2014年11月25日

2014年11月の新刊

 もう11月も終わりが見えてきた。なのに、いまさらの「11月の新刊」。しかも「10月の新刊」は出しそびれてしまった。12月の新刊紹介はすでにおなじみの大洋社のHPで掲載されているというのに。それもこれも、本を読むよりも折り紙を折ることに血道を上げてしまったからなのだが、それはまた別の機会にお話させてもらうことにして、とにもかくにも「2014年11月の新刊」から、読みたい本をピックアップしてみよう。

11/07 007 白紙委任状(下) ジェフリー・ディーヴァー(文春文庫) 648
11/07 007 白紙委任状(上) ジェフリー・ディーヴァー(文春文庫) 648
11/07 それをお金で買いますか 市場主義の限界 マイケル・サンデル(ハヤカワ文庫NF) 864
11/07 毒殺者 折原一(文春文庫) 756
11/10 言葉なんかおぼえるんじゃなかった 田村隆一(ちくま文庫) 950
11/10 増補 夢の遠近法 山尾悠子(ちくま文庫) 972
11/10 娘と私 獅子文六(ちくま文庫) 1512
11/21 いま見てはいけない デュ・モーリア傑作集 ダフネ・デュ・モーリア(創元推理文庫) 1296
11/25 「AV男優」という職業 水野スミレ(角川文庫) 605
11/25 ナミヤ雑貨店の奇蹟 東野圭吾(角川文庫) 734
11/28 O・ヘンリー・ザ・ベスト(1) 賢者の贈物 O・ヘンリー(新潮文庫) 529
11/28 言語小説集 井上ひさし(新潮文庫) 497
11/28 失踪当時の服装は【新訳版】 ヒラリー・ウォー(創元推理文庫) 1080
11/28 吹雪の山荘 リレーミステリ 笠井潔ほか(創元推理文庫) 1080
11/28 日本文学100年の名作(4) 1944−1953 木の都 池内紀(新潮文庫) 810
11/28 飛ぶ教室 エーリッヒ・ケストナー(新潮文庫) 594


 ジェフリー・ディーヴァー「007 白紙委任状(上)(下) 」。すでに店頭に並んでいる。最近はディーバーの作品はすべて単行本で読了済みなので、文庫については特にどうという欲求はないのだけれど、いずれ再読用に古本で安くなった文庫を買い集めているから、無関心ではいられない。と言っても、集め出した最初の頃はなかなか古本屋で安いリンカーン・ライムシリーズが入手できずにやきもきさせられたが、今は割と新しめの作品も安価で手に入る。それもこれも、著者ディーヴァーがシリーズ途中から宗旨替えして作品を短期間で発表するようになったことが影響しているように思う。僕としてはライムシリーズをメインの楽しみに据えて、キャサリーン・ダンスシリーズで繋いでいければ言う事はない。ああ、本作は、かのジェームス・ボンドが活躍するスパイ物に著者が果敢に挑戦した一作だ。映画でも確かに超人的な諜報部員ではあるけれど、本作のボンドはさらに超人的だ。映画の歴代のボンド役の俳優を思い浮かべながら本作を読むと、どれにも当てはまらない。他の著作同様楽しく読めたけれど、映画の中のゆるゆる感が足りないのは残念だ。

 マイケル・サンデル「それをお金で買いますか 市場主義の限界 」。こちらも店頭に並んでいる。が、平積みを手にとっていない。あれほどテレビ講義の影響でサンデル熱に浮かされたというのに。でもきっと、ちょっと見開きを読んでみたら、再び魔法にかかってしまうんだろうな。いや、そんなことを考えたら、すぐに書店に駆け込みたくなってきた。

 折原一「毒殺者 」。こちらも中毒性が高い。最近(と言っても半年は前かな)読んだのは、雪山で遭難した、とある会社の山岳部のベテランメンバーの死を描いた作品だった。そうだ、「遭難者」だ。故人を偲んだ追悼集と追悼集別冊の二分冊からなる単行本の趣向が珍しいので、図書館で見たときから気になっていたが、文庫化にあたって一冊にまとめられた。それもつまらないなと思って図書館で単行本を借りて読んでしまった。今度もそうしようかと思って検索したが、図書館の蔵書にはない。もしやと思って調べたら改題していた。1992年出版の「仮面劇」というのが原題だ。しかし、やっかいな事には今回の文庫は「改訂改題して復刊」したそうなのだ。うーむ、やはり図書館に入るのを待って文庫の方を借りるか。悩ましい。

 田村隆一「言葉なんかおぼえるんじゃなかった 」。田村さんと言うと、ミステリーファンにとっては海外の本格ミステリー作品の数々を訳してきた翻訳家というイメージだ。クイーンやクリスティなどの作品名がすぐに思い浮かぶ。ただ、その後、文芸評論関連の本を読むと、日本の現代詩のパイオニアと位置づけられる作家であることを知る。かといって、詩を読む習慣がない僕としては、今ひとつ田村さんのすごさを実感する機会がなかった。本書は若者へのメッセージとともに代表作が掲載されているお得な作品のようだ。

 山尾悠子「増補 夢の遠近法 」。なぜ今回ピックアップしたのか覚えていない。おそらく「夢の遠近法」とうタイトルに惹かれたのだと思う。もっと言えば「増補」という付け足しにも、そそるものを感じたのだろう。「増補 夢の遠近法」という魅惑的なタイトルに導かれて、難解だとも言われる見知らぬ著者の「幻想的な」諸作品に触れてみたいと思う。

 獅子文六「娘と私 」。NHK朝のテレビ小説の第一作の原作。第一作は「おはなはん」だと勘違いしていた。その後の「信子とおばあちゃん」の原作も獅子文六だ。この「私」は著者自身をモデルにした父である。父と娘とのふれあいがテーマになるのは、小津安二郎の数々の名作を思い浮かべればわかるように、この時代ならでは事だろう。ここで描かれる家族は、戦争の影響を引きずってどこかしら後ろ向きの気分を漂わせる父や祖父母の世代と、前向きに生きようとしている若い世代とのいたわり合いがテーマになるだろう。その後に来る高度成長時代まっただ中を生きる家族には、そんな微妙な空気は存在しない。ホームドラマという言葉で象徴されるようなエネルギッシュで、ただただ家族全員が一つの目標に向かって前進するかのような作品が大量に生産されることになる。だからこそ、僕らは小津の、あるいは獅子文六の描く、もはや失われてしまった家族のつながりを再確認するために読むのだろう。

 ダフネ・デュ・モーリア「いま見てはいけない デュ・モーリア傑作集 」。「レベッカ」と「鳥」、このヒッチコックの二つの名作の原作者であるダフネの短編集。前回の短編集に「鳥」が収録されているので、今回の「傑作集」の目玉は何かと思ったら、表題作「いま見てはいけない」という短篇がニコラス・ローグ監督の「赤い影」の原作なのだそうだ。残念ながらローグの映画は見たことがないので原作に対する惹きにはならないのだが、「赤い影」には名優ドナルド・サザーランド(「24」シリーズ主演のキーファーのお父上)と、「天国から来たチャンピオン」でヒロインを務めたジュリー・クリスティが出ている。まずは映画の方を見たくなってきた。

 水野スミレ「「AV男優」という職業 」。綺羅星のごとく現れては消えていったAV女優の総数は数え尽くせないほどだが、AV男優と呼ばれる存在はあまりにも少ないと聞いたことがある。この本では、そんな稀有な職業を生業とした男性たちの日々が明らかになる。当然ながら、同性から一度は羨ましがられ、知れば知るほど過酷な職業である事を思い知らされる。その中で非常に特異な体験と経験を積んできた彼らの言葉は、どう響いてくるのだろう。

 東野圭吾「ナミヤ雑貨店の奇蹟 」。書店に足を運ぶたびに著者の新刊の平積みを見ない日はないのだけれど、このタイトルが目に付く新刊コーナーにならんだときには、あれ、ミステリーじゃないの?と惹きつけられた覚えがある。どうやら心温まるファンタジーのようだ。いや、ファンタジーのような設定でありながら、本格ミステリーお約束の〈真実〉が待ち受けているのかもしれないが、感動作であることは確かなようだ。

 O・ヘンリー「O・ヘンリー・ザ・ベスト(1) 賢者の贈物 」。新潮文庫の「O・ヘンリー短編集」全4巻は大切に持っている。あれを超える作品集はなかなか出ないと思うけれど、ベストとか傑作選とか言われると、ついつい手が伸びてしまう。この作品集はどのようなラインナップなのだろう。訳者も気になる。大久保康雄さんの訳は申し分ないけれど、そろそろ新しい訳で読んでみたいという事も確かだ。「停電の夜に」を訳した小川高義の手際をぜひ拝読したい。

 井上ひさし「言語小説集 」。名作家、名戯曲家であると同時に言葉の達人として一家言あった作家でもあった著者が、特に日本語を題材に書いた短篇が七編も収録されている。内容紹介を読むだけで読みたくなってくる。

 ヒラリー・ウォー「失踪当時の服装は【新訳版】 」。二度読んでる。二度目は犯人を知った上で読む「再読」のはずだが、犯人の名も忘れてるし、内容もほぼ覚えてなかった。ただし、なんというか良質のサスペンスドラマを見せられているかのようなじわじわとしたスリラーの感触が味わえたのだけは覚えている。ああ、真相が衝撃的というよりは別の意味でショックだった。新訳が出るならばもう一度読んでみてもいい作品だ。

 笠井潔ほか「吹雪の山荘 リレーミステリ 」。雑誌「ミステリーズ」の企画でリレー式に書き継いでいく趣向を実現したのが本作だ。作家陣は、笠井潔・岩崎正吾・北村薫・若竹七海・法月綸太郎・巽昌章の六名。クリスティーの「そして誰もいなくなった」ばりの設定である「吹雪の山荘」を舞台に、作家が実名で登場して、別の作家の創造した探偵と共演したりする。ミステリー愛好家たちの興味を掻き立てる一作だ。

 池内紀「日本文学100年の名作(4) 1944−1953 木の都 」。第一巻を購入していながら、ついうかうかしていたら、あっという間に第四巻が出てしまう。ぜひ買いそろえたいと思っているのだが、購入するだけで詰んでおいたら古本屋でも安く買えてしまうだろう。リアルタイムで読んでいきたい、などと思ったが、そうはうまくはいかない。何故か今年に限っては僕に読書の秋は訪れなかったようだ。すでに冬。忙しい師走も来て、さて、もう一度夜長を読書で過ごす落ち着いた日々を取り戻さなければ。

 エーリッヒ・ケストナー「飛ぶ教室 」。ふーむ。なんか、これ、書架にあるはず。講談社文庫か何かで新訳が出た際に購入したはず。この有名な児童文学を僕はまだ一度も読んだ事がない。それはあまりに情けないと思って購入したんだけれど、やっぱり読んでない。そうこうするうちに再び文庫がでる。今度は新潮文庫からだ。じゃあ、新潮文庫で読めばよかったのか。失敗した。しかも、訳者が池内紀さんだ。うーむ。これを機会に家にある蔵書を読むべきか、それとも今回の新刊か。なんとも悩ましい。
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2014年09月25日

