ。
     ところで、検死官補とは別に、毒物学者をわざわざ登場させているのは何故だろう。プラウティに答えさせても特に問題ないような事しかジョーンズ博士は言っていない。これはまさにヴァン・ダイン流と言える書き方だ。処女作『ベンスン殺人事件』(1926年)では銃器専門家としてカール・ヘージドーン警部が登場する。刑事・地方検事・検察医のようにおなじみのスタッフではなく、一回限りしか出てこない専門家に対しても、名前を付けて登場させる。このように勿体ぶった書き方をすることで、より現実味(リアルさ)が際立つような演出をするのがヴァン・ダインの好みだった。クイーンもそこをまねたのだ。

    [翻訳](13章P.270)「ごもっとも!」エラリーはつぶやいた。「ジョーンズ博士に助けを求めたということは、フィールド氏の体内残留物の検査で壁にぶつかったらしい。白状したらどうですか、医の神アスクレピオス!」
     今度は検死官補プラウティ自身をもちあげてアスクレピオスにたとえている。精選版日本国語大辞典(日国)によると、アスクレピオスは「ギリシア神話の医術の神。アポロンの子。半獣神ケイロンから医術を教わる。のち死者をよみがえらせて主神ゼウスの怒りにふれ、雷に打たれて星となった。」と書かれている。

    [翻訳](14章P.301) エラリーは身震いした。「たぶんメトロポリタン歌劇場とタイタス・トゥームを除けば、ぼくが足を運んだなかでいちばん陰気な劇場だね。死せる友の霊廟としてまさにふさわしい…」
     モンティ・フィールド殺害事件後、立ち入り禁止になったローマ劇場をあらためて訪れて、被害者の帽子の在処を徹底的にさぐろうとする。支配人に入口の鍵を開けてもらうと「真っ暗な一階席が口をあけている」。
     メトロポリタン歌劇場は、「アメリカ合衆国ニューヨーク市にあるオペラ劇場。1883年開場。20世紀初頭トスカニーニのもと全盛を迎え、カルーソ、シャリアピンらが出演した」(日国)。
     一方のタイタス・トゥームは、Titus' Tomb(ティトゥスの墓)の事だと思われる。ティトゥス(Titus)は古代ローマ皇帝(在位79-81)だ。「ウェスパシアヌス帝の子で、父が着工したコロセウムを完成した。在位中はベスビオ山の大爆発、ローマ大火、疫病の流行などが続いた」(日国)とある。なんと!コロセウムを完成させた皇帝だったとは。墓はいまだに特定されていないが、ティトゥスを記念する建造物に「ティトゥスの凱旋門」がある。エラリーが「足を運んだ」と言っているのは、この凱旋門の事だろうか?
     この時点(作品出版時が1929年)でメトロポリタン歌劇場は、作られて半世紀も経っている。エラリーはそこから陰気さを感じ取っているので、ローマ劇場も同じように古くて陰気な劇場だという事だろう。
     ティトゥス帝の在位中に災厄が続いたせいで、皇帝の墓タイタス・トゥーム自体が非常に陰気な雰囲気を醸すことになった。本作の中でも、けだし名言と言えるかもしれない。「死せる友の霊廟」(モンティ・フィールドを「死せる友」と皮肉っている)という例えが気取っているのが、唯一の難点だ。

    [翻訳](14章P.307) 警視は顔をほころばせた。「ご婦人にしては驚くほど早いですよ、びっくりするほどね、フィリップスさん!」
    「父は大昔にブラーニー石(キスをするとお世辞がうまくなると言われている石)に接吻したんです、フィリップスさん」エラリーは真顔で言った。
     ローマ劇場を再捜索するに当たって、是非にとパンザー支配人に早朝から依頼して衣装係のフィリップス夫人に来てもらうように段取りをつけておいた。老夫人は到着すると「お待たせして申し訳ない」と謝罪する。ニューヨーク中の犯罪者たちが恐れをなすクイーン警視ではあるが、老夫人を前にすると借りてきた猫のようになる。エラリーは是非とも彼女に確認してもらいたい事があるため、輪を掛けて上機嫌になる。ブラーニー(Blarney)というのは地名で、アイルランド南西部Cork州中部の町の事。ブラーニー城にあるブラーニー石(Blarney Stone)に
    キスをすると、お世辞(blarney)がうまくなるという伝説がある。フィリップス夫人に対しては、さしものエラリーも皮肉抜きで気安いユーモアを投げかけている。

    [翻訳](15章P.336)「知っているかぎりで答えてもらえるかな、ラッソーさん」 エラリーは冷ややかに言った。「騎士レアンドロス(恋にゆえに命を落とした、ギリシャ神話に出てくる青年)とのけだし親密な、長い付き合いから知るかぎりで――フィールドはシルクハットをいくつ持っていただろうか」
     モンティ・フィールドの愛人ラッソーが、かつてフィールドとパートナーだった弁護士ベンジャミン・モーガンの事務所から出て来たところを、尾行していたヘイグストローム刑事がとらえて警視のもとに連行した。
     レアンドロスとは、古代ギリシアの物語に出てくる主人公の名前だ。「ヘレンポントス海峡を挟んでアジア川の町アビドスに住むレアンドロスは、対岸の町セストスでアフロディテに仕える巫女ヘーローに恋をする。彼は、夜ごと彼女が塔にともす明かりを目標に海峡を泳ぎ渡り、恋人との人目を忍ぶ逢瀬を重ねる。しかしある夜嵐のために明かりが消えたため、方向を失ったレアンドロスは力尽きて溺れ死ぬ。これを知ったヘーローも海に身を投じる」(ニッポニカ)。
     ラッソーと亡くなったフィールドとの親密な関係をヘーローとレアンドロスとの関係になぞらえている。ただし、エラリー自身はラッソーとフィールドとの関係を悲恋とは考えていないので、あくまで歯が浮くようなおべんちゃらでラッソーのご機嫌をとっている感じがする。

    [翻訳](17章P.376) エラリーはそこで口をつぐみ、目を輝かせた。(略)
    「しかし」エラリーは父親の顔を魅入られたように見つめながら、ゆっくりと言った。「セネカの黄金の屋根にかけて、見落としたものがある――そう、たしかに見落としてたよ!」
     ずっと探し続けたフィールドの帽子の在処は、最終的に彼のアパートメント以外には考えられない。そう推理したエラリーは、父と地方検事補クローニンを引き連れてアパートメントを捜索するが見つからない。しかし、最後の最後にフィールドの寝室に見落としたものがある事に気がつく。
     エラリーの言葉に出てくるセネカとは「小セネカ(前4ー後65)」である。小セネカは、ローマの修辞学者である大セネカ(前55-後39)の息子にあたる。「ローマの後期ストア派の哲学者、詩人。ピタゴラス、プラトン、エピクロス、キュニコス派に多くの点で影響を受けつつ、ストア主義の正統を守って哲学を理性的存在である人間の唯一の目的、幸福、善としての徳の修練に結びつけ、倫理生活の根本原則は自然に従って生きる事にあるとした」(ブリタニカ)。
     だから何なんだと言ってもうまく言えないのだが、「ストア主義の正統を守る」事を重視した哲学者だという点が重要なのだろう。ストア主義とは「克己・禁欲・義務を重んじ、感情にとらわれず、毅然として運命を甘受する態度」(広辞苑)の事を指す。倫理的に自然に生きる事が重要であり、それ以外の快楽は幸福とは無縁だという事。その象徴として「セネカの黄金の屋根(roof of gold)」がある。「黄金の屋根」は「豪華な住まい・贅沢な建築・見せかけの富」の象徴であり、それ自体に価値が伴うものではない事を比喩的に表現している。
     まさにフィールドの寝室にて見かけは「豪華で贅沢に見えるもの」に本質的なもの(帽子)が隠されているという事にエラリーは気づくのだ。

    [翻訳](17章P.381)「メネ・メネ・テケル・ウパルシル(旧約聖書のダニエル書第五章二十五節にある、古代バビロニア王国の王宮の壁に現われたという滅亡の預言。意味は「数えられり、数えられり、量られり、分かたれり」)」エラリーは笑った。「この場合は、”羽目板に現れた文字"とでも言うべきかな。さあ調べよ、マクダフ(シェイクスピア『マクベス』で、マクベス王を討つ者)!」
     ようやくたどり着いた帽子の隠し場所から、フィールドのシルクハットが4つも見つかる。それぞれの帽子には何が隠されているか。エラリーは楽しげに「さて、では中を見てみよう」と言うかわりに、聖書の言葉を引用している。
     前半は旧約聖書ダニエル書の一場面。亡き父ネブカドネツァル王がかつてエルサレムの宮殿から奪って大切に祭壇に祀ってきた金銀の祭具を、バビロン王国の王ベルシャツァルは宴に使うために持ってこさせたため、侮辱された神が王宮の白い壁に文字を刻んだ。文字には「ベルシャツァルの治世を『数えて』終わらせ、『量を計る』事で不足と判断し、『分ける』ことで王国を二分してメディアとペルシアに与える」と書かれていた。その夜にベルシャツァルは殺された。
     このエピソードは一般的に「滅亡の預言」として知られているようだ。エラリーの口調から「鬼が出るか蛇が出るか」のような軽いユーモアが感じ取れる。
     後半の「さあ調べよ、マクダフ!」という台詞は、シェークスピアの戯曲『マクベス』でマクベスとマクダフとが一騎打ちをする際のマクベスの言葉だ。戯曲ではマクベスが「かかってこい、マクダフ!(Lay on, Macduff!)」と言うのだが、それをもじってエラリーは「さあ調べよ、マクダフ!(Examine on, Macduff!)」と、クローニンに言う。
     本作ではまだ控えめだが、この後の作品でエラリーが思慮深くなるに連れて聖書からの引用も増えていく事になる。