2014年9月の新刊

遅ればせながら、ようやく8月の文庫新刊について記事を書き上げた。9月もすでに初旬を過ぎようと
している。中秋の名月も終わった。当日は見られず、翌日の冴えた夜空にのぼる「ほぼ満月、完全すぎる
スーパームーン」を見て満足した。さあ、この勢いで9月の新刊を書き上げよう。
いつものように、大洋社調べ。

09/04 翻訳ガール 千梨らく(宝島社文庫) 626
09/10 「思考」を育てる100の講義 森博嗣(だいわ文庫) 734
09/10 「私小説」を読む 蓮實重彦(講談社文芸文庫) 1836
09/10 小林カツ代の野菜のおかず大集合 小林カツ代(だいわ文庫) 648
09/11 チャタレー夫人の恋人 D・H・ロレンス(光文社古典新訳文庫) 未定
09/25 深泥丘奇談・続 綾辻行人(角川文庫) 648
09/25 預言 ダニエル・キイス(ダニエル・キイス文庫) 1296
09/27 ソロモンの偽証 第II部 決意(下) 宮部みゆき(新潮文庫) 810
09/27 ソロモンの偽証 第II部 決意(上) 宮部みゆき(新潮文庫) 853
09/27 にんじん ルナール(新潮文庫) 594
09/27 ポアンカレ予想を解いた数学者 ドナル・オシア(新潮文庫) 853
09/27 人生問題集 春日武彦(新潮文庫) 562
09/27 麦藁帽子 日本文学100年の名作(2)(仮) 池内紀(新潮文庫) 767


 最近、大手の書店で新刊の文庫を見ていると、3分の2ぐらいが僕と無関係の新刊だ。
従来からある時代小説とか、ハウツー本のたぐいとか、流行作家の書く小説とかも、一握りのお気に入りを除くと読まない。最近では、ラノベの出版数が尋常じゃないので、この分だと僕が年老いた頃には、平積みになる本の海から砂金のようにお気に入りを探す羽目になりそうだ。いや、そもそも、その頃には紙の本がじり貧という事もあるのかもしれないが…。

 千梨らく「翻訳ガール 」。いきなり、まったく見知らぬ著者の書く作品。どうやらラノベ調ではないかと思われる。なぜチョイスしたかというと、「翻訳」というキーワードに惹かれたからだ。主人公に翻訳家もしくは翻訳を目指す若い女性を据える事によって、どんな出来事が起きるのか。翻訳家らしいエピソードはどのように盛り込まれるのか。期待値が上がる。つい最近、書店で見たのだが、よく分からない。前作があるようで、ならばそこから読むのが妥当なのかもしれない。調べました。「翻訳会社『タナカ家』の災難」というのが前作のようだ。しかもこの前作も今回の作品も、宝島社文庫「日本ラブストーリー」大賞シリーズと銘打った中の一冊。ということは、千梨らくという作家は「日本ラブストーリー」大賞なるものを受賞したのだろうかと思って、さらにWikiで調べると、大賞ではなく「エンタテインメント特別賞」を受賞している模様(受賞作は「惚れ草」)。さて、どうしたものか。いや、初志貫徹。「翻訳会社『タナカ家』の災難」から、でお願いします。

 森博嗣「「思考」を育てる100の講義 」。著者のデビュー作になるのだろうか、「すべてがFになる」。1996年の講談社ノベルスだ。当時、本格ミステリーの新たなムーブメント真っ盛りで、北村薫や綾辻行人や宮部みゆきなど、僕が「発見」したと息巻いていた80年代の新人達が大きく育ち、次の面白い新人作家はいないかと思って、たまたま目に留まったのが「すべてがFになる」。理系の人間ならばすぐにピンとくるタイトルなので興味をもったのかもしれない。とにかくノベルスを買って読んでみたんだろうな。そして、その問題作の結末に?????を5つどころか、10個ぐらいつけて会社の同僚で同じようにミステリー好きの女性に読んでもらったら、やはり同じような感想。以後、多作で知られるベテラン作家に育ったのに、二冊目を読む事はなかった。でも、最近、ちょっとした事で、著者個人の考え方の方に関心を覚えた。個人的な問題を解く鍵があるかもしれないと、人づてに聞いたので、何を読むかを探っている。なにしろいっぱいあるので。とりあえず、出会いを悪くした「すべてがFになる」も再読しながら、エッセイの方も読んでみたい。

 蓮實重彦「「私小説」を読む 」。読んだ記憶はある。が、どうやら実にはならなかったようだ。藤枝静男の「欣求浄土」を取り上げていたような記憶があり、読もうとおもったが、これもまた読み果たしていない。どうやら、僕には小説をきちんと読み継いでいく根気が足りないようだ。なのに、こういった評論を何故読むのかとも思うのだが、やはり何事にもミーハーなしぐさから抜ける事はできない。AKBや特撮や、将棋や、折り紙や、宇宙や数学についての関心と同様に、文学や映画についてもミーハーなアプローチが必要不可欠なようだ。

 小林カツ代「小林カツ代の野菜のおかず大集合 」。小林カツ代さん、本当にお疲れ様でした。安らかにお眠りください。たぶん、僕の母親もNHKの料理本を買ったり、「今日の料理」とかで、カツ代さんのレシピを参考に食卓の献立を考えることもしばしばあったと思います。僕はというと、育ち盛りで、頭の中は、とんかつやすき焼きやカレーの事で夢中で、安くて手軽にできて「しかも美味しい」という工夫のメニューみたいなのには、あまり関心がなかったようにも思います。今、まさに母親にならって、息子の朝食やら弁当の中身に頭を悩ます主夫をやってみて、親の苦労を身に染みて感じています。文庫なので、美味しそうな料理の写真がないのがちょっと寂しいですが、非常に役に立ちそうな料理本です。

 D・H・ロレンス「チャタレー夫人の恋人 」。「言わずとしれた」と書きたいところだが、今や文学自体が滅びようとしているのに、かつては、その内容の猥褻さが裁判で争われて、出版社と翻訳した伊藤整とが実刑にとわれた作品だ。当時は猥褻だと指摘された部分を伏せ字にして再出版して、近年伏せ字を戻した完全版が出版されて今に至っている。でも、猥褻かどうかだけに興味をもったとしても、今や「公序良俗」の意味合いが1960年当時とかなり変わってしまっている。それよりもロレンスがこの作品を発表した1928年当時が、階級を超えた者どうしの恋愛、さらには不倫という事について、まだまだ今と違ってタブーだったという点が問われるべきだ。歴史的な意味は専門家に任せるとして、僕ら一読者の関心は、今人気の「昼顔」のような昼メロの原点が、ここにあるのでは?というところから入っていけばいいんじゃないだろうか。

 綾辻行人「深泥丘奇談・続 」。綾辻の本格ミステリーは出来るだけ読むようにしている。館シリーズも「暗黒館」以降は読んでいない。いや、「暗黒館」が長すぎて手を付けられずにいる。最近では、よい綾辻フォロワーではなくなりつつある。「アナザー」は読んだが、続編やスピンオフも手を付けていない。いや、そもそも綾辻のホラー小説は「殺人鬼」のような本格ミステリーとの掛け合わせでない限りは、熱心な読者にはなれないというのが正直なところだ。これも、怪談専門誌『幽』に連載されているシリーズのようだ。うーむ。先日も久々にテレビの謎解き番組の回答者として元気な姿を見せてくれたが、本格ミステリーの新作をひっさげて「すずらん本屋堂」にでもゲスト出演してくれないだろうか。

 ダニエル・キイス「預言 」。キイスさんが亡くなった。お弔い読書をするつもりだ。だが、やはりなんと言っても「『アルジャーノンに花束を』をもう一度読む」というのが僕にとってふさわしい気がするのだ。なにしろ、文庫の「アルジャーノン」が未読のまま、本棚のたくさんの蔵書の中に収まっているからだ。という話は、別の記事になんどか書いた。「24人のビリー・ミリガン」を会社近くの105円コーナーで見かけたら、いや、108円コーナーで見かけたら、そちらも入手するとして、さて、久々の新刊になるであろう「予言」とは一体どんな本だろう。「テロリストたちの狂気に満ちた暴力と洗脳。」とか「一人の女性の魂の苦境に9・11以後の狂い、壊れていく世界を映し出す、唯一無二の物語。 」などという惹句があらすじに書かれている。「アルジャーノン」以降、キイスさんはずいぶんと遙か遠くを歩いていってしまったようだ。もはや、「アルジャーノン」のように透き通るような気持ちで読む読後感は味わえないのだろうか。

 宮部みゆき「ソロモンの偽証 第II部 決意(上)(下) 」。「ソロモンの偽証」の単行本はいまだに図書館で借りる事はできず、第1部、第2部、第3部と物語は進んでいく。一体どんな物語を紡いでいるのか。それを文庫では上下2巻ずつで出版しているというのだから、第3部までで6巻も読み継がねばならない。
今こそ、文庫版の入荷をまって、図書館で予約してやろうと思い立ったのだが、川崎も立川も、一向に文庫を購入するそぶりをみせない。単行本を買いすぎて文庫に注力する予算がないという事だろうか。残念ながら、もう少し見て見ぬ振りをしておくしかなさそうだ。

 ルナール「にんじん 」。大昔に読んだ。中学生になってからというもの、それまでのジュブナイルを卒業して、近所の本屋でも、文庫棚をあさっては、中学生でも読めそうな名作のたぐいを買って読んでいた。とにかく、何を読めばいいのか分からず、一方で「面白い」というだけの基準では読書の意味がないときまじめに思い込み、割とつまらない本ばかり読んでいた。いや、幼い読者にとっては「つまらない」としか思えない本ばかりを読んでいた。なにしろ中学生になりたての少年少女に「老人と海」を読ませて何が面白いというのだろう。もちろん、今ならば読み返す度に、日々老いに近づく自分の身の上と照らしては思うところが増えていく読書が堪能できるだろう。さて、「にんじん」は今読むとどんな感想を持つのだろうか。

 ドナル・オシア「ポアンカレ予想を解いた数学者 」。ポアンカレ予想を証明した事件について書かれたノンフィクションには、すでに「ポアンカレ予想−世紀の謎を掛けた数学者、解き明かした数学者−」がある。著者はジョージ・G.スピーロ。先に「ケプラー予想−四百年の難問が解けるまで−」を書いている。科学ジャーナリストだそうだ。「ケプラー予想」はすでに購入してある。理由は訳者がサイモン・シンの著作すべてを翻訳している青木薫さんだからだ。ただし「ポアンカレ予想」の方は訳者4名、監修者2名という大変怪しげな翻訳なので、ちょっと信用がおけない。ただし、本書にも問題がないではない。著者ドナル・オシアさんは数学科の教授。そういう専門家が書いた本が一般向けに面白いかどうか。なかなか難しい選択だ。

 春日武彦「人生問題集 」。著者は精神科医にしてたくさんの著述をものしている。あいにくどの本のご厄介にはあずかっていないが、本の雑誌に連載中の吉野朔美のマンガにちょくちょく読書仲間として現れる。描かれる姿がトレンチコートに帽子といった、ハードボイルド小説に描かれる探偵のように、である。本書は、ただのお悩み相談本ではなく、人生問題について精神科医の春日さんと、歌人・穂村弘さんが考えていくという趣向らしい。なかなかに面白そうな取り合わせだ。