    [翻訳](18章P.395)「これほど使えなくて、腹立たしくて、中身のない報告書は見たことがない!」警視は怒りの声をあげた。
     エラリーは微笑した。「ペリアンドロス(古代ギリシャの七賢人のひとり)はもちろん知ってるね…どう? ほどほどにするんだな、警視さん…コリントスのペリアンドロスはしらふのときこう言ってるよ。”勤勉に不可能なし!"」
     ヴェリー部長刑事が届けた報告書を読みながら、クイーン警視は何の進展もない事に苛立って声をあげる。エラリーは父を優しくなだめる。
     ペリアンドロスは「古代ギリシア、コリントの僭主にしてギリシアの七賢人の一人。怠惰や奢侈を禁じ、産業、商業を奨励したため、コリントは繁栄をきわめた」(ブリタニカ)。僭主(せんしゅ)とは「非合法の手段によって政権を奪取し、独裁制を樹立した人物」の事を指す。同じく七賢人とは「前6世紀前半にでたギリシアの傑出した治者7人」を指す。特に七賢人の格言には「汝自身を知れ」「極端を慎め」「苦痛を生む快楽を避けよ」「利得は飽くを知らぬもの」「年長者を敬え」「友人たちに対しては、彼らが幸運なときにも不運なときにも同じ人であれ」「市民たちにはもっとも快いことではなくて、もっともよいことを忠告せよ」などが後世に伝えられている。しかし、エラリーの言う「勤勉に不可能なし!」という格言は見当たらない。
     Copilotに訊くと、ペリアンドロスには「節度を重んじる言葉は多いが、勤勉や努力を称える表現は少ない」らしい。一方で、英国の詩人・批評家であるサミュエル・ジョンソン(1709-1784)は、自著『アビシニアの王子ラスラス』(1759年)の中で「勤勉と技能にとって不可能なことはほとんどない。(Few things are impossible to diligence and skill.)」と書いている。そこから「勤勉に不可能なし。(To industry nothing is impossible.)」いう形で広く引用されるようになった。
     つまり、格言自体は18世紀頃に作られた(もしくは広まった)と考えられるので、「ペリアンドロスが言ってる」というエラリーの言葉は無責任でいい加減な知識のひけらかしのような気がする。

    [翻訳](18章P.397)「空き巣に恵まれた地獄(ゲヘナ)ことニューヨークよ!」エラリーは声を張りあげた。「森に住む牧神(パン)には人の世の苦難など無縁だ。(略)」
     フィールドのアパートメントからシルクハットは見つけたが、フィールドを殺害した人物を証拠立てる肝心の帽子は見つからない。ある男を雇って空き巣まがいの事をさせて証拠が出てこなかったら、いよいよ手詰まりだと嘆く警視をよそに、エラリーは前から約束していた休暇の事を考えている。
     ゲヘナとはヘブライ語で「ベン・ヒンノム(息子)の谷」の意。「ユダとベニヤミンの地の境界の一つで、エルサレムの南にある谷。王国時代に子供たちを焼いて異教の神バールに播祭として捧げた場所(エレミア書)。ユダヤ教においては比喩的に死後、罪人が罰を受ける場所、地獄の名で呼ばれる」(ブリタニカ)。またもや聖書からの用語が出て来た。
     一方、パンとはギリシア神話の牧神で、「上半身はあごひげをたくわえた老人で、山羊の足と角をもつ半獣神。音楽と踊りを好み、牧人の音楽をつかさどる」(日国)。
     クイーン警視は二進も三進もいかなくなっているというのに、エラリーは友人と一緒にメーン州の湖畔の小屋で休暇を過ごす自分を想像して楽しそうだ。そんな二人の対比を面白がって話している。

    [翻訳](19章P.421)(略)不可避なれば潔くこれをおこなえと述べた偉人たち――ラブレー、チョーサー、シェイクスピア、ドライデンらの仲間に加わってもらいたいね。(略)
     苦境に立たされた警視に対して、休暇中のエラリーから電報が届く。演繹的推理で「誰がモンティ・フィールドを殺したか」を証明できた事、その人物がたった一人でしかあり得ない事を証明できた事を報告した。さらには、犯人を窮地に追いこむ罠を仕掛けるように勧めてきた。
     「必然を美徳に変えてみろ!(Make a virtue of necessity!)」とは、古代ローマの詩人ホラティウス(前65-前8)に起源を持つ。ホラティウスは「南イタリアのウェヌシア生まれで、アウグストゥス帝の寵愛を受けた人物。技巧に優れ、知的で都会的なユーモアと人間味に富む。人間の俗物性を風刺し、文明批評的な作品も多い」(マイペディア)。この後、この格言は英国の詩人チョーサー(1340頃-1400)、シェークスピア(1564-1616)という順に使われて広まった。ラブレー(1494-1553頃)はフランスの物語作家でルネサンス文学の代表者。ドライデン(1631-1700)は英国の詩人・劇作家・評論家。真偽はともかく、ホラティウスが生み出した言葉が詩人たちの間で引き継がれていき、一般にも広まったらしい。
     エラリーは父にも、思いきって彼らの仲間入りをしてみろと勧めてきたのだ。

     以上がエラリーが〈S・S・ヴァン・ダイン風〉のペダンティックな記述をアレンジした結果だ。特徴を箇条書きにしてみる。
    ・美術評論家ライトとは違って、美術に関する知識はほとんど出てこない。
    ・英国の文学史や古代ギリシャに始まる哲学史などの知識は共通している。
    ・美術の代わりに文学(特に詩人)に関する知識が多い。
    ・意図的に聖書から引用している(まだ多くはない)。
    ・結構、いい加減な知識が多い。ヴァン・ダインは知識量が多いからか、割と正しい知識を採用している感じがする。
    ・無駄な原註がほとんど無い。ヴァン・ダインは登場人物に関する情報を原註で詳細に書き加えている。それでなくても読みにくく邪魔な注が、一気に増えてしまう。エラリー・クイーンは基本的に注を省略してしまった。
    ・エラリーの発言はペダンティックな知識と皮肉とが絡み合っている。ファイロ・ヴァンスは確かに皮肉な言い回しをするが、人間に対する皮肉とペダンティックな知識とは分離している事が多い。
     ファイロ・ヴァンスのペダンティックな物言いに辟易する人は多い。それは美術や哲学などの知識が過剰だと感じるからだ。さらには、現実には存在しない作中の人物に関する原註が過剰に存在するせいで、リアリティが増すというより無駄な記述を読まされていると感じるからだ。人間性としては高等遊民的で世間知らずであるが故に、場をわきまえずに何でもズケズケとしゃべってしまうところがあるが、根は人なつっこいので気に入った人物とはすぐに仲良くなれる。
     一方のエラリーはとにかく皮肉をまぶさないと何も言えないので、誰彼かまわずに毒を吐いている。彼と仲良くなれる人物がいる事の方が驚きだ。ヴァン・ダインが長篇を書けなくなり読者からも飽きられた頃には、クイーンも探偵エラリーの人間性を変えていかねばならなくなったのは当然の事だった。
    posted by アスラン at 01:40| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(エラリー・クイーン) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年11月09日

    ねじれた家 アガサ・クリスティー著/田村隆一訳(クリスティー文庫)

     読後に最初にやったのはクリスティーの著作一覧を探す事だ。今まで気にしてなかったのは、僕がクリスティの熱心な読み手ではなかったからだろう。手元にあるのは名探偵読本3『ポアロとミス・マープル』(1978年)だけで、この読本では基本的に「探偵の事件簿」(関わった事件順)の形式を採用しているので、他の探偵(例えばトミーとタペンス等)やノンシリーズ物については一切眼中にない。でもクリスティはひととおり読もうと思って古書を買いあさってきたので、『スタイルズ荘の怪事件』から刊行順に読み進めてきた。ならば、どうやって刊行順に読んできたのだろう。
     今となっては『アガサ・クリスティー完全攻略[決定版]』(霜月蒼)があるから問題ないと安心していたのだが、この本には刊行順の全著作リストは含まれていない。僕の基本信条としては「全作品を読む場合には原則として刊行順に読んでいく」事にしている。だが、それはクリスティーの一般的な読み手としては普通の事ではないらしい。『完全攻略』では1.ポアロ 2.ミス・マープル 3.トミー&タペンス 4.短篇集 5.戯曲 6.ノンシリーズの6カテゴリーに分けた上で刊行順に紹介している。もちろん紹介する都合としては問題ないが、読む側の都合としては、ポアロの全長編を読んだら、次にマープルの全長編に取りかかる事を強いられているように感じてしまう。
     すっかり忘れていたのだが、2003年にネットで見つけた「アガサ・クリスティ年代順長篇作品リスト」なるものを印刷して大事に保存してきた。今はURL自体が消えているようだが、代わりとなる個人サイトにて『アガサ・クリスティー作品リスト(刊行順)』(都会草庵ブログ)が入手可能だ。もちろんWikipediaにも「アガサ・クリスティの著作一覧」が掲載されている。だが、できれば『完全攻略』に全著作刊行順一覧が掲載されているのがベストだったと思う。

     なんで読後にジタバタと著作一覧を探したかというと、本書の巻末にある解説(評論家・末國善己)に次のような一節があるからだ。
    『ねじれた家』は、(略)不思議な作品である。ミステリ史に残る大トリックを数多く創出したクリスティーが、晩年に到達したのが、こうした枯淡な味わいの世界だと思うと、感慨深いものがある。
     「晩年に到達した…枯淡な味わいの世界」というのは本当だろうか。それを確かめるためには刊行順のリストが必要だったわけだ。『ねじれた家』は1949年に出版された。クリスティーが59歳の時だから、果たして「晩年」と言えるだろうか。しかも86歳まで生きて最後に執筆したのが『運命の裏木戸』(1973年出版)なので、83歳まで執筆を続けた事になる。長篇は全部で66作あり『ねじれた家』は39番目に当たる。その直後にマープルもの『予告殺人』(1950年)を書き、『ポケットにライ麦を』(1953年)、『パディントン発4時50分』(1957年)、『鏡は横にひび割れて』(1962年)などが続々と待ち受けている。本作が「晩年に到達した…枯淡な味わいの世界」とは到底言えないような精力だろう。

     ただし、解説で「不思議な作品」だと書かれている事については同意する。クリスティーにしては分かりにくいという意味で、めずらしい作品だ。冒頭、語り手でもある外交官チャールズはソフィアと出会い、恋に落ちる。待ち受けている海外勤務を終えたら求婚したいと伝えると、ソフィアはチャールズがその気なら求婚しにきてかまわないと思わせぶりな態度で答える。その上、思わせぶりな歌(マザーグースの「ねじれた家」)で、自分の身の上を説明する。二年が過ぎてチャールズが英国に戻ると、ソフィアの祖父アリスタイド・レオニデスの死亡広告が待ち受けていた。ソフィアと連絡を取ると、祖父殺害の犯人が分かるまでは結婚できないと言われる。チャールズは、ロンドン警視庁副総監の父からの助言もあって、レオニデス家に潜入して事件を捜査する事になった。
     読み出して最初にやったことは、レオニデスの家系図を作る事だ。普通は不要な作業だが、本作の場合は一人一人がクローズアップされることが極端に少なく、ことに前半は人物像も輪郭をともなって現れないし、住んでる建屋もなんとなくぼんやりしたままなのだ。そのため、それほど多くはない登場人物を家系図に当てはめて、ちらちらと確認しながら読んでいった。
     そもそもマザーグースものとしても異例の書き方だ。クリスティー自らがお手本となるような『そして誰もいなくなった』を書きあげ、この後にも『ポケットにライ麦を』で同様な趣向を用いることになるが、本作では「見立て殺人」は行われず、殺害された当主アリスタイドの犯人捜しに終始する。そのせいか、どこまでいっても散漫な印象が続き、相変わらず思わせぶりな言動が続き、いっこうに収まる気配がない。

     流れが変わるのは、遺言状の謎が明らかになると同時に「第二の殺人」が遂に実行された時だ。それ以降は焦点が次第に合ってくるように、「ねじれた家」に住む「ねじれた人間たち」が本音をぶつけ合う、あるいはチャールズに向けて本音を吐露する描写が増えていき、思わせぶりな言葉が特定の方向に僕らを導いているかのように感じられる。これは明らかにいつものクリスティーの文体だ。一見すると緩慢な描写に見えて、登場人物たちの思わせぶりな言葉や語り手の心象から、非常に切迫した状況が立ち上ってくる。そのすべてがくっきりと像を結ぶのは一体どのタイミングだろうかと、読者はドキドキしながらページを繰るのだ。ネタバレになるのでこれ以上は何も言えないが、この「不思議な作品」は再読を読者に要求する。初読では散漫な印象だった前半から、すべては著者によって巧妙に仕組まれていたのだ。クリスティーの愛読者ならば確かめずにはおられまい。

     さて、今回「刊行順に読む」という方針をやぶって本書を読んだ理由は、『ミステリな建築 建築なミステリ』(文 篠田真由美/イラスト 長沖充)の第二部「ミステリを建築で読む」で紹介されているからだ。具体的な建物描写は外観・内部ともほとんどないと思っていたが、篠田さんの文で、ある程度ハッキリとした。正直言って、レオニデス邸ってこんな立派な家だったのか。
     信じられぬ光景だった! 私はスリー・ゲイブルズ(三つの切妻)と呼ばれているわけがわからなかった。イレブン・ゲイブルズ(十一の切妻)といったほうが、ふさわしいのに! 奇妙なことに、家は見なれない具合にねじれていた(略)
     これは翻訳に文句をつけたいところで、「スリー・ゲイブルズ」をずっと地名だと思っていた(ちなみに「スルミナ」は人名だと思っていて「スルミナの母」って誰?と、家系図に現れない名前を探し回ったりした。)
     「ゲイブル(gambrel あるいは「〜roof」)」は、腰折れ屋根・入い母屋屋根の事だ。三つ並ぶと「三破風館」(スリー・ゲイブルズ)となり、見なれた言葉になる。これが当主アリスタイド、長男ロジャー、次男フィリップのために三倍に増改築したので「十一破風館」(イレブン・ゲイブルズ)になったわけだ。さすがに平面図は書けないだろうと思ったら、案の定、図はないが文章で全体像を補ってくれている。
     他にも「木骨石積み造り」とは「ハーフティンバーのコテッジふう」で、ハーフティンバー(half-timbered)とはランダムハウスによると「〈家・建物が〉外面真壁づくりの、ハーフティンバーの、英国中世の柱・梁などを外面に現し、その間をれんが・しっくいなどで埋めた建築様式についていう。」と書かれている。
     本書再読の際には、『ミステリな建築 建築なミステリ』をかたわらに置きながら読むことにしよう。

     蛇足ながら、本書の後半で結末が近づいてくると「これは、あれなんじゃないだろうか?」と気づいた事がある。同時期のミステリ作家は互いの動向が気になるらしく、「クリスティーは他の作家のある有名な作品の結末を、別の視点で書いてみたのではないか」という疑問が頭をもたげた。そうなると偶然にも『ミステリな建築』の第二部の並び順は、クリスティが結末を書き替えた作品の次に配置したようにしか思えない。この事を引用すれば直接ネタバレする事はなくなるので好都合だなと思ったら、すでに著者自身の文章にその通りの事が書かれていた(誰の何という作品なのかも)。しかも参考文献として、例の『アガサ・クリスティー完全攻略[決定版]』が挙げられている。未読なので全然気づかなかった。
     実際に読んでみると「あの名作のトリビュート作品では?」という観点で『ねじれた家』の分析を行っている。ただし、『完全攻略』の解釈では、クリスティーが結末を書き替えたのは「○○」ではなく、「○○」が結末を書き替えた「△△」の方だったのではないだろうか。
     「名作」のほうは「必要性はあるんだけど書きすぎで展開がもっさりしている」という、あの著者らしいものであり、(略)
    という部分を読んでも、「△△」の方が「展開がもっさりしている」。いや、そもそも「あの著者」の全作品に「もっさりしている」という形容が当てはまるはずだ。その上で『ミステリな建築』ではハッキリと「○○」と書いているので、著者(篠田さん)も僕と同じように「クリスティーは△△ではなく○○を書き替えている」と思ったという事だろう(一部の本格推理愛好家以外には何のこっちゃわからん話に過ぎないが)。

     いずれにしろ、本書は癖があって前半は読みにくいが、後半からは非常にスリリングな展開で読ませる。その上、再読する事で真価が見えてくるという作品で、「読者を選ぶ」傾向がある。例の「晩年に到達した…枯淡な味わいの世界」という解釈は、前半に限って読みにくくて思わせぶりに終始するところが、これまでのクリスティーとは違って癖のある書き方になっているので、評論家が思い違いをしたのかもしれない。だが、事件解決後の父とチャールズとのやり取りがあまりにあっさりとしている点などを考えると、「枯れている」という解釈もあながち間違いとも言い切れない。ただ、正直言って「書きたい結末に書き替えた」事にクリスティー自身が満足した結果、以後は急激に関心が薄らいで、あっさりと文章を終えたと考えると辻褄があう。
    posted by アスラン at 21:00| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) |  書評(アガサ・クリスティー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年11月03日