 池内紀「麦藁帽子 日本文学100年の名作(2)(仮) 」。ああ、また忘れていた。これから、ほぼ10ヶ月にわたって1冊ずつ出版されていくのではないかと思う。ならば、巻1を購入した僕としては、すでに読み終わってなければいけないというわけだ。新刊本の山の中からえり出しておかねば。もうまもなく巻の2が店頭にのぼる。

 以上、9月の新刊はこれで終了。でも、もう僕がフォローしなくても、すでにあれもこれも店頭の平積み本として手に取れるのだから、僕が紹介するまでもない事も確かだ。さあ、いよいよ読書の秋の開幕だ。
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2014年09月08日

2014年8月の新刊

わー、すでに8月も終盤。この時期は、週末は子供を連れて夏休みの思い出作り、平日は学童に通う子供のための弁当作りに追われて、忙しいです。8月の文庫新刊もピックアップしてあったのに、コメントを書く暇がない。いっそのことリストアップしただけでお茶を濁してしまおうかしら。とにかく、がんばって書き上げます。いつもの大洋社調べ。

08/上 オカルト業界の取材をしたら、こうなった 三浦悦子(彩図社文庫) 669
08/上 文豪たちが書いた 泣ける名作短編集 彩図社文芸部(彩図社文庫) 640
08/06 錯覚の科学 クリストファー・チャブリス(文春文庫) 907
08/06 将棋自戦記コレクション 後藤元気(ちくま文庫) 1296
08/06 水底フェスタ 辻村深月(文春文庫) 648
08/06 生きがいは愛しあうことだけ 早川義夫(ちくま文庫) 734
08/21 明暗 夏目漱石(集英社文庫) 未定
08/23 美妙 書斎は戦場なり 嵐山光三郎(中公文庫) 1028
08/23 評伝 北一輝(2)明治国体論に抗して 松本健一(中公文庫) 1080
08/28 シンメトリーの地図帳 マーカス・デュ・ソートイ(新潮文庫) 1069
08/28 ソロモンの偽証 第I部 事件(下) 宮部みゆき(新潮文庫) 853
08/28 ソロモンの偽証 第I部 事件(上) 宮部みゆき(新潮文庫) 853
08/28 夢見る部屋 日本文学100年の名作(1)(仮) 池内紀(新潮文庫) 767
08/28 明治天皇という人 松本健一(新潮文庫) 907
08/29 シャーロック・ホームズ最後の挨拶【新訳版】 アーサー・コナン・ドイル(創元推理文庫) 907



すでに8月終盤になって、きっと書き上げる頃には9月に入ってしまっているだろうな。というわけで、店頭で平積みになっているのを手にとって見た本も多く、さらには購入してしまったものもあります。なので、そんなことも触れながらコメントを書きます。

 三浦悦子「オカルト業界の取材をしたら、こうなった」。オカルトといえば森達也さんのオカルト業界の人たちを取材したノンフィクションが印象に残っている。こういうのはUFOなどと同様で、話題を徹底的におもしろがるというエンタメの一つとしてアプローチするか、あるいは信用する側の熱狂的な思いが本全体を貫いているか、そして残りはオカルトのうさん臭さをあげつらって彼らの嘘を暴いてやるという底意地の悪い醒めたまなざしのいずれかになるのではないだろうか。実際に店頭で見た限り、タイトル通りの「(日本の)オカルト業界」の裏側を探った本のようだ。オカルトそのものの是非を語る本では無く、いちおうオカルトを商売にしている人たち、会社などをターゲットにしているので、初めからある程度うさんくさい商売だという偏見が著者にあることだけは確かだ。だから、そういう視点に満足する人しか読まない本だと思う。とはいえ、ゴシップ的なアプローチでも他になければ読んでみたくなるのが、ミーハーな僕のスタンスだ。

 彩図社文芸部「文豪たちが書いた 泣ける名作短編集」。ちょっと表紙が?という感じで、内容をみるとさらに?という感じだ。例えば芥川龍之介の「夏蜜柑」が泣ける名作かというと、今どきの若い読者にとっては大いに疑問だろう。昔、「サラダ記念日」の俵万智さんが編んだ「くだものだもの」という洒落たアンソロジーがあったが、その中に置かれた「夏蜜柑」は、まさに作品自体に著者のニヒリズムが反映していて、読む人のモラルの許容量が試されてしまうところがあるなぁと思ったものだけれど、でも夏蜜柑という「くだもの」が印象的な小道具としてもちいられていることは紛れもなくて、その意味ではアンソロジーに収録されるにたる短篇だった。「泣ける名作」と野放図に思い込んだ「文芸部」は、さてどういう見識を持って選択したのだろうか。

 クリストファー・チャブリス 「錯覚の科学」。そうそう、平積みになっているのを見かけたのだけれど、なんと手にとってない。その理由はというとタイトルが地味。著者名に聞き覚えがない。表紙にも特徴がない。などが挙げられる。いわゆる「錯覚」というと、トリックアートなどに見られる錯視を思い浮かべてしまうが、「記憶の錯覚」「理解の錯覚」「自信の錯覚」「理由の錯覚」「隠れた才能の錯覚」という6つの心理的錯覚を取り上げているようだ。例えば記憶を取り出す時に、体験をリプレイしながら取り出す。その際に他人の体験の記憶も同じプロセスを経るために、あたかも自分の体験だと思い込んでしまうことがおきる。こういうエピソードを紹介されると、途端に読みたくなってくる。さて、著者の説明の手際はどうだろうか。

 後藤元気「将棋自戦記コレクション」。最近はやりの「観る将」(指さないで観るだけのファン)ではないが、息子と違って腕前はへぼなので「ほぼ観る将」の僕は、観るだけでなく「読む将」でもある。自戦記というのは自分の対局を自ら振り返って書いたプロ棋士たちの文章だ。必ずしも勝った対局について書くわけではないので、つくづく将棋とは容赦のないゲームだと思う。対局の最後に自ら「負けました」と宣言させられ、終わってもその場から立ち去る事なく、勝者を相手に自分がいかにして負けたかを詳細に分析する感想戦を行い、負けた一手(敗着)を明らかにせずには悔し涙の酒を飲む事もできない。一刻も早く忘れ去ってしまおうにも、プロ棋士の記憶は尋常ではないので、とうてい忘れる事はできない。その上に自戦記などを書かされるのだから、その文章には棋士の人生そのものが乗り移ってしまう。と、まあちょっと大げさに書いてみたけれど、それに近いものが透けて見えてくるように感じるのが、このコレクションの醍醐味だろう。

 辻村深月「水底フェスタ」。「ゼロ、ハチ、ナナ、ナナ」が直木賞候補作になったあたりから、逆に読まなくなってしまった。最初の頃のように「ぼくのメジャースプーン」や「凍りのくじら」、そして「名前探しの放課後」のような少年や少女を主人公に据えたちょっとダークなファンタジーが好きなんだな。「水底フェスタ」はどんな話なんだろう。店頭で手に取った気がするんだけど、いまいち、引きがこなかったのだろうか。amazonの口コミを調べてみたが「あぁぁぁ」、これは言わぬが花。それでもかえって興味が湧いてくるかも。

 早川義夫「生きがいは愛しあうことだけ」。著者は、あの「サルビアの花」で有名なシンガソングライターだ。先日もNHKプレミアムのフォークソング特集で熱唱していた。僕はフォークブームの端っこに引っかかって、やがて怒濤のように押し寄せるニューミュージックの波の最前線にいた。だからフォークといってもいわゆる叙情派フォークが主たるもので、かぐや姫やグレープ、小椋佳に井上陽水といった面々に影響を受けまくっていた。それより前の学生運動にリンクしたメッセージ性の強いフォークソングは、自分にとっては襟を正すべき先輩たちの歌だった。敬愛はあったが、熱狂はしなかった。そして今、彼らは僕より少し先を老いながらも生きている、歩いている。彼らの言葉や歌がかつて以上に胸に響いてこないわけがないのだ。訥々とした歌い方なのに思いっきり哀愁を帯びていた「サルビアの花」が、今も「愛し合う」ことを誠実に受け止めている著者の一つのエッセイのように聞こえてきた。

 夏目漱石「明暗」。ぶ、分厚い! 店頭で見かけた集英社文庫の「漱石コレクション」の掉尾を飾る漱石未刊の遺作は、予想以上に分厚い。なんだろう、文字が大きいからか、紙質のせいか。なのに760円というお値打ち価格。思わず買ってしまいました。明暗に限らず漱石の作品は筑摩書房の全集とちくま文庫の全集とを両方とも実家に蓄えているのだけれど、それでも簡便に読める最新の文庫なら買ってしまおう。つい先月に「道草」も買ってしまったはずなんだけどね。

 嵐山光三郎「美妙 書斎は戦場なり」。山田美妙の評伝。確か、単行本が出たときに図書館で借りてきたのだけれど、読まずに返してしまったようだ。山田美妙というと、尾崎紅葉、石橋思案などとともに硯友社を結成して、文学運動をさかんにした明治の作家の一人だ。ただし尾崎紅葉が「金色夜叉」という後世に残る大作をものしたのと比べると、美妙の作品はこれといったものはなく、作家としては〈微妙〉な存在だ。ただ、文学史などを見ると、いち早く言文一致体を模索した人物として名が挙がってくる。以前見た文体では、地の文は美文(文語調)だけれど、文末表現を変えてみたり、文の切れ目に句点を挿入してみたりと、今からみればおかしな文体だけれども、明治の美文を得意とする作家たちがどのように新しい表現を切り開けばいいかを、最前線で考えていた先駆者だった。そのあまりに知られていない人生を、嵐山さんが描くとどう人物が立ち上がってくるのか、興味深い。

 松本健一「評伝 北一輝(2)明治国体論に抗して」。もちろん第2巻から読みたいのではなく、通して読もうかと思うのだが、著者は以前に北一輝について書いてなかっただろうか。そう思ってWikiをたどると、何度も書いて本を出してもいる。いや、これはもう、江藤淳にとっての漱石と同等の意味をもつぐらいだ。生涯を掛けて、一人の人間の思想を受け止めようとしている。僕はどちらかと言えば、右寄りの思想に関心をもってこなかったために、北一輝のようなナショナリズムについて考えざるをえなかった人物の思想をトレースすることが少なかった。わかりやすく書いてくれる人と言えば、著者をおいてはいないのかもしれない。

 マーカス・デュ・ソートイ「シンメトリーの地図帳」。以前から「素数の音楽」というタイトルの本が気になってはいた。新潮クレスト・ブックスという非常におしゃれな装丁のシリーズの一冊として出版されている。例えば「朗読者」とか「停電の夜に」などの、これまた独特な味わいをもった小説が含まれていて、実は「素数の音楽」という作品も、数学を題材として取り込んではいるが、小説なのだとずっと思ってきた。今回の作品も数学ノンフィクションとあるように「素数の音楽」もノンフィクション作品である。となると、途端に読んでみたくなった。すでに「素数の音楽」も文庫化されている。こちらから順に、だろうか。