    七人の侍 新4Kリマスター版(2025年) (TOHOシネマズ立飛)

     半世紀も前に大人向けの映画を初めて映画館で観た。それが『七人の侍』だった。以後、映画館で観る機会は訪れずテレビで放映される度に、その場で運が良ければ見る事ができた。家庭用ビデオレコーダーが普及してからは運が良ければ録画できたが、VHSテープに録画していたので画質に問題があった。TSUTAYAが登場する前のレンタルショップを探し回っては、黒澤映画とくに『七人の侍』は置いてない事を確認してガッカリした。
     やがてTSUTAYAが街のレンタルショップを駆逐して、名画の数々を品揃えするようになり、ついに4Kリマスター版が借りられるようになり、やがてはテレビでも見られるようになった。ある意味、いつでも好きな時に見られる名作の一つとなったけれど、70年代に映画の楽しさを教えてくれた「映画館で映画を観る」という体験は相変わらず訪れる事はなかった。

     週末のほとんどを映画館めぐりに費やすことができた若い日々とは違って、家族の事・体調の事で週末のほとんどが奪われてしまう現実を前にして、三時間半にもおよぶ大作を勝手気ままに観ることなどおいそれとできるものではない。今回の新4Kリマスター版も到底観ることはないと思っていたので、僕にとっては奇跡が起きたに等しい出来事だった(大げさだと思われるかもしれないが、子供の事で日々の多くの時間が埋まっていく生活をもう十年以上も続けているのだ)。
     9:00〜13:45という上映時間を大満足で過ごして立川駅に戻って自宅に電話すると、「昼食を作ってるからすぐに戻ってこい」と息子が相方の言葉を伝えた。夢のような時間は終わり、いつもの現実が待ち受けている。帰って昼食作りを引き継ぎ食べ終わったら「さすがに長すぎない?」と相方から愚痴を言われた。映画は好きだが、趣味も観てきた映画も違う相手に「三時間半の映画が決して長くはない」事を説明しても理解はしてもらえまい。ただ受け止めた。

     しかし、タイパという言葉も無ければ、コスパという言葉すら無かった時には、今のように「三時間は長すぎる」などと言われる映画など存在しなかった。あるのは「面白い映画とつまらない映画」だけで、当然ながら面白い映画は「長ければ長いほど贅沢」であって「長すぎる」事はなかったのだ。今はサブスクで映画が自由に見られ、映画以外に視聴できる選択肢が山ほどあり、なにより映画が娯楽の中のほんの一つにすぎない。そんな時代を生き延びた映画をあらためて観ることができる幸せをかみしめながら、僕等は「長くて面白い」この映画の記憶を伝えていければいい。

     今回の新4Kリマスター版はとくに音質の改善を試みたそうだ。ネットでも音質の課題についていろいろと取り沙汰されていたが、そもそも農民の嘆きがすべてクリアに聞き取れる方が望ましいのかどうかは疑問だ。不明瞭であっても状況が伝わりさえすれば、あとは悲鳴にも似た心の内が伝われば十分なのではないだろうか。そんなことを感じながら映画を観た。あえて言うと、今回の新4Kリマスター版で流れる音楽を聴くと、早坂文雄さんの音楽が例の勇壮な音楽や和のテイストの音楽を主調音としながら、モダンで現代音楽風なタッチの音楽をうまくミックスしている事にあらためて気づかされた。

     そしてなにより、半世紀前の七人の侍たちのいずれもが若い。いくさ(人生)を繰り返し、いつの間にか何一つ大願を成就せずに老いたと嘆く勘兵衛に扮する志村喬が、自分には驚くほど若く見える。侍たちの嘆きが今の自分自身の嘆きそのものになったことに気づかされるのが、今回の新4Kリマスター版を観る事の最大の意義なのかもしれない。

    (以下は2008年に書いた『七人の侍』に関する文章だ)。

    七人の侍(1954年) 〜2008年9月6日〜
    七人の侍.JPG
     先日NHK-BSで黒澤明監督の代表作「七人の侍」を放映した。DVDレコーダーに予約録画したから、後日ゆっくりと見るつもりだったのに、息子が風呂からあがるのを待っている間にふとチャンネルを合わせると、宿場町で村人が侍を探す名シーンが飛び込んできて、思わず釘付けになってしまった。おかげで、子供を寝かしつけたあとで尻切れトンボになった半端な気持ちを満足させるために、端折りながらだが最後まで見てしまった。

     映画が終わってからの解説コーナーで若い視聴者のコメントが紹介された。「私はまだ映画館で『七人の侍』を見たことがない。テレビで見ると画面の比率がテレビ用にカットされているので残念だ。」という意見だった。確かにエンディングで4人の侍が葬られた盛り土の墓が全部収まってない感じがするので、ひょっとしたら少し両端がカットされているのかもしれない。ただしシネスコで見た記憶はないので調べてみると、公開時点ではシネスコ技術自体が日本に入ってきていなかった(日本初のシネスコ映画は1957年だそうだ)。スタンダードサイズで撮影されているので、本来なら普通のアナログテレビの画面に収まると思っていたのだが、そうでもないらしい。いずれにしてもテレビでは迫力が半減するので、映画館のスクリーンで見られるに越したことはない。

     しかし如何に世界に冠たる記念碑的作品とは言え、50年以上も前の作品を「映画館」で見る事は容易ではないのが現実だ。コメントを寄せた若者にはご愁傷様と言うしかない。僕は幸いな事ながら映画館で見ている。しかも、この映画を見た事でその後の映画好きが決定的になった、文字通り記念すべき映画体験だった。

     もちろん公開当時は生まれていない。おそらくリバイバル上映ということで、当時の名画座ではなくロードショー館で上映された。記憶が定かではないが、今は無き日比谷映画かみゆき座だったと思う。小学6年の年だとすると1974年なので、20周年を記念してのリバイバルということで辻褄が合いそうな気がする。

     たまたま大阪に住む叔父さんが出張で我が家に泊まって、オフの日曜日に気まぐれに僕を映画に連れていってくれたのだろう。数年前にその思い出を本人にぶつける機会があったが、まったく記憶にないと言う。まあ、多感な少年の思い入れに叔父さんが気づいていた訳がないか。だから、どうしてこの映画だったのかはついにわからず仕舞いだが、この〈超娯楽大作〉ならば小学生の僕にも楽しめるとはずだと思ったのか。

     当然ながら今のシネコンみたいに全席予約などない時代だから行列に並んだ。通路を最高列近くの扉から入っていったが、叔父と僕が飛び込んだ時にはすでに席は埋まって立ち見は決定的だった。でも、この映画館は毛足が長い絨毯が通路に敷き詰められていたので、叔父さんは中央席の列の両側にある通路に座ってみることを選んだ。こんなところで見るなんて初めての経験でびっくりした。しかも座ってみればスクリーンは近くにあってかぶりつきの最高の席だった。

     「ド、ド、ドン、ド、ド、ドン」という低く重い太鼓とともに白く太い文字で出演者やスタッフの名前が右に、左に大胆に傾けて画面に映し出されたのを覚えている。実は映画の内容に小学6年生の子供がどう感動したか、それとも感動しなかったか、まったく記憶がない。いや面白かったのは確かだ。その記憶がなければ、さきほど言ったように映画を見ることが、言ってみれば「人生の幸せ」であるかのような日々を、その後送ることはなかったと思うからだ。でも、映画そのものの感動が封印されるよりも、「映画館で映画を観る」という体験にこめられた奇跡の方が、僕には重要だった気がする。3時間を越える大作のあいだに休憩が入るのも初めての経験だった。しかもスクリーンが「休憩」の文字を写しだして第一部が終わったのだ。

     そして、この日9月6日は黒澤監督の十回目の命日だった。十年前の今日、監督は鬼籍に入られ、十年後のこの日に僕ら親子は魚から姿を変えた女の子が少年に会いにくる映画を見ていた。津波の圧倒的なパワーにも負けない女の子と、それとは対照的な優しい心をもった少年とのドラマに胸がいっぱいになった。その夜に日本映画最高峰の映画を見た。この偶然が嬉しかった。映画は映画を呼ぶ。そして宗介少年が、少年の心を持ち続けた黒澤監督の魂を呼び寄せた。そう思いたい。
    posted by アスラン at 23:43| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 記憶の映画・ドラマを探して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年10月31日

    エラリー・クイーン『ローマ帽子の秘密』を散策する(その2)

     (その1)ではgoogleマップを駆使してクイーン父子の動線を追う事で、「パズラーに無縁なものは何一つない」(『エラリー・クイーン パーフェクトガイド』)事を検証した。だが、実は「パズラーに無縁なもの」はちゃんと存在しているのだ。それは、論理的な推論を語るときには饒舌なエラリーが、ときおり話の腰を折るように口を突いて出てくるペダンティックな知識だ。
     エラリーの小生意気な態度から皮肉が込められている事は十分に伝わってくるのだが、何を言わんとしているかを理解している者は、父を含めて作中には誰もいないのではないか。当然ながら読者さえもがついていけない。まさにペダンティックな趣向を言葉の端々に織りこんで相手を煙に巻いている。これが「パズラーに無縁なもの」である事は明らかだろう。しかし、著者エラリー・クイーンにとっては必要不可欠な趣向だったはずだ。なぜなら、当時の彼らにとっての「パズラー」イコール「S・S・ヴァン・ダイン風のパズラー」だったからだ。

     では、〈ヴァン・ダイン風〉とはどのようなものだったか。1923年にデビュー作として出版された『ベンスン殺人事件』から引用してみよう。『ローマ帽子』も新訳なのにあわせて、『ベンスン』も新訳(日暮雅道)の文章を用いる。ちなみに探偵はファイロ・ヴァンス。ヴァンスの法律顧問を務め、小説の語り手でもあるのがヴァン・ダインだ。探偵の相棒役と著者とが同名なのにインスパイアされて、作家エラリー・クイーンは著者と探偵とを同名にした。クイーンの小説が三人称であるのとは違い、ヴァン・ダインの小説は一人称であり、ヴァンスの言葉だけなく、描写や解説をするヴァン・ダインの言葉も、ともに著者のペダンティック趣味が色濃く反映されている。(翻訳の丸括弧内は訳注である)。

    [翻訳](1章P.13)前日の午後、ヴァンスはヴォラール(印象派絵画の蒐集で知られる、パリの画商)のセザンヌ水彩画コレクション内覧会を見にケスラ−画廊へ出かけたのだが、(略)
    [翻訳](1章P.17)「このヴォラールって男だが」ヴァンスはずいぶんたってから口を開いた。「芸術を畏敬してやまないこの国に、ずいぶん気前のいいところを見せてくれたんだな。所有しているセザンヌの中でも、なかなか悪くないコレクションをこっちへ送ってくれている。きのうはそこそこ感心しつつも、なにしろケスラーに目をつけられていたから、つとめて平然と拝見したんだがね。今朝画廊が開いたらすぐに、きみに買ってきてもらいたいものにしるしをつけておいたよ」
     新訳では人名などの直後に簡潔な訳注が挿入されている。日本の読者がとまどわないようにという配慮なのだが、ペダンティック趣味の単語が多数羅列されている場合には、訳注が文章の流れの邪魔になる。あるいは、せっかく勿体ぶって書いているのに、訳注を挟む事でペダンティックな雰囲気が損なわれてしまう。そもそも本国でも「ヴォラール」を知っている人が少なかったとしたならば、わざわざ訳注を挿入する意味があったのかも疑問だ。
     いずれにしろ、著者S・S・ヴァン・ダインのペダンティックな趣向の原点は、彼が美術評論家ウィラード・ハンティントン・ライトだという事にあった。評論家としては大成しなかったライトは、美術や哲学に一家言ある事をヴァン・ダイン名義のミステリの中で表現しようとしたのだ。

    [翻訳](5章P.77) ヴァンスはものうげに言い訳した。「いやいや、ヴァン、僕は感情的に、いや、最近は言葉の使い方が間違っているほうの人間的になるつもりはないよ。テレンティウス(ローマの喜劇作家)に同調して、『私は人間だ。人間に関して私に無関係なことは何ひとつない』なんて、僕には言えないな。(略)」
     ヴァンスが常日頃とは違ってベンスンの殺人事件についての新聞記事を読みあさっているのに、ヴァン・ダインが驚きを示す場面。日国によると、テレンティウスは「古代ローマの喜劇作家。カルタゴ生まれ。」で、「私は人間だ。人間に関することは他人事とは思えない」などの名句を残したそうだ。また、ニッポニカによると、この句を「カール・マルクスが終生の信条とした」と書かれているところを見ると、単にトリビアな知識をひけらかした訳ではなさそうだ。

    [翻訳](5章P.79) (私注:地方検事マーカスに向けて)「やあ、リュクルゴス(紀元前九世紀ごろのスパルタの立法者)君」と、ヴァンスが迎え入れる。
     日国によると「古代スパルタの立法者。スパルタの国制や生活規定を定めたといわれる。伝説的な人物とする説もある。」と書かれている。古代ローマやギリシャの偉人については、僕を含めた多くの日本人にはなじみがない。だが日本人が中国の偉人を知るように欧米人にとっては当たり前のようになじみがある名前なのかもしれない。あるいは欧米の知識人しか知らない名前かもしれない(こちらの方がありそうだ)。

    [翻訳](1章P19) 東三十八丁目にあるヴァンスのアパートメント(略)は、東洋と西洋、古代と現代の稀少な美術の実例で埋め尽くされているものの、決して詰め込みすぎとはなっていない。絵画は広くルネサンス以前のイタリア美術からセザンヌやマティスまで、オリジナルの素描コレクションの中にはミケランジェロからピカソのものまで広範囲の作品がちりばめられていた。ヴァンスの集めた中国の版画は、この国随一のすばらしい個人コレクションになっており、李龍眠(北宋の画家)、李安忠(南宋の画家)、高克明(北宋の中国画家)、夏珪(南宋の山水画家)、牧𧮾(南宋の水墨画家)らの佳品が含まれている。
     美術評論家ライトの面目躍如たるところは、このようなヴァンスのアパートメントの描写に現れる。専門家や好事家でもないと理解不能な中国画家の名前がズラズラと並び、次から次へとペダンティックな知識が盛りこまれる。「決して詰め込みすぎとはなっていない」とは言うけれど、このような文章が全編にわたって続くと、度を超しているとしか言いようがない。

    [翻訳](9章P.133)「(略)マーカム――それに、いい助言ってのはどれもそうだけど、しゃれた言い回しじゃないか。…まったくね、最後に頼りになるのは忍耐――ほかにどうしようもないとき、とるべき手段は忍耐だ。(略)忍耐は”悲しみの奴隷"であり、”形を変えた苦悩への特効薬"でも、"偉大な勇者の唯一の受難"でもある。ルソーは、『忍耐は苦いが、その実は甘い』と書いている。(略)ヴェルギリウスいわく、『すべての不運は耐え忍ぶことによって告白される』。ホランティウスもこの主題で言ってるな。『難しいが、訂正の不可能なものは耐え忍ぶことによって容易になる』」
     ジャン・ジャック・ルソーはフランスの作家にして啓蒙思想家、ヴェルギリウス(ウェルギリウス)は古代ローマ最大の詩人、ホランティウス(オウィディウス)はローマ帝政初期の詩人だ。美術だけでなく美学の評論家でもあったライトは、「忍耐」について一言物申すために、くどいほどの知識をひけらかす。
    ルソー La patience est amère mais son fruit est doux.(忍耐は苦いが、その実は甘い)
    ウェルギリウス Superanda omnis fortuna ferendo est, quoth Vergil.(すべての運命(不運)は、耐え忍ぶことによって乗り越えられる)
    オウィディウス Durum! said he, sed levius fit patientia(それは厳しいが、忍耐によって軽減される)
     くどいことはくどいが、原文をきちんと引用している点は評価できる。当初想像していた以上にペダンティックな趣向を律儀に盛りこんでいる。
         ♥♠♦♣
     ではエラリー・クイーンは、この〈ヴァン・ダイン風〉をどのようにアレンジしたのだろうか。それを一箇所一箇所見ていこうと思う。幸いな事にクイーンの小説は三人称の語り手を採用しているので、ペダンティックな趣向はエラリーの会話の中にしか現れない。

    [翻訳](2章P.44)「正直に言うと」エラリー・クイーンは休みなく視線を動かしながら言った。「こっちはお愛想を返す気になれないね。愛書家の至上の楽園から急に引きずり出されたんだから。あの店主からファルコナーの貴重きわまりない初版本を売ってもらえそうになったんで、本部にいる父さんから金を借りるつもりだったんだ。(略)」
     父クイーン警視からローマ劇場に呼び出された若き自信家エラリーの初登場シーン。ブリタニカ国際大百科事典によると「フォールコナー(Falconer, William)(1732-1769)はイギリスの詩人。スコットランド出身。船員として経験したギリシア海岸での遭難を歌った長詩『難船』(1762)などで知られる。インドへの航海途上で船が難破し、三十代の若さで亡くなった。」と記載されている。つまり、知名度としては海洋文学や18世紀の詩を専門とする一部の人に限定されるようだ。このような作家の初版本は入手がかなり困難だ。美術の専門家ではない二人の若者が選んだ道は「愛書家の探偵が活躍するミステリ」だった。後にフレデリック・ダネイは書籍収集を趣味とするようになったが、すでにこの頃から愛書家の素養があったのかもしれない。