 宮部みゆき「ソロモンの偽証 第I部 事件(上)(下)」。宮部みゆきの新作ミステリーは、スタートダッシュに遅れをとると、図書館の予約待ちがはけるのは1年越しになる。いや、宮部みゆきクラスは2年越しだろうか。現在、2012年に出版された単行本が、立川図書館で12冊64人待ち(5.3人/冊)、川崎図書館で39冊319人(8.2人/冊)だ。どちらの図書館も文庫は未入荷。きっと宮部みゆきだから蔵書になると思うのだが、そのときを逃さず予約すれば、早めに読めるかも。でも、とりあえず単行本をそろそろ予約しておくか。

池内紀「夢見る部屋 日本文学100年の名作(1)(仮)」。「(仮)」ではなくなりました。出版されて店頭にもならび、そして買ってしまいました。全10巻の予定なのかな。ラインナップを見ると、

荒畑寒村「父親」/森鴎外「寒山拾得」/佐藤春夫「指紋」/谷崎潤一郎「小さな王国」/宮地嘉六「ある職工の手記」/芥川龍之介「妙な話」/内田百閨u件」/長谷川如是閑「象やの粂さん」/宇野浩二「夢見る部屋」/稲垣足穂「黄漠奇聞」/江戸川乱歩「二銭銅貨」

新潮文庫創刊当時から10年間にわたって発表された小説が、非常にバリエーションに富んだ作家たちを取り合わせて編集されている。もう立派な装丁の文学全集は流行らないけれど、文庫で読めるならばお手軽だ。がんばって読まないと、すぐに色あせて積ん読か、買わずにやめてしまいそうだ。読書の秋到来が絶好の機会になるぞ。

 松本健一「明治天皇という人」。あれ、松本健一さん、今月2冊目だ。明治天皇についても評伝を書いていたのか。単行本の口コミと読むと、明治天皇に対する尊敬(敬愛)が感じられないので、面白みに欠けると感想を述べている読者がいる。それもそうだろうが、明治天皇の実像を描くのが困難なために、ある程度神格化されたエピソードで固めるというお手軽な明治天皇論も多い。敬愛しないぐらい、どうってことない。要は評論として感心させられるかどうかだけが重要なんだし。

 アーサー・コナン・ドイル「シャーロック・ホームズ最後の挨拶【新訳版】」。深町真理子さん翻訳による新訳版がでてから、何冊か買ったと思うのだが、中断している。最初の「冒険」はじっくりと読んだ。次は「回想」なんだけれど、「銀星号事件」を読んでは、行方不明になった銀星号の捜索にホームズが遅ればせながら乗り出して関係者から話を聞き出すところから、なかなか先に進まず、再び中断。おかげで調教師の妻が「カレー味の肉料理」を馬房に詰めている亭主にもっていったという話がつよく頭に印象づけられていく。そろそろ、前に進まねば。では、僕は次に「緋色の研究」から手にいれるべきなのかな。

で、結局9月に入るどころか、一週すぎてしまった。9月の新刊も早々にチョイスしないと。
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2014年07月17日

2014年7月の新刊

なんだか、あっという間に夏が押し寄せてきてしまった。そうこうするうちに7月の新刊も7月どころか7月半ばを過ぎて、いまさらのようにアップする仕儀となった。まあ、暑くて死にそうだからいいか。いつものように大洋社HP調べ。このHPでも次の8月分の新刊リストがなかなか掲載されない。と思って念のため確認したら、15日付けで掲載されていました。失礼しました。

07/09 かんたん短歌の作り方 ショートソングの教科書 枡野浩一(ちくま文庫) 864
07/09 自然とギリシャ人・科学と人間性 エルヴィン・シュレーディンガー(ちくま学芸文庫) 1080
07/10 やわらかな遺伝子 マット・リドレー(ハヤカワ文庫NF) 972
07/10 刑務所なう。 堀江貴文(文春文庫) 1112
07/10 三つの棺〔新訳版〕 ジョン・ディクスン・カー(ハヤカワ・ミステリ文庫) 972
07/10 日日の麺麭/風貌 小山清作品集 小山清(講談社文芸文庫) 1620
07/10 郵便配達は二度ベルを鳴らす ケイン(光文社古典新訳文庫) 未定
07/11 THEGREENMILE(下) スティーヴン・キング(小学館文庫) 972
07/11 THEGREENMILE(上) スティーヴン・キング(小学館文庫) 972
07/18 若い藝術家の肖像 ジェイムズ・ジョイス(集英社文庫) 未定
07/22 テニスコートの殺人 ジョン・ディクスン・カー(創元推理文庫) 972
07/25 文学とは何か 加藤周一(角川ソフィア文庫) 778
07/30 MM9−destruction− 山本弘(創元SF文庫) 1058
07/30 ギリシャ棺の謎 エラリー・クイーン(創元推理文庫) 1188
07/下 ぼくはアスベルガー症候群 権田真吾(彩図社文庫) 580


 枡野浩一「かんたん短歌の作り方 ショートソングの教科書」。枡野さんは現在BSフジで放映中の「原宿ブックカフェ」に、珈琲歌人という肩書きで登場している。スポンサーのネスレが自社のコーヒーマシンを導入しているカフェ(たぶん原宿ブックカフェか)で、コーヒーを飲みながら短冊に一首詠む彼の姿が映し出される。そこで詠まれる、短歌というにはあまりに普段着の言葉と日常のささやかな機微を読み込んだつぶやきにも似た言葉は、かつての石川啄木がそうだったように、そして俵万智さんがまたそうだったように、僕ら忙しい現代人の心の隙間にひそやかに咲く。彼を知ったのは偶然で、たぶん何もしらずに昨年のナツイチのAKBのブックカバーが欲しくて「石川くん」を買っていた事も後で気づいたくらいだ(ということは、まだ未読)。しかも、息子が小学生になってから将棋をやるようになり、僕も次第に将棋の面白さに取り憑かれ、将棋漫画の「ひらけ駒!」を愛読するようになって、ふと作者の私小説でもあるだろうこの作品に出てくる、悩める小学生の息子・宝くんのお父さんは何故出てこないのだろうか、などといらぬ詮索をしてたどり着いた地点も、また偶然でしかない。でも、着実に僕は枡野さんのつぶやくような言葉の近くにいる。

 エルヴィン・シュレーディンガー「自然とギリシャ人・科学と人間性」。言わずと知れた量子力学のパイオニアの一人。波動力学を提唱してシューレ−ディンガー方程式を発表した。でも何よりも彼を、同じ物理学者達の中でも知らしめる事になったのは「シュレーディンガーの猫」という思考実験だ。量子力学は従来の、いや今でも現実に僕らが認知している世界を支配する力学からは想像できないくらいの奇妙な世界観に満ちあふれている。だから、そこには科学に対する哲学的なアプローチが求められるとも言える。近年、量子力学の成果が素人の関心事になるように、めざましい観測結果やそこから引き出される圧倒的な理論に魅了される事が多くなった。進歩に興味が引かれれば引かれるほど、パイオニアたちの声により一層耳を傾けたいとお思う。

 マット・リドレー「やわらかな遺伝子」。どんな本か全く知らないが、タイトルがいいのでおもわず拾ってしまった。単行本の解説によると、遺伝子は生物のすべて(将来を含めたすべて)を制約するものではなくて、もっと柔軟な装置なのだそうだ。遺伝子の研究では「氏か育ちか」という論争があるそうだ。つまり個体が持っている機能や特性が先天的なものなのか、あるいは後天的に獲得したものなのかという点だ。従来の遺伝子(DNA)理論では、遺伝子がプログラムそのものであって、先天的に組み込まれているというイメージだったが、リドレー氏の考え方では遺伝子はスイッチそのものであって、オンになる事で新たな遺伝子群が動き出す。環境に適応した改造を適宜行う柔軟な装置というイメージだそうだ。そうであれば「氏か育ちか」という対立項は無効になるのだろう。

 堀江貴文「刑務所なう。」。えーと、彼の獄中記を読んでなかっただろうか。「宮崎美子のすずらん堂書店
」という番組でトークゲストに彼が出演したので、獄中に経験したあれやこれやを面白く聞いた。彼が犯した罪に関して不愉快な思いをした人も少なくないと思うけれど、僕自身は直接的にも間接的にも被害を被ってはいないし、元々は世の中を動かすための「正論」しか言えない性分の人間に違いないと思っているので、今更ながらに彼の言動を読んだり聞いたりするのは楽しい。とっても明快な思考で明快な答えをバシバシ出していく才能は天性のものだと思う。そんな彼が今何を考えて、何をしているのかが気になっている人も、これまた「少なくない」のではないだろうか。手始めに、野放しにするとすぐにトップスピードに乗ってしまう異才の人物が、刑務所という限定空間に入ると、どうパーソナルスペースを作りあげていくのか、どうソーシャルコミュニティを作りあげていくのか、すっごく興味深い。忘れていた。読まねば。

 ジョン・ディクスン・カー「三つの棺〔新訳版〕」。いよいよカーの代表作中の代表作の新訳が登場だ。カーと言えば不可能犯罪、とりわけ密室トリックで有名だが、本作は密室トリック愛好家なら知らない人はいないだろうというくらいの作品だ。なにしろ、密室トリックが連続して出現する。なんだ、そんなの珍しくないじゃないかと思うのは、ここ二、三十年の新本格ミステリーのムーブメントに慣れ親しんでいる人たちの言い分だろう。読者へのサービス満点のエンターテインメントとしてのミステリーが大量に生産されて、「密室が多すぎる」という設定がありきたりなものになってしまったからだ。だが、いわゆるミステリー黄金期と位置づけられる1930年近辺の作品では、カーでさえも一つの作品に複数の密室を仕込むなどという贅沢な趣向はほとんどなかったはずだ。だからこそ「三つの棺」は密室トリック作品のランキングの常連であるわけだが、それ以外にも作中の探偵であるフェル博士が密室談義と読者に向かって語りかけるという、一種のメタ小説になっているところも、カー作品のというより、数あるミステリーの中でも特異な位置を占める作品となっている。とはいえ、あの「帽子収集狂事件」の謎解きもよくよく分析しなければ理解できなかったように、いまだに本作のトリック(特に2番目の密室)の謎解きが理解できない。今回の新訳でカーの複雑な伏線の構成をようやく解明できるのではないかと、いまから楽しみだ。

 小山清「日日の麺麭/風貌 小山清作品集」。小山清と言えば、「ビブリア古書堂の事件手帖」の記念すべき第一作の中の「小山清『落穂拾ひ・聖アンデルセン』」の回で取り上げられた作家だ。太宰に才能を認められながらも、晩年は病に苦しみ55歳にして自死している。そんな彼が若き日に生み出した短編は、その後に彼を待ち受けている人生の残酷さの一片も感じさせない。貧しい生活苦の中でも、将来への野心と未来への希望を語る前向きな言葉に満ちている。