    [翻訳](2章P.61)「わかった、フリント、待機するように」
     刑事は重い足どりで歩き去った。エラリーがゆっくりと言った。「若きディオゲネスがシルクハットを見つけてくるなんて、本気で思ってたわけじゃないだろうね」
     百科事典マイペディアによると、ディオゲネスは「古代ギリシアの哲学者。キュニコス学派の代表的人物。禁欲・自足・無恥を信条とし、因習から解放された自由生活を実践。」とある。奇行が多く「裸同然の風体、公衆の面前での性交、白昼に明かりを手に〈人間はおらぬか〉とよばわった」という逸話がある。サラッと書かれているが、かなり"ヤバい"哲学者だったようだ。当のフリントは「若くたくましい私服の刑事が…」「きみの若々しい筋肉を働かせて、腹這いでシルクハットを探してもらいたい。」(P.56)と描写されるように筋肉が自慢の刑事というだけだ。奇行が過ぎる哲学者にたとえるのは行き過ぎだろう。

    [翻訳](3章P.66)「大昔の肉屋の不幸な過ちを繰り返さないように用心してもらいたいな。四十人も弟子のいた親方が、いちばん大切な包丁を探して、みんなでそこらじゅうを引っ掻きまわしたあげく、包丁ははじめから親方の口におさまってたっていう話だよ」
     どうやら出典は中国の『笑府』などの笑話集らしい。これが19世紀末〜20世紀初頭に英訳され、ジャイルズ『Chinese Anecdote(東洋笑話)』の中の「Butcher and the Knife」として紹介された。念には念を入れて劇場内を捜索した方がよいという教訓話を垂れているのだが、エラリーの皮肉もたっぷりと込められている。

    [翻訳](3章P.75) ジェス・リンチはしばらく真剣に考えてから、言い切った。「十分くらいでした。(略)ぼくが瓶を持って劇場にはいったときには、女の子がギャングのアジトでつかまって、悪者にきびしく責められる場面になってましたから、十分くらいだとわかるんです」
    「目端が利く若きヘルメスよ!」エラリーはつぶやき、急に笑顔になった。
     頼まれたジンジャエールを被害者に手渡した時刻を売り子ジェスに確認した場面。ヘルメスは「ギリシア神話の神。商業、牧畜、旅人、盗みなどをつかさどる」。ただし、逸話が多く、日国・広辞苑の語釈を読んでも今ひとつ本文の説明がつかない。マイペディアには「アポロンの牛を盗んだ話、竪琴の発明、百眼の怪物アルゴスの殺害など、その機知と抜け目なさにまつわる多様な伝承がある。」と書かれているので、売り子をヘルメスと呼んだ理由がようやくわかった。

    [翻訳](4章P.92)「ささやかな幸運にも感謝しなきゃね」エラリーは微笑した。「ひとつの過ちは二十の過ちを生む」
     小悪党"牧師"ことカザネッリに「最後に(被害者)フィールドと会ったのはいつだ」と警視が質すと、思わず「モンティ・フィールドなんて知らない」と答えてしまう。その事を指して「ささやかな幸運」と表現しているのだが、「ひとつの過ちは二十の過ちを生む」の出典は分からない。日本語の「二度あることは三度ある」という格言と同じ事を表現したのかもしれない。二十の過ちとは少し誇張が過ぎるので著者の創作の可能性もある。

    [翻訳](7章P.153)「理性を失わないでもらいたいな、平和の守護者どの(ムシュー・ル・ガルディアン・ド・ラ・ペ)」エラリーは声をあげて笑った。
     エラリーが劇場の案内係マッジ・オコンネルから重要な証言を聞き出したと知ったクイーン警視は、自分が聞いたときには話さなかったと癇癪をおこす。直後のエラリーの台詞だ。ムシュー・ル・ガルディアン・ド・ラ・ペ(Monsieur le gardien de la paix)はフランス語で、それを直訳したのが「平和の守護者どの」だ。市民が警察官に対して敬意を込めて呼びかける際の言い回しらしい。
     この場面では、エラリーが敬意と愛情を込めて父に呼びかけているのだが、同時に自らの知識をひけらしているとも言える。警察官である警視には言葉の意味は伝わっているし、同時に著者クイーンはこの表現の意味が伝わる読者に意図的な演出を行っているとも考えられる。残念ながら日本にはこのフランス語は伝わっておらず、本来ならば原註が必要なところだ。

    [翻訳](7章P.155)「父さんはあれこれ考えて手いっぱいだったけど、ぼくはソクラテスみたいに突っ立ってればよかったんだから」
     エラリーは、演繹的推理を駆使して「犯人が逃走する事無く劇場にいた」事を証明してみせる。クイーン警視は「もっとしっかり考え抜かなかった」自分を卑下するが、エラリーは珍しいことに父をやさしく慰める。
     ここで引き合いに出されるのが、おなじみのソクラテスだ。マイペディアでは「世に盛んなソフィスト流の知や徳に異を唱え、〈無知〉の自覚(〈汝自身を知れ〉)のもとに、厳密な論理と方法とをもって真の知=徳に至る道を説いた。」と書かれている。これは弟子のプラトンがソクラテスの死後に書いた数々の文章で、師ソクラテスの教えを評価したからだ。
     しかしマイペディアでは、続けて「その哲学は、ソフィストたちの多様な意見や自由な主張の展開を、ことごとく〈知・無知〉〈知るとは何か〉という抽象的・根本的な問いに収斂させてしまうものであり、現代では西欧哲学の観念論・主知主義、悪しき知性主義の伝統の祖ともいえるとの批判もなされている。」とも書かれている。『ローマ帽子』執筆当時の著者がどのように考えていたかは分からないが、この場面のエラリー(ソクラテス)は「厳密な論理と方法とで真の知に至」ろうとはするが、クイーン警視(ソフィスト)のようには汗水たらして考えていないと自虐的に言う事で、父をなぐさめている。
    (続く)

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    2025年10月25日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(15.1.6)

    Chapter15 挿入の諸形式「@語句の挿入――andとif」より。
    15.1.6 People who were presented to him often felt a certain awkwardness, and that not entirely because they were alarmed by his reputation.
    (訳) 彼に紹介された人々はいくらか気おくれすることが多かった。しかもそれは、必ずしも彼の名声に押されたためばかりではなかった。

     さっそく訳文を手直ししよう。「彼に紹介された人々」という部分が気になる。「彼に」は英文のto himから単純に格助詞「に」を選択しているのだと思うが、これだと助詞「に」が何の格として働いているのかがハッキリしない。
    (a)主催者が人々を彼に紹介した。
    (a-1)人々が彼に(主催者に)紹介された。⇒ 彼に紹介された人々
    (a-2)人々が(主催者に)彼に紹介された。⇒ 彼に紹介された人々
    (a-3)人々が主催者に彼を紹介された。⇒ 彼を紹介された人々
    (a-4)人々が彼に拝謁した。      ⇒ 彼に拝謁した人々
     明示されてはいないが「紹介する」の主格が存在するはずなので、仮に(a)としておく。これを受動態に変換すると、(a-1)(a-2)のように助詞「に」が2つ使われる事になる。一つは能動格(能動態の主格)であり、もう一つは与格(「猫に餌を与える」)になる。さらに「主催者に」の部分を明示しないで連体修飾句に変換すると、どちらも「彼に紹介された人々」になる。こうなると「彼に」が能動格なのか与格なのかは文脈次第で、明確とは言えない。

     例えば「人々」と「彼」が対等な関係であれば、対格と与格は入れ替え可能なので「(a')主催者が彼を人々に紹介した。」と考えた上で受動態にすると(a-3)になる。さらに連体修飾句にすると「彼を紹介された人々」となり、(a-1)(a-2)のような誤解は生じない。ただし、あくまで対等な関係であれば問題はないが、後半の文章を見る限り「彼」の方が目上か、もしくは格が高い存在のようなので、入れ替え表現(a-3)はやや違和感を感じる。

     逆に王族(皇族)のような高貴な存在が相手であれば、「紹介する」ではなく「拝謁する」を使う事ができる。その場合「主催者」のような仲介は不要なので(a-4)のような表現になり、連体修飾句に変換すると「彼に拝謁した人々」になる。しかし、今度は「彼」がそれほど格上ではないのことが問題となる。この例文では「拝謁」は不自然だ。結局、(a-3)と(a-4)の間になるように「紹介」「拝謁」以外の言葉を考えて「引き合わせる」と訳す事にした。この動詞を使えば助詞「に」の重複問題を回避することができる。
    (前半の推敲訳) たいていの人は、彼と引き合わされると多少気おくれがした。

     訳文の「気おくれする」はとても良い表現だが、後半の「彼の名声に押された」は分かりにくい。これはおそらく「彼の名声に押されて気おくれした」という表現を念頭に置いて書かれたものだと思う。新明解国語辞典の「きおくれ【気後れ】」には「相手の気迫に押され―(が)した」という用例が挙げられているが、「名声に押される」という表現は不自然だ。そもそもalarmed by his raputationの訳としてしっくりこない。「彼の評判を聞いて不安になった」ぐらいがよさそうだ。

     最後の最後に挿入形式について考えていく。例文のand thatの代名詞thatは、前半のPeople … awkwardnessまでを表すから以下のような構造になっている。
    (A)People who were presented to him often felt a certain awkwardness,
    and
    (B)people who were presented to him often felt a certain awkwardness not entirely because they were alarmed by his reputation.
     (B)が挿入形式になっているのだが、because節が「Xだけではない」という部分否定になっている事から「Xが理由だが、X以外にも理由がある」という2つの部分に分かれる。それを書き下すと以下のようになる。
    (B-1)People who were presented to him often felt a certain awkwardness because they were alarmed by his reputation.
    (B-2)People who were presented to him often felt a certain awkwardness not entirely because they were alarmed by his reputation.
     このように分析すると(A)、(B-1)、(B-2)の3つの文から構文が出来ているようにみえるが、そうではない。not entirely が出てきた時点で(A)にはbecause節が含意されている事になるので、(A)と(B-1)は同一表現とみなせる。それをあえて構造として記述すると、以下のようになる。
    (A')People who were presented to him often felt a certain awkwardness because they were alarmed by his reputation,
    and
    (B-2)people who were presented to him often felt a certain awkwardness not entirely because they were alarmed by his reputation.
     この構文構造を基にして訳文の後半を推敲する。
    (後半の推敲訳) 彼の評判を聞いて不安になったからでもあるが、それだけではなかった。

     前半と後半の推敲訳をまとめる。
    (推敲訳) たいていの人は、彼と引き合わされると多少気おくれがした。彼の評判を聞いて不安になったからでもあるが、それだけではなかった。

     さらに推敲する。やはり「彼と引き合わされる」では落ち着かない。「彼に」を使った上で与格である事が伝わるように「面と向かって」という状況を追加する事にした。また、係る言葉「たいていの人は」と受ける言葉「気おくれがした」を直結した。それと、訳文では「気おくれ」を量で評価して「いくぶん気おくれする」と訳している。推敲訳でもそれを踏襲してきたが、後半で気おくれの原因が「彼の評判」とそれ以外の事だと主張しているので、量では無く質が取り沙汰されていることがわかる。最終的に以下のように推敲した。
    (推敲訳) 面と向かって彼に引き合わされると、たいていの人はある種の気おくれがした。というのも、あらかじめ彼の評判を聞いていて不安になったからだが、単にそれだけとも言えなかった。

    (参考)
    awkward 落ち着かない、きまずい
    alarm ハラハラする、不安にさせる、心配になる
    present(v.t.)
     5《文語》〈人を〉(ある人に)正式に紹介する、引き合わせる;〈人を〉(目上の人に)拝謁させる、伺候させる《to …》
     She had the honor of eing presented to the Queen. 彼女は名誉にも女王陛下の拝謁を賜った。
    posted by アスラン at 08:30| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年10月18日

    エラリー・クイーン『ローマ帽子の秘密』を散策する(その1)

     前々から『ローマ帽子の秘密』の良さがよく分からなかった。会社のクイーン好きの同僚が特にお気に入りだというのが『ローマ帽子』で、その理由が「犯人を最後の最後の一人まで理詰めで絞り込んでいくからだ」と言っていた。だが、それは2作目の『フランス白粉の秘密』にも当てはまるのではないかと思った。まさに僕のお気に入りが『フランス白粉』で、その理由が「作品のクライマックスで、犯人を最後の最後の一人まで理詰めで絞り込んでいく」からだ。『ローマ帽子』と『フランス白粉』との決定的な違いは、ミステリのスターとも言える名探偵エラリー自身が、お得意の演繹推理で絞り込んだ犯人を名指しするか否かにある。『ローマ帽子』は、名探偵の物語にとって最も重要な要件を意図的に回避しているが故に、僕にとっては致命的な欠陥を抱えた作品としか思えなかった。

     ところが角川文庫が翻訳家・越前敏弥さん主導で国名シリーズを翻訳する事になって、あらためて緻密な翻訳をベースにして「犯人を最後の最後の一人まで絞り込んでいく」プロセスを十二分に味わう事で、デビュー作の出来を見なおす事ができた。ただ、その後何回か角川文庫版を読み直したが、最後のクライマックス場面が瑕疵であるという認識を改めるまでには至らなかった。いつもなら「ネタバレ解読」と称して、飯城勇三『エラリー・クイーン パーフェクトガイド』の批評にそって作品の特徴を味わうのだが、こと『ローマ帽子』では「本作では『パズラーに無縁なもの』は何一つない」というのが最大の特徴だと飯城さんは言う。ならばネタバレうんぬんを論じてもあまり意味が無い。それよりも、作品を味わうためのトリビアにこだわった方がよさそうなので、『ローマ帽子の秘密』を散策する事にした。散策する対象は以下のとおりだ。
    原作: The Roman hat mystery (1929) by Ellery Queen
    翻訳: ローマ帽子の秘密(角川文庫) (2012年) 訳 越前敏弥・青木創
    原書: The Roman hat mystery (renewed 1957 by Ellery Queen) 1967 published by The New American Library

     舞台はマンハッタンだ。精選版日本国語大辞典(日国)によれば「アメリカ合衆国、ニューヨーク市中心部の島。また、その島を占める区。ハドソン川・イースト川・ハーレム川に囲まれる。商業・金融・芸術・文化の世界的中心地。国際連合本部、エンパイアステートビルなどがある。」と書かれている。以下に本作の舞台となるマンハッタン(島)を俯瞰する地図を示す。西側にハドソン川が流れ、ニューヨーク州とニュー・ジャージー州とを隔てている。東側には文字どおりイースト川が流れ、対岸にはロングアイランド(島)がある。ハーレム川はマンハッタン島と本土との境界を流れ、本土側にはブロンクスがある。
    地図-01.jpg
     クイーン研究家の飯城勇三さんが本作の特徴として「パズラーに無縁なものは何一つない」と書いているとおり、地図に示した場所には作中の登場人物の住居や事務所、あるいは肝心かなめの犯行現場などしか挙がっていない。観光名所は皆無と言っていい。つまり、本作は『ダ・ヴィンチ・コード』に代表されるようなツアー型ミステリーではない。何しろセントラルパークもエンパイア・ステート・ビルもほぼ素通りしているのだ。強いて言えば、犯行が行われた「ローマ劇場」(架空の劇場)がブロードウェイにあるため、目抜き通りにあたるホワイトウェイに印が集中している。しかしそれとて、主に登場人物の住所が多いし、ほとんどが普通のアパートメントだ。要するに、エラリー・クイーンと名乗る事になった従兄弟同士の若き二人は、執筆当時、パズラー(演繹推理を駆使して論理的に犯人を指し示すミステリ)を作りあげる事だけに腐心していて、作品の舞台や登場人物を読者にとって興味深いものにしようなどという「無駄な事」には一切関心を示していないのだ。

     唯一の観光名所は、犯行現場から最も離れた位置にあるブロンクス動物園(H)だ。マンハッタン島ではなく本土のブロンクスにある動物園で、1899年に開園している。この場所だけは「パズラーに無縁なもの」かもしれない。事件解決の見通しがついて上機嫌のクイーン警視が、召使いジューナを連れて英気を養う場面が以下のように描かれている。
    [翻訳](20章P.423) 警視は含み笑いをした。「それはもう過去の話だ、トマス。きのうはジューナとふたりでブロンクス動物園へ行って、われらが同胞たる動物たちと楽しい四時間を過ごしたよ」

     ちなみに動物園に連れて行ってもらう召使いジューナは「少年」というイメージだが、実はこの時には立派に成人している。
    [翻訳](8章P.170) ジューナは、エラリーが大学に行ってしまったためにリチャード・クイーンがひどく孤独を感じていたころ、この家に迎え入れられた。その明るい十九歳の少年は、親の顔を知らずに育ち、苗字の必要性など一度として感じたことがなかった。
     つまり、高等遊民的ではあるが今やまがいなりにもミステリ作家になっているエラリーの年齢を考慮するかぎり、クイーン家に「迎え入れられた」時に19歳だった少年(少年?)は20代前半ぐらいにはなっているはずだ。少年どころか立派な成人男子だろう。

     サウスブロンクスに、被害者モンティ・フィールドの従者であるチャールズ・マイクルズのアパートメント(E)がある。
    [翻訳](9章P.199)「どこに住んでいるんだね」マイクルズがブロンクスの東百四十六丁目の番地を言う。
     特にどうという事もない場所だが、従者にしては住み込みではなくマンハッタンにも住んでいない。前科がある事からひっそりと暮らしている事を著者が仄めかしているのかもしれない。

     フィールドの事務所(C)もブロードウェイの劇場街からはずいぶん離れている。
    [翻訳](2章P.57)「それから、ヘス」警視は別の刑事につづけて指示を出した。「チェンバーズ通り五十一にある、この男の事務所へ行って、こちらから連絡するまで待機してくれ。(略)」
     チェンバーズ通りはニューヨークの官公庁街にある。通りの向かい側にはツイード裁判所(1881年完成)がある。弁護士という職業柄、官公庁街に事務所をかまえるのは理にかなっているかもしれない。しかし周辺には、サンプソン地方検事が在籍するニューヨーク市地方検事局や、クイーン警視が奉職するニューヨーク市警まである。裏社会とつながりがあり彼自身も犯罪組織の黒幕であると当局から目を付けられている人物の事務所が、こんな目と鼻の先にあるとは大胆不敵きわまりない。