 ケイン「郵便配達は二度ベルを鳴らす」。ミステリーの傑作として名高い。何度も映画化され、かのルキノ・ヴィスコンティさえ映画化している。なのに、だ。一度も映画を観ていないし、本も読んでいない。何故だろう?いや、ヴィスコンティを愛する一映画ファンでもあったのに、これはなんたる事だろう。なんとなくタイトルからミステリーのジャンルとしての「ハードボイルド物」と思い込んだせいかもしれない。今はともかく、若い頃はごりごりの本格推理小説が好きで、ハードボイルドを毛嫌いしていた。今はそうでもないが、結局その姿勢がチャンドラーやハメットなどを読みすごしてきている。そろそろ、今回の新作でケインの名作を味わってみてもいい頃だろう。

スティーヴン・キング「THEGREENMILE(上)(下)」。あの「グリーンマイル」が上下巻となって再刊される。いや、新潮文庫ではなく小学館文庫で、だ。そもそも、この「グリーンマイル」という作品はやっかいな小説だ。慣例ではキングの長編は単行本が最初に出て、やがて文庫化されるものなのに、最初から文庫で出版された。ただし、本国で原作が売られた時の趣向を踏襲して、文庫が分冊されて順次発売されて全六冊で完結という出版形態をとった。キングの新作を購入するという趣味はなかったが、当時は話題になった販売形態は、ファンの足下を見るかのような割高な買い物をさせるやり方だと、一部に批判があったように思う。僕もそう感じた一人だが、なにより6回も待たされては買い、待たされては買うというのが面倒くさいのと、もっと言えば、一作品に6冊も場所を占有されるのが、なんとも嫌だった。その後、「ショーシャンクの空に」のフランク・ダラボンの手にかかってきっちりと作り込まれた映画が大ヒットし、原作の6分冊は大量に書店に出回るとともに、やがては古本屋にばらけた形で拡散した。そうなると、ますますこの全六冊の「グリーンマイル」は読みにくい作品となる。よくよく考えれば、図書館で1作品にも拘わらず6冊の割り当てを一挙に消費してしまうのだ。それが、今回すっきりと上下巻にまとめられたのは喜ばしい。

 ジェイムズ・ジョイス「若い藝術家の肖像」。あれ?なぜジョイスを拾ったんだろう?特に愛読作家というわけでもないのに。あれかなぁ。丸谷才一さんに対するお弔い読書かな。と言っても、最近亡くなったわけではないから、関係ないか。とにもかくにも丸谷さんの翻訳でジョイスが文庫で読める。ちょっとあんちょこを読んだら、この作品はジョイスの半自伝的小説だそうだ。改めて、いまさらジョイスを読もうとするならば、手こずりそうにない、この作品がちょうどいいのかもしれない。

 ジョン・ディクスン・カー「テニスコートの殺人」。「曲がった蝶番」以来のフェル博士シリーズの新訳だ。最近はヘンリ・メリヴェール卿シリーズかアンリ・バンコランシリーズが続いている印象が強いでの、ようやくフェル博士に登場ねがって、おどろおどろしい物語に陽気な花を咲かせてほしい。「テニスコートの謎(旧版はこういうタイトルだった)」は割と好きな話だったような気がするのだが、残念ながら記憶がはっきりとしない。カーの長編にはそういう事がよくある。読んだ先から忘れてしまうのだ。だから、もう一度読む事が意外と楽しかったりする。もしかして、そうだからこそ、いまだに絶版になっては、そのたびに復刊するという稀有はミステリーの大家なのだろう。

 加藤周一「文学とは何か」。以前読んだ「現代倫理学入門」の著者だと勘違いして拾ってしまった。かの本の著者は加藤尚武氏だった。しかし、そもそもタイトルまたは著者への関心でピックアップしているので「文学とは何か」という今更ながらの大上段のタイトルに吸い寄せられてしまった。加藤周一とは何者か?僕の読書は狭くて偏っているのか、それとも専門的すぎて近寄れなかったのか。医学留学生としてフランスに渡り、それを機に外から日本の文化や文学などについての批評をするようになった評論家である。いわば、江藤淳や柄谷行人、蓮實重彦などのその後歩んだ道の先人とも言える。ただし、それにしてはあまり彼らの著作の文脈には加藤周一の名前は現れなかったような気がする。Wikiの語録をざっと見る限り、断定的な物言いがカチンとくるのだが、一方でamazonのフォロワーの意見では「文体が非常に論理的で明晰」と言われている。決して難解な文章ではない、とも。では、遅ればせながらお近づきにならせていただこうか。

 山本弘「MM9−destruction−」。もちろん「神は沈黙せず」を読んで以来、愛読作家の一人としているけれど、長編のSFについてはそれほど量産しているわけでもなく、時々気がついては面白そうだと読んでいる程度にすぎない。と学会会長でもあるので、トンデモ本関連の本も一冊読んだし。そして、この日本の怪獣ものにオマージュを捧げたかのようなSF「MM9」のシリーズも注目はしているのだが、まだ読んでいない。僕は「神は沈黙せず」的なトリッキーなSFファンタジーに魅せられてきたので、「去年はいい年になるだろう」も大変面白かった。それとは違って「MM9」はかなりリアル度が増した近未来の「今そこに怪獣がいる世界」を描いたもののようなので、今ひとつ「読もう」という踏ん切りがついていない。いっそシリーズが完結したら一気に読破しようなどと思ってはみたもの、SFってシリーズが延々と続く場合が多いので、そろそろ潮時かもしれない。

 エラリー・クイーン「ギリシャ棺の謎」。こちらは創元推理文庫の中村有希訳の方だ。印象としては従来のエラリー・クイーンの、やや硬質な文体を踏襲しつつも、女性らしい気遣いが感じられる柔らかな文章に変わった。女性だと、クイーンの理屈っぽい謎解きのくだりなどは合わないのではないかと思ったのだが、違和感は感じられなかった。それより従来から持ち越しになってきた翻訳の細かな誤りやわかりにくさ、あるいは古くささが払拭された事の方が重要だ。ただし、それもこれも角川文庫で越前敏弥版の国名シリーズの刊行が始まるまでの感想だ。クイーンの悲劇四部作が完結して、その勢いをそのままに国名シリーズまでも翻訳してしまうという一大プロジェクトに、僕は魅せられてしまった。しかも越前さんは、ぐずぐずすると、本家本元である創元推理文庫で一歩も二歩も先んじている国名シリーズの新訳に対して、すぐにでも打ち切りになる危険性を回避するために、見事な戦略であっという間に追いつき追い抜いてしまった。先月には角川文庫版の「アメリカ銃の秘密」が出たばかりで、創元推理文庫版の「ギリシャ棺」は一周(1冊)遅れだ。この分だと創元推理文庫の新訳は、越前版国名シリーズをすべて読み終えてからになりそうだ。できれば越前さんには後期クイーン作品の代表作だけでもいいから継続して翻訳してほしいものだ。

 権田真吾「ぼくはアスベルガー症候群」。最近は発達障害に関する新書などはよく見かけるようになったが、発達障害をもつ人による実体験を書き綴った内容の本は、それなりの単行本でないと読むことができない。もちろん漫画家になった当人が書くマンガなどは何種類か存在する。障害の困難さを笑い飛ばそう、笑ってもらいながらも同時に健常者に理解してもらおうという狙いは、ある程度成功しているだろうが、やはり現実を生きていくための切実な体験談も知りたい。これは結構、期待している。
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2014年06月27日

2014年6月の新刊

06/05 宮崎駿ワールド大研究 別冊宝島編集部(宝島SUGOI文庫) 756
06/06 駄作 ジェシー・ケラーマン(ハヤカワ・ミステリ文庫) 1080
06/06 評伝 ナンシー関「心に一人のナンシーを」 横田増生(朝日文庫) 878
06/10 プラグマティズムの帰結 リチャード・ローティ(ちくま学芸文庫) 1836
06/10 公園/卒業式 小島信夫初期作品集 小島信夫(講談社文芸文庫) 1728
06/10 小林秀雄の思ひ出 郡司勝義(文春学藝ライブラリー) 1663
06/10 誰かに教えたい名短篇 北村薫(ちくま文庫) 972
06/10 本が多すぎる 酒井順子(文春文庫) 983
06/12 ハックルベリー・フィンの冒険(下) トウェイン(光文社古典新訳文庫) 未定
06/12 ハックルベリー・フィンの冒険(上) トウェイン(光文社古典新訳文庫) 未定
06/12 推理作家協会賞全集91 本格ミステリの現在(上) 笠井潔(双葉文庫) 750
06/12 推理作家協会賞全集92 本格ミステリの現在(下) 笠井潔(双葉文庫) 730
06/12 推理作家協会賞全集93 ホラー小説大全 ドラキュラからキングまで 風間賢二(双葉文庫) 710
06/13 ぼくには数字が風景に見える ダニエル・タメット(講談社文庫) 未定
06/23 からごころ 日本精神の逆説 長谷川三千子(中公文庫) 972
06/25 アメリカ銃の秘密 エラリー・クイーン(角川文庫) 821
06/26 道草 夏目漱石(集英社文庫) 未定
06/27 森見登美彦の京都ぐるぐる案内 森見登美彦(新潮文庫) 未定
06/27 晴天の迷いクジラ 窪美澄(新潮文庫) 680
06/27 文人の食アンソロジー(仮) 嵐山光三郎(新潮文庫) 未定


 別冊宝島編集部「宮崎駿ワールド大研究」。ムック本のコーナーに行くと、そそられるタイトルが結構ならんでいたりする。でも買えない。なんだってムック本ってあんなに高いんだろう。本格ミステリー好きで、かつ「密室」好きでもあるので、「有栖川有栖の」と冠が施されている密室ミステリーに関するムックが再刊されているのに飛び上がった。よく見ると改めて内容を一新したもののようだ。欲しいなぁ。でも1600円ぐらいするんだよ。雑誌コーナーに混ざっていながら、この1500〜2000円という価格帯は贅沢品を買うに等しい。覚悟を必要とする。結局、指をくわえるしかない。かといっていくら待っても図書館で借りられるあてがないのが、ムック本のうさんくさいところだ。公的には書籍・雑誌の仲間と見なされていない。宝島から出版されるムックの多数もそういう扱いをされる事が多いのだが、文庫になってしまうと途端に図書館でも蔵書対象にしてくれる。僕にしても買いやすい値段帯に落ち着くので、おもわず飛びついてしまうわけだ。
「コロンボ」「金田一耕助」「ホームズ」「北村薫」「京極夏彦」「エラリークイーン」といったガイドブックが文庫としてならんでいるが、引退を表明した宮崎駿さんのガイドブックも欲しいかも。

 ジェシー・ケラーマン「駄作」。ケラーマンという名前に覚えがあるので、ついチェックリストに挙げてしまったけれど、有名なのはフェイ・ケラーマン。その息子さんの作品なのだそうだ。店頭ですでに平積みされていたので手に取ったのだけれど、他人の未発表原稿を自分の作品として出版してしまうという、けっこうありがちなストーリー。でも「本書には奇想天外な展開があることをあらかじめ警告します」という但し書きがあるので、そうか「シックスセンス」のようなトリックが仕掛けられているのかなぁとも思ったが、あの手の作品の場合は「結末は誰にも話さないでください」というのが常套句。という事で本当に「奇想天外な展開」になるのであれば、これはもうミステリーではないな。それで思い出した。以前読んだデイヴィッド・アンブローズの小説が、まさしくそんな「あれれ?」という展開のトンデモ本だった。そうそう「偶然のラビリンス」だ。まあ、今回の作品がそれと同じというわけではないかもしれないが、「奇想天外な展開」にちょっとそそられるなぁ。

 横田増生「評伝 ナンシー関「心に一人のナンシーを」。ナンシー関。どの雑誌にもなんらかの形でナンシー関の消しゴム印のデザイン画が掲載されていたので、なんとなく名前は覚えたが、特に強い関心もなかったので、「ああ、面白いね」ぐらいにスルーしていた。いざ、若くして亡くなってみると、あの、いつでも見ることの出来た軽快な芸能批評をもう二度と味わえないのだなと、身勝手な郷愁を感じている。彼女はいったいどんな出自で、どんな人生を全うしたのか、いや全うせずに急逝したのか、知りたくなっている。「伝えたい事などない」と自らの作品について言い切ったという、彼女の言葉に作品に人生に出会ってみよう。

 リチャード・ローティ「プラグマティズムの帰結」。ローティってあれかなぁ、ハーバード大のサンデルさんとなんか関係なかったっけ、などと思ってチェックいれたんだけど、あれはジョン・ロールズだった。「ロ」しかあってないじゃないか。ただ、プラグマティズムについては、社会人になった頃に鶴見俊輔さんの「アメリカ哲学」という本でちょっとおさらいした事があったので、それが30年の時を経て、どう結論づけられたのかと「タイトルにそそられた」わけ。でも店頭で既に売られているのをちょっと見てみたんだけど、素人には歯が立たないかも。結構厚くて文字がギュッと詰まっている。そんなに言い尽くさないと「プラグマティズム」は終わらないのかなぁ。

 小島信夫「公園/卒業式 小島信夫初期作品集」。決してなじみ深い作家ではないのだけれど、高橋源一郎さんが尊敬し、「こういうふうに書きたい」とまで思ってべた褒めしている作家なので、一度は読んでみたいと思って本を借りては読み切らずに返却する、の繰り返しだ。彼の作品は実は「抱擁家族」を購入して書棚に積んでおいたはずだ。これは誰の受け売りだったか。もしかしたら吉本隆明「マスイメージ論」だったような気もするし、あるいは蓮實重彦「反=日本語論」だったかもしれない。でも、そのときも読み切れなかったのは、結局自分はそれほど小説というジャンルが好きというほどではなく、関心が続かないという点が挙げられる。ミステリーは未だにジャンルとしては関心がつながっているし、ノンフィクションも好きだし、評論なども好き。特に本の本のような自己言及的な解説本には目がない。でも、作家に対する愛着は人並みにはあるので、好きな現代作家も昔の作家の小説も好きだ。でも、なかなか続かない。一冊読めばお腹がくちて、当分は読まなくていいかなぁと思ってしまう。そんな感じだ。でも、小島信夫さんの作品は、まだ一度もそこまでたどり着いていない。きっと文章(文体)に秘密があるんだよね。文体を味わうには、ちょっとしたきっかけと、ゆとりが必要。のんびり時間に追われる事なく、私小説風なストーリーがあってないような雰囲気のある映画をミニシアターで観る時の気分に似ている。それを味わうだけのゆとりが、今の自分には欠けている。あぁ、三日ほど自分のためだけに休んで、「小島信夫初期作品集」を読んでみたい。

 郡司勝義「小林秀雄の思ひ出」。これも単行本を借りて読めずに返してしまった本だ。郡司さんは、以前「ノーサイド」という雑誌に小林秀雄の最晩年の様子を描いたエッセイを寄稿していた。そこには晩年に一度は中断してしまったベルグソン論「感想」をやり直したいという意思を表明する小林秀雄の様子が描かれている。残念ながらその願いは果たされず小林はガンに倒れた。郡司さんはベルグソンと格闘していた際に読み込んでいた岩波文庫版の「時間と自由」を譲り受けた。それは余りに読み直したために型崩れして、一部が落丁して失われていた。「もし残りが見つかったら、それも頂戴したい」と言いおいて辞去したら、日を置いて呼び出されて残りが見つかったと差し出された。奥様が「そんなぼろぼろのものではなく新しいのを差し上げたら」と言ったら、「これはそういうものではない。これは一種の地図のようなものなのだ。」と言ったそうだ。それをうかつに譲り受けた郡司さんは大変に恐縮したと書いている。郡司さんも2007年に鬼籍に入ったと調べてわかった。あの〈地図〉でもある「時間と自由」は一体どうなったのだろう。

 北村薫「誰かに教えたい名短篇」。先月も一冊出たばかりだ。あれはなんていうタイトルだったっけ?なんか似たようなタイトルだった気がする。調べてみたら「教えたくなる名短篇 」だって。今度は「誰かに教えたい」か。いや、これってわざとでしょ。きっと今でも北村薫と名が付けば買いあさる追っかけファンにとっては、絶対に「名短篇」シリーズをだぶって買ってしまった経験があるに違いない。さらに先々月にも「読まずにいられぬ名短篇」というタイトルで一冊出ている。三連チャンかぁ。それに確か北村薫さん本人のエッセイ「書かずにはいられない」が出ている。うーむ。これはもはや神経衰弱ゲームと言っていいのでは?

 酒井順子「本が多すぎる」。本に関するエッセイなんて山ほど出してるんでしょ。まだ未読だけど、超ぶあつい書評本「本の本」だって自宅の本棚に鎮座してるし。と思ったら、あれは斉藤美奈子著だった。調べてみたけれど、タイトルで判別する限り、書評本は書いてなさそうだ。どうやら冒頭に書かれていた「本は好きだけれど、読書は苦手だ」というのは嘘ではないようだ。本は好きだからこそ、本との出会いが別の本を呼ぶという「本がつながる喜び」を書き綴ったエッセイ。なんだ、僕が今書いている文章もほとんど、そんな感じなんですけど。

 トウェイン「ハックルベリー・フィンの冒険(上)(下)」。いきなり「トウェイン」という作家名が書かれているのを見ると、あの「トムソーヤの冒険」の作者であり、アメリカ合衆国の国民作家でもあるマーク・トウェインだとは気づかないんですけど。今回だって「ハックルベリー・フィン」の知名度に支えられて、ようやく「ああ、マーク・トウェインなのか」と気づく始末。だからなんだっていう話でもないんだけど、いや、いまさらハックルベリー・フィンの新訳が供給されてもなぁという気分でもある。だって角川文庫からトウェイン完訳コレクションと銘打って大久保博さん訳が出版されているじゃない。あれを確か古本屋で入手してあるんじゃなかったかな。いや、中学か高校の頃にどちらも読んでいるので、特に「ハックリベリー・フィンの冒険」の面白さは心に残っているから、いつか再読してやろうと思っているわけなんだけど、さらに新訳が出てしまうと心に迷いが生じてしまうではないか。蔵書を読むべきか、新刊を図書館で借りて読むべきか。うーむ。

 笠井潔・編「推理作家協会賞全集91 本格ミステリの現在(上)」
 笠井潔・編「推理作家協会賞全集92 本格ミステリの現在(下)」
以上、二冊まとめて。笠井さんというと「ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?」が雑誌に長期連載されていて、同名のタイトルで括られるミステリー評論のシリーズが何冊も出版されている。僕もその中の一冊を読んで、特にエラリー・クイーンの著作に見られるメタ・ロジックの問題についていろいろと考えさせられた。ただ、それ以前に「本格ミステリの現在」という著作が出版されていたのは知らなかったよ。どういう内容なんだろうと思って調べてみたら、ああ、こいつもオムニバスだったか。大洋社の文庫発売予定一覧は非常に重宝しているので大きな声で文句は言えないけれど、著者なのか編者なのか区別が付くようにしていただくとありがたいです。ぜひ、ご一考くださいませ。
内容だけれども、綾辻行人から始まった新本格ミステリーのムーブメントの全体像をとらえるために、代表的な16人の作家についての評論となっている。以下、目次を掲載しよう。何より自分が読みたいというモチベーションを上げるために、だ。
(上巻)
竹本健治論―尾を喰う蛇は“絶対”を夢見る(千街晶之)
笠井潔論―大量死と密室(法月綸太郎)
島田荘司論―挑発する皮膚(法月綸太郎)
東野圭吾論―愛があるから鞭打つのか(北村薫)
綾辻行人論―館幻想(涛岡寿子)
折原一論―決算後の風景(田中博)
法月綸太郎論―「二」の悲劇(巽昌章)
有栖川有栖論―楽園が罅割れるとき(千街晶之)
(下巻)
宮部みゆき論―語りと灯(涛岡寿子)
我孫子武丸論―メタ・ヒューマニズム序説(夏来健次)
北村薫論―可憐なる巫女たちの物語(加納朋子)
山口雅也論―パンキー・ファントムに柩はいらない(有栖川有栖)
麻耶雄嵩論―形式の大破局(佳多山大地)
井上夢人論―意識・身体・小説・現実(田中博)
二階堂黎人論―怪人のいる風景(鷹城宏)
京極夏彦論―フロイトの「古井戸」(武田信明)


 風間賢二「推理作家協会賞全集93 ホラー小説大全 ドラキュラからキングまで」。これは地元の行きつけの図書館で見かけた事がある。基本、ホラーは苦手なんだけれど、怖い物見たさのミーハー的興味はある。ホラー映画の名作と言われるものを一時期レンタルして見ようとした事がある。何故って、映画館通いをしていた頃にも、ホラー映画はほぼよけていたからだ。「呪怨」などもその後レンタルしてなんとか見たけれど、あれを映画館で観るのは不可能だ。文章になれば読めるだろうと思うだろうが、文章の方が後に頭の中から怖い場面が離れなくなってしまうので、なおさら心して掛からないといけない。こんな本を読むと、きっとホラー小説の「読みたいリスト」を作ってしまいそうだ。いや、きっと作るだろうな。そうして、冷や汗をかきまくる夏の夜が続くのだろう。小野不由美の「屍鬼」を読んだ、あの夏のように。

 ダニエル・タメット「ぼくには数字が風景に見える」。サヴァン症候群というと、例の映画「レイン・マン」でダスティン・ホフマンが演じた、人並み外れた記憶力を持つ男のように特異な才能を発揮する事が多い障害の事だ。このタメットという人は、文字が色や形に見えてくるらしい。それだけでなく、発達障害の一つであるアスペルガーでもあり、そのために現在にたどり着くまでにいろいろと大変だったわけだ。「大変だった」と書くと他人事のように聞こえてしまうが、個人的には発達障害は僕にとっても他人事ではすまされない関わりがあるので、この本は非常に関心がある。以前に単行本で借りたのだが、ちょっとサヴァンの話なのかアスペルガーの話なのかというところで、僕の方の関心のポイントがずれてしまい、読了できずに返してしまった。もう一度ぜひチャレンジしたい。

 長谷川三千子「からごころ 日本精神の逆説」。長谷川さんは「バベルの謎−ヤハウィストの冒険−」の著者だ。これは複数介在するであろう作り手の狙いを分析する事で、聖書成立の謎を明らかにする非常にエキサイティングな評論だった。今度は、あの「からごころ」がテーマだ。〈あの〉というのは本居宣長が「さかしら」だと批判した「唐心(からごころ)」だからだ。これが、エキサイティングな批評にならないわけがあろうか。小林秀雄は本居宣長の墓を見て「やまとごころ」のなんたるかを、どう本居宣長の言葉から引き出そうかと腐心したわけだが、この著者はまったく逆向きのアプローチをとることによって、結局は小林秀雄と同じ到達点に、あるいはその先に立とうという刺激的な試みに違いない(推測が入ってますけどね、まだ未読だから)。なんか楽しみになってきた。

 エラリー・クイーン「アメリカ銃の秘密」。えーと、すでに先日買っちゃいました。このブログでもすでに「アメリカ銃」については書評とネタバレ分析とを思う存分書いた。その上で、何を新訳で読む事があるか、などと野暮な事をいってはいけない。この角川の国名シリーズは、翻訳があの越前敏弥だし、解説が「エラリー・クイーン・パーフェクト・ガイド」の飯城勇三なのだ。訳にもそこらにはないドライな切れ味があるし、あとがきには既に手垢のついた情報を並べるなんて事は金輪際ない。またまた一度で二度も三度も美味しいエラリー・クイーンの新訳が誕生した事になる。えーと。だから、読まなくちゃね。実はすでに「ギリシャ棺」「エジプト十字架」そして今度の「アメリカ銃」と三冊も未読状態。どうしましょう。「フレンチ白粉」の読後感想と分析を書くのが先だと思って、ついつい読み控えしてしまったのだ。馬鹿な事をしたもんだ。もうそろそろなんとかしよう。

 夏目漱石「道草」。集英社文庫の漱石コレクションもいよいよ大詰め。あとは未刊の大作「明暗」を残すのみとなる。解説が谷根千に暮らした文豪達に詳しいノンフィクション作家の森まゆみさんで、鑑賞が古書店経営者にして小説家の出久根達郎さんという取り合わせも、新潮文庫や岩波文庫などとはひと味違う工夫だろう。集英社文庫版は活字も大きいし、ごてごてした注も少ないので読みやすい。おすすめです。と言って、自分で買うかというと悩みどころだ。きっとずるずると漱石コレクションを集めまくってしまいそうだから。昨日、書店で見かけて中身をあらためた。前から思っているのだが、集英社文庫で出している明治・大正・昭和の文豪たちの作品はお値打ちだ。価格が安い上に、年表が充実している。下段に写真が入っているし。漱石の現存している写真は少なくて、たぶんほとんどの有名な写真は、この年表に収まっているはずだ。

 森見登美彦「森見登美彦の京都ぐるぐる案内」。「太陽の塔」で日本ファンタジーノベル大賞を受賞して作家デビュー。「夜は短し歩けよ乙女」で大いにブレイクした感のあった森見さんだけれども、最近は話題になることが少ないように感じているのは僕の勝手な思い込みだろうか。思い込みならば失礼だとおもって、念のためにWikiってみた(とは言わないんだよね、ググってみたとはいうけど。念のため)。なんと体調を悪くして1年半近く作家活動を休止していたそうだ。なんか森見さんの作品に登場する主人公の男性(たぶん著者自身が投影されている)をイメージする限り、京都の学生向けの下宿住まいで不健康な生活をしている線の細さと優柔不断さが感じられた。まさか本当に健康を害する目にあっていたとは。でも活動を再開したのは何よりです。森見さん独自の視点での、勝手知ったる京都観光案内は楽しそうだ。

 窪美澄「晴天の迷いクジラ」。個人的には、今現在もっとも信頼が置けて、次作が文句なしに期待できる作家だ。「ふがいない僕は空を見た」の読後、本屋大賞の候補作にノミネートされているのを知り、大賞を確信したのだが、受賞を逃してがっかりした。いや、がっかりしたというのは嘘だが、代わりの受賞作が「謎解きはディナーの後で」だったのには、本屋大賞の限界が見えて落胆したというのが正しい。だって全国の書店員が「今何を読めばいいか」というお客様に、なにはさておき「この本がオススメです!」と言えそうな本でなければいけないわけだ。僕のようにきっと勧められて内容にがっかりはしないけれど、なんとなく「これはどうかなぁ」と疑問符が付くお客もいるだろうけれど、「ふがいない僕は…」を勧めて、あとで「なんて本を紹介してくれたんだ、あんな内容だとは思ってなかった」と言われる危険性をあらかじめ回避してしまうのが、本屋大賞の、あえて「限界」と言わせてもらおう。それくらい「ふがいない僕は…」はもっともっと読んでもらっていい作品だ。当然なことに、その次回作である「晴天の迷いクジラ」も傑作です。

 嵐山光三郎「文人の食アンソロジー(仮)」。嵐山さんと言えば「文人悪食」「 文人暴食」で、文豪達の悪食(あくじき)の数々を暴いて、僕ら読者を唖然とさせてくれたが、今回の「食アンソロジー」とはどんな趣向なのだろうか。新潮文庫のサイトをのぞいても紹介が見当たらない。どうやら6月も7月も出ないのかも。では、また改めてこの新刊記事で紹介できるだろう。
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2014年06月05日

2014年5月の新刊

もう6月に入ってしまった。なのに6月の新刊どころか5月の新刊についても記事にしなかった。
忙しかった?いや、どうやら本人の五月病だろうか。仕事の五月病+プライベートの五月病の二重苦。なんのこっちゃ、わからん?自分自身でも自分の事をうまく説明できないので、まあ怠惰な生活に明け暮れてしまった。そろそろ、締めてかからないと。では、超遅ればせながら5月の新刊から。

05/09 キス・キス〔新訳版〕 ロアルド・ダール(ハヤカワ・ミステリ文庫) 864
05/28 岩合光昭のネコ 岩合光昭(新潮文庫) 724
05/28 にゃんそろじー 中川翔子(新潮文庫) 637
05/08 読まずにいられぬ名短篇 北村薫(ちくま文庫) 972
05/09 遭難者 折原一(文春文庫) 605
05/09 世界堂書店 米澤穂信(文春文庫) 778


 ロアルド・ダールの著作は読んだ事が無い。「あなたに似た人」というミステリーのタイトルだけは店頭で見かけた事があるが、やはり読んだ事はない。まったく無縁の作家かと思ったら、例のジョニー・デップの映画「チョコレート工場の秘密」の原作者だという事で、児童文学者としての方が名高いのだと初めてしった。けれど、やはり映画も原作も見たり読んだりしていないので、一切関わりがない作家なのだと納得しようと思ったら、なんと映画「チキ・チキ・バン・バン(1968年英)」の脚本を担当しているではないか。あれほど、子供の頃に映画館で観たくて観たくて親にせがんだのに果たせず、後年いい年齢になったからようやく観ることができたという、僕にとって思い入れの深い作品の創作者の一人だ。関わりがあるじゃない。俄然読みたくなってきた。「キス・キス」はダールの短編集なので、入門編としては格好の一冊になるだろう。

 「岩合光昭のネコ」。4月の新刊で発売されなかったらしい。最近店頭で手にとってみた。よくよく考えれば文庫の写真集なんだよね。猫好きなのに何故買わなかったんだぁ。と思って昨日、会社帰りに書店によってしげしげと眺めてきた。ほ、欲しい。でも、岩合さんの猫写真集(新潮文庫)は、すでに5冊目なんだよね。最新刊がベストなんだろうか、などと考えてたら、ちょっと気持ちが買い控えの方に傾いてきた。

 それより、隣に平積みされた中川翔子編の「にゃんそろじー」の方が気になってきた。これは6月新刊かと思ってもう一度確認したら、岩合さんの写真集と同日発売。しかも同じ新潮文庫だ。これは狙ったなぁ。アニオタで生き様自体マニアックとしか思えない彼女の編んだアンソロジーなので、ノーマークでしたが、急遽リストアップしてきました。目次を観ると漱石の短編「猫の墓」から始まって、そうそうたる文豪の猫愛に貫かれた短編が勢揃いしていて、これは思わず「買い!」だと思ったのだけれど、気の迷いって事もあるかもしれないので、昨日は買わずに帰宅。でも、おそらく買うだろうな。すでにタイトルの「にゃんそろじー」の呪縛から逃れられなくなっている。

 北村薫「読まずにいられぬ名短篇」。こちらもちくま文庫からシリーズ化されている企画。どんなラインナップかと昨日確認してきたのだけれど、当たり前かもしれないが、どれも知らない作品ばかり。それと、このシリーズは、今回が4冊目になるのかな。読むとしたら最初から読むべきではないか、などと思いついたら、買う対象、読む対象としては後列にひかえるような気がしてきた。最近、北村さんの著作の方を熱心に読んでないなぁ。最近出たエッセイが確か「読まずにいられない」みたいなタイトルではなかっただろうか。こっちをぜひ読まなければ。

 折原一「遭難者」。これって読んでなかったかなぁ。立川の行きつけの図書館の書架にある。折原さんの叙述トリックミステリーは、例えば「黒い森」のように、前から読むと富士山の樹海で落ち合う約束をした男性視点のパート。後ろから読むと女性視点のパートのように、仕掛けで読者をそそるような構成をとる作品が少なくない。この「遭難者」は、山で起きた遭難事件を悼んだ友人たちの回想記が別冊として付いている。借りた記憶があるんだけれど、読み終えた記憶がない。今回の文庫化では別冊を取り込んで再構成したものだそうだ。折原さんの作品は「驚愕の」と冠がつくトリックで読ませる作品が多い反面、人物の内面が平板で作品毎の区別がないので、どれを読んだかすぐに忘れてしまう。まあ、気づいて読みたくなったら読めばいいんであって、前作読み倒す必要はあまり感じない。「遭難者」、これはちょっとそそられますが、図書館で借りるとしようかな。

 米澤穂信「世界堂書店」。つい最近、「満願」で山本周五郎賞を受賞した米沢さんが編者のアンソロジー。「英米仏のみならず、フィンランド、台湾、ギリシャなどなど」とか、「あらゆるジャンルを横断する」とか、つまりは全方位的に、この地上にあらわれた最新の小説の美味しいところをギュッとまとめて詰め合わせたという事だろうか。当然ながら特に小説好きというわけではない僕にはなじみのない作家とタイトルがならぶので、もうこれは「遠まわりする雛」などを物する作家としてのセンスを信用するしかない。いやぁ、それにしても世の中、本が多すぎる。
posted by アスラン at 19:31| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あっ、これ読みたい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月10日

図説アルプスの少女ハイジー「ハイジ」でよみとく19世紀スイス ちばかおり/川島隆(2013/11/6読了)

 「アルプスの少女ハイジ」と言えば、僕が子どもの頃には「母をたずねて三千里」や「小公子」「フランダースの犬」などとともに、小学校の図書室に児童書がそろっていて、図書の時間に移動しては必ず一度は読んだはずだ。ところが今や、高畑・宮崎コンビが生み出したアニメでまっさきに出会う子どもが圧倒的ではないだろうか。大人になった自分自身が観ても、当時の少年少女の空想を掻き立てた物語が、アニメでも忠実に再現され、あのとき以上に情感豊かに描かれている事に感心してしまった。

 あとに残された興味は、ジュブナイルではなくて原作そのものがどのように描かれているかだったが、それも岩波文庫の「アルプスの小屋の娘」を読んで一通り満たされてしまった。原作では、より宗教色が強いことと、ハイジとペーター、そしてクララの関係が、アニメのような対等で心温まるものではなかった事に驚かされた。こんな話だっけ?そう、こんな話ではなかったはずだ、児童書では。ジュブナイルでは、いわば日本の子どもたちにとっておいしいところを選択してまとめられていたので、安心して読めたのではなかったか。

 原作はそうではない。未解決な問題として、フランクフルトで交流があった「お医者さま」をささえるハイジのその後の人生がどうなるのか。これは原作者自身が描かなかった。続編を書きたくなかったのかと思いきや、実は「ハイジ」自体、アルムの山での生活までが第一作だったと初めて知った。あまりに好評だったために「フランクフルトに連れていかれる話」を続編として書いたのだそうだ。そして第一作は女性作家への偏見を慮って匿名にしたが、続編からは正式に作家としてデビューした。しかし、続編も好評であったからには、第三話以降書き継いでもよかったのにと思わずにはいられない。

 この図説では、原作の名場面を紹介しながら、原作の舞台スイスの田舎町マイエンフェルト周辺と、作品を生みだした背景や当時の歴史を要約し、後半では原作者シュピリの人生について詳しく解説している。個人的にはシュピリその人についてはあまり関心がもてなかった。作品も日本ではハイジ以外は馴染みが薄く、やはりハイジの原作者という点をおさえておけば十分のような気がした。ただ、当初想像していた以上にシュピリはアルムの土地柄を現地に取材してから書いたので、登場する地名はすべて現実に存在していることに、作者の誠実さが感じられた。写真を見ると、いまでもハイジの世界が立ち上ってくるかのように感じられる。

 「ハイジの盗作疑惑」という話題のトピックにもちゃんと目配せしているところに、著者たちのハイジへの入れ込みようが伝わってくる。囲みのコラムには、例の「アデレード」のあらすじが引用されていて、一目瞭然、まったくハイジらしからぬ内容であることがわかる。どうやら盗作うんぬんは、読者の関心を煽った記者の勇み足ではないかと、著者たちは分析している。

 また、日本で翻訳されたハイジの書籍一覧や、アニメやTVドラマ、映画などもリストアップされていて、「ハイジ」の一級資料と言える。僕は岩波文庫版を読んで満足していたのだが、どうやら野上百合子訳は、著者が「敬意と批判をこめて」と言及しているように、今やベストな選択ではないようだ。岩波少年文庫の「ハイジ」には旧訳と新訳があり、そのどちらもオススメらしい。さっそく読んでみないと。
posted by アスラン at 19:13| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月09日

ディスカヴァー・トゥエンティワンの本はどこで買えるの?

「ダヴィンチ・コード」などのダン・ブラウンの作品の翻訳や、最近では角川文庫版のエラリー・クイーンの代表作の新訳を手がけている越前敏弥さんが、例の「日本人なら必ず誤訳する英文」の続編を出した。この本の隠れた愛読者たちの購買意欲を煽るかのように「越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文 リベンジ編」などというタイトルが付けられている。越前さんのブログ「翻訳百景」を時々見に行くのは、エラリー・クイーンの国名シリーズの次の刊行はいつごろかを確かめるためだけれど、密かに英文和訳(翻訳)のテクニックを紹介してくれる新書を待ち望んでもいるからだ。

 昨年のブログで、秋か冬に出すみたいな事を書かれていて、書店の新書コーナーは必ずなめるようにウォッチしていた。それがようやくブログでも「ディスカヴァーから『日本人なら必ず誤訳する英文・リベンジ編』が刊行されました。きょうあたりから書店に並んでいると思います。」という越前さんの紹介記事が載ったので、さっそく会社帰りに書店に立ち寄ったけれど見つからず。その後いろんな書店で探したのだけれど、売られていない。

 いや、もっと重大な事に気づかされたのは、越前さんの新書レーベルである「ディスカヴァー携書」自体が一冊も置かれていないという事実だ。地元の立川のオリオン書房で見つからなかったのは、単に新書をおくスペースが限られているからだと思っていたけれど、武蔵小杉にある有隣堂にもなく、ましてや北野書店にもない。いっその事、ここしかないだろうと、川崎ラゾーナの丸善で探してみたが、やはりない。こうなってくると、ちょっとおかしいぞ。この丸善の広大なスペースに新書の書棚も桁外れにたっぷりととられているというのに、ディスカヴァー携書が一冊もないなんて。

このレーベルはディスカヴァー・トゥエンティワンという会社が出版元だ。女性が社長だというのも、つい最近知ったばかりだ。というのも越前さんと女社長が対談をしている記事がネットで見つかったからだ。さっそくサイトに行ってみるが、あまり情報がない。どちらかというと読者(購買層)向けのサイトではなくて、出版しませんかみたいな、顧客向けのサイトのようだ。そうはいっても少ないながらの情報をかき集めると、どうやらこの出版社の本は直販なんだそうだ。全国に何件あるかわからないし、東京近郊でも何件あるのか分からないが、直接本屋一つ一つと営業交渉して、置いてもらう。例の「本の雑誌」でおなじみの手法だ。

 でも、本の雑誌はメジャー化したのか、最近では近在の大手書店ならば必ず置いてある。見つからないなどという事はありえない。でも「ディスカバー携書」」はどこにもないんだよね。会社の同僚は「さっさと会社に電話して、どこに置いてあるか聞けば」という言う。そりゃ、そうなんだけど、そこまでして買いたいかというと、「買いたいには買いたい」んだけど、優先事項ではない。もうちょっと待ってみれば、もしかしたら近在の書店でも取り扱いするしれないし、なんて甘いことを考えてる。

 僕自身は越前さんの以前の新書は、行きつけの地元図書館で2冊とも見つけて読んだ。読んだら欲しくなって、ブックオフの新書コーナーをかならずチェックするようになった。これまた本の数が少ないのだけれど、見つかる時は見つかる。でも以外と高い。500円出すのはちょっとなぁ。などと言って「日本人なら必ず誤訳する英文」はさすがに買ったけれど、「越前敏弥の日本人なら必ず悪訳する英文」の方は500円では買う気になれず、買い控えているうちに最近では見つからなくなった。

さて来週は行きつけの病院の通院日で、そのときには神保町界隈をぶらつくのがお約束になっている。さすがに神保町では直販店が見つかるんじゃないかと期待している。それまでには電話で問い合わせしておこう。それまではせっかく「リベンジ編」を謳っているのだから、前作「日本人なら必ず誤訳する英文」を再読しておくのがいいかもしれない。
posted by アスラン at 00:29| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 評論・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月27日

2014年4月の新刊

 毎度おなじみ新刊紹介(大洋社の文庫発売一覧調べ)です。うっかりして、マエセツを書いてない事に気づきました。そろそろ桜が咲き出して、ようやくに春の訪れを実感しだしたと思ったら、今日は小雨がそぼ降る寒い朝になりました。三寒四温なんて便利な言葉を昔の人は考えてくれたので、ついつい紋切り型の言葉をつなぎ合わせていけば、これまた毎年のように、春先にかわされる挨拶文ができあがりました。
 これでよし、と。

04/25 訓読みのはなし 笹原宏之(角川ソフィア文庫) 821
04/18 行人 夏目漱石(集英社文庫) 未定
04/24 華氏451度〔新訳版〕 レイ・ブラッドベリ(ハヤカワ文庫SF) 972
04/08 縦横無尽の文章レッスン 村田喜代子(朝日文庫) 734
04/30 岩合光昭のネコ 岩合光昭(新潮文庫) 未定
04/30 僕は9歳のときから死と向きあってきた 柳田邦男(新潮文庫) 680
04/30 転迷 隠蔽捜査(4) 今野敏(新潮文庫) 724
04/下 リッジウェイ家の女(仮) リチャード・マシスン(扶桑社ミステリー) 未定
04/10 おもひでぽろぽろ シネマ・コミック(6) 岡本螢(文春ジブリ文庫) 1620


 笹原宏之「訓読みのはなし」。同著者同タイトルの新書が2008年に光文社新書から出ている。これが角川から再出版されるという事だろうか。最近、仮名遣いに関する新書が出版されたので買って読んでいるんだけれど、仮名の使い方には日本語が書き言葉にどう読みを当ててきたかという歴史と密接な関係があるという出だしになっていて、何をいまさらという人もいるだろうけれど、改めてそう把握しなおさないと、あたり前としてやり過ごしてきた日本語の読み(音)も仮名(形)の持つ意味全体を十分に知る事など出来ない。訓と音という分け方も、僕らは学校教育として習っているからなんとなく知っているの過ぎない。ちょっとでも深く考えると、途端に躓く事ばかりがわき起こってくる。うーむ、この本は気になるけれど、いや待てよ。光文社の新書の方を僕はすでに買って寝かしてるんじゃないだろうか?

 夏目漱石「行人」。集英社文庫は毎月のように漱石コレクションを増やしていく。今は「彼岸過迄」が店頭に置かれている。解説・三浦雅士、鑑賞・島田雅彦という豪華な取り合わせだ。「彼岸過迄」は漱石作品中、最も現代的な評価が高い作品とされている。「都市で暮らす孤独な人々」の内面を先取りしている作品だからだろう。オムニバス形式の連作になっているところも、今でいうところの「日常の謎」型のミステリーとしても読めるところも、今の若い読者が読みやすい作品だと思う。それと比べると「行人」は、「こころ」や「彼岸過前」のようにわかりやすい作品ではない。日常の謎ではなく、どうしても愛すべき人の心が信じられずに自滅していく現代人を描いている。鬱々としたストーリーと結末がつかない構成も、晩年の漱石にしてはいびつな作品だ。だが、漱石の長編はどれ一つとってもやり過ごす事ができない。「行人」というタイトルが意味深で、もう何度も読んできたにも関わらず、今もって「行人」というタイトルが意味するところに納得のいく説明をした評論や解説と出くわした事がないような気がする。だからか。腑に落ちない僕は、またまた読み直してしまうわけだ。

 レイ・ブラッドベリ「華氏451度〔新訳版〕」。まだ多感な時期に深夜にやっていた同名の映画を見た体験が、あとあとまで心に刻まれる事になった。映画好きになっていっぱしのフリークを気取るようになって、ようやくその映画が名匠フランソワ・トリュフォーの作品だと知ったわけだ。とにかく、禁書により本自体を読む事も所有する事もできないという近未来SFの設定に魅力を感じたし、人間としてのアイデンティティを揺さぶられるほどの衝撃を受けた。その後、ペーパーバックでブラッドベリの本作を手に入れて、どうにかこうにか読んだ。いや、最後まで読んだのかな。主人公の男性の仕事がファイヤーマンなんだけれど、いわゆる消防士ではなくて、本を焼くのが仕事。本が燃える時に温度が「華氏451度」なんだそうだが、それよりも原作の序盤に何度も現れる本を焼くための器具に装填された燃料がkeroseneという言葉で出てくるのが、とっても印象に残っている。とにかく新訳で読めると思うと、今から楽しみだ。

 村田喜代子「縦横無尽の文章レッスン」。村田喜代子というと、黒澤明監