     実業界の大立て者フランクリン・アイヴズ‐ポープの邸宅はリバーサイド・ドライブにある。
    [翻訳](11章P.248) 十時半に、警視とエラリーはリヴァーサイド・ドライブにあるアイヴズ‐ポープ邸の大きな正門を押しあけた。(略)それは四方八方に張りだした巨大な邸宅で、道路からかなりはずれた広大な芝地にそびえ立っている。
     リバーサイド・ドライブとは、ハドソン川の川岸に沿った通りの事だ。地図に印を付けたように北端(F)から南端(G)まで続く。さすがに電子辞書では引っかかってこなかったのでCopilotに聞いてみたところ、「歴史的かつ風光明媚な街路」との事。通りの西側(河畔という事か)にリバーサイドパークが広がっている。ハドソン川の眺望が美しく、夕暮れ時の景色は特に人気があるようだ。重要なのは「かつては『百万長者の通り』とも呼ばれ、ギルデッド・エイジ(19世紀末〜20世紀初頭)の富裕層の居住地として知られていた」という点だ。まさに大事業家にして大富豪の邸宅が建てられていてもおかしくはない。どのあたりにあるのかは特定できないが、アイヴズ-ポープ邸で娘のフランシスに話を聞きに行った帰り道の様子が書かれている。
    [翻訳](12章P.267) 五分後、警視とエラリーとサンプソン地方検事は、七十二丁目へ向かってリヴァーサイド・ドライブを並んで歩きながら、午前中の出来事を盛んに論じ合っていた。
     72丁目はローマ劇場がある通りだ。そこに歩いて向かっている以上、アイヴズ-ポープ邸はリバーサイド・ドライブの南端(G)寄りにあるのではないだろうか。
        ♥♠♦♣
     ローマ劇場から離れた周辺部を片づけたので、地図をズームアップする。
    地図-02.jpg
     マンハッタンの街路は碁盤の目のように仕切られている。東西を○○th street(○○丁目通り)と呼び南北は××th Avenue(××番街)と呼び慣わす。中央にセントラルパークが大きく陣取っていて、先ほどの○○丁目通りは西○○丁目通り、東○○丁目通りに分かれる。地図を見るとよくわかるが、セントラルパーク内部にはほとんど踏み込む事はない。父クイーンはニューヨーク市警の警視でありながら、以後の事件でもセントラルパークが関連するような事件に遭遇する事はなかったような気がする。本編とはまったく関係ないが、「メトロポリタン美術館」が公園内にあるとは知らなかった。1870年開館なので、クイーン父子が活躍していた当時も存在していた事になる。ディクスン・カーにとっての「蝋人形館」ではないが、実名のメトロポリタン美術館で事件が起きていたら、さぞかしそそられた事だろうに。

     クイーン父子のアパートメント(D)は西87丁目にある。
    [翻訳](8章P.168) 西八十七丁目にあるクイーン父子のアパートメントは、炉端のパイプ掛けから壁の輝くサーベルまで、いかにも男の家だった。ふたりの住まいは、ヴィクトリア朝後期の趣を残す、褐色砂岩を張った三世帯用アパートメントの最上階にあった。
     「×番街」の記載はないので、セントラルパークからリバーサイド・ドライブの間のどこらへんにあるかは分からない。googleマップのストリートビューでなんとなくアパートメントの様子が似ているところにピンを打ってみた。それにエラリーの事だから、川沿いの風景よりもセントラルパークの静けさを選ぶのではないだろうか。

     モンティ・フィールドの弁護士事務所はチェンバーズ通り51にあったが、アパートメント(B)の方は西75丁目113にある。
    [翻訳](2章P.56)「リッター、この男のアパートメントへ行ってくれ。名前はモンティ・フィールド、職業は弁護士、住所は西七十五丁目通り百十三だ。(略)」
     住まいと事務所の位置がハッキリ示されているのはフィールドぐらいだ。現代ならば被害者と同じ住所に住んでいる人からクレームが来そうだ。逆にクイーン父子の住所ならばハッキリした方が喜ばれそうだ。せめて、ホームズにならって架空の番地を付けておけばよかったのに。
        ♥♠♦♣
     さらに犯行現場となったローマ劇場周辺へとズームアップする。
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     遅ればせながらではあるが、『ローマ帽子の秘密』は次のように始まる。
    [翻訳](1章P.28) 一九二X年の演劇シーズンは不安のうちにはじまった。ユージン・オニールが新作を書きあげずじまいで、知識人の収入源を確保してやらなかったし、つぎつぎ芝居を見ても熱中できなかった”俗人”たちは、お堅い舞台劇を見放して、もっと気軽に楽しめる映画の殿堂へ足を向けていた。
     ユージン・オニールが新作を書かなかった年は1923年もしくは1926年になるようだが、ここでは詳細は検討しない。ただ、舞台劇が映画という新しいメディアの存在におびやかされていた事は確かだ。1920年前後にはサイレント映画の傑作が数々作られ、米国ではグリフィス、デミル、シュトロハイム、チャップリン、キートンらがしのぎを削っていた。1927年には長編映画としては世界初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』が作られ、30年代には映画が一大産業として成長していく。
    [翻訳](1章P.28) というわけで、九月二十四日、月曜日の夜に、霧雨がブロードウェイの劇場街のまばゆい電飾をかすませはじめると、三十七丁目からコロンバス広場にかけての劇場支配人や演出家たちは、それを暗い顔でながめやった。
     地図で見ると、セントラルパークの南西の角(西59丁目)にあるのがコロンバス広場(@)だ。コロンバスサークルとも言われ、フランスの凱旋門のように周囲が車道になっている。中心にある記念碑が名前の由来になっていて、探検家コロンブスの米国大陸到達400周年を記念して1892年に建立した。コロンバスサークルと言えば、1930年代には流行作家となっていたクイーン(ダネイとリー)が、打ち合わせのために小さな事務所をかまえたエリアにある。
    [私訳](プロローグP.24) 1930年代が終わる頃には、ダネイとリーはそれぞれの自宅で一日12時間もの仕事をこなし、コロンバスサークル周辺にあるフィスク・ビルに、家具もなにもない小さな事務所を構えて週に一度だけ会っていた(事務所の床に「プラン」と書かれた大きな茶封筒を置いた)。  (フランシス・M・ネヴィンズ.Jr.『エラリイ・クイーンの世界』)
     一方の「37丁目」というと地図から外れてしまうが、左下に「タイムズスクエア」の地名が見え西45丁目なので、「ブロードウェイの劇場街」がかなり広いエリアである事がわかる。

     その中の一画に、本作の殺人現場となったローマ劇場(J)がある。
    [翻訳](1章P.29) しかし、ブロードウェイの中心をなす”ホワイトウェイ"、その西四十七丁目にあるローマ劇場に面した舗道は、シーズン真っ盛りの好天の日並みに観客で混み合っていた。
     「ホワイトウェイ」とは、特に劇場が集中する42〜53丁目付近を指す。何故こう呼ばれるかというと1900年代初頭から街路に電飾が装備され、夜でも白く輝いてみえたからだそうだ。肝心のローマ劇場だが、西47丁目の舗道に面していると書かれているだけで、正確な位置は分からない。これだけを頼りにCopilotにモデルとなりそうな劇場を探してもらうとエセル・バリモア劇場が出てきた。1928年開業なので事件当時は存在しないし、著者の執筆当時に間に合ったかどうかも疑問だ。ただ外観が「テラコッタの錬石風ファサード、アーチ型の入口、ローマ浴場を模した装飾」だったようで、もしかしたら「ローマ劇場」という名前のインスピレーションの元になったかもしれない。
    [翻訳](14章P.311)「あなたはローマ劇場の支配人になってどのくらいですか、パンザーさん」
     支配人は眉を吊り上げた。「ここが建てられて以来ずっとでございます。その前は、四十三丁目の古いエレクトラ劇場の支配人をしておりました(略)」
     ローマ劇場の支配人パンザーの口ぶりでは、長年にわたって支配人を務めてきたと感じられるので、ローマ劇場は1920年以前には開業していないと辻褄が合わない。その場合のCopilotの回答はセントラル・シアター(1918年開業)が有力だ。

     I〜Kは作品終盤のある場面に関わる場所なのだが、今回は解説を割愛する。実はこの部分は多少のサスペンスが文章から感じられなくもないが、それ以外は『エラリー・クイーン パーフェクトガイド』に書かれているとおり「ラブロマンスもないし、アクションもないし、ユーモラスなシーンもないs、誰かの身に危険が迫るといったサスペンスもない」。その事がまさに地図で確認できる。逆に言えば「純粋にして緻密な推理」を扱ったミステリとしては希有なものを著者エラリー・クイーンは創造したことになる。コンテストの優勝が内示された直後に、主催した雑誌社が倒産。主催を引き継いだ雑誌社が女性向きに舵を切った事によって、この作品は「女性にとっては退屈なもの」と判断され、別の作品が受賞する事になった。
    posted by アスラン at 09:05| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(エラリー・クイーン) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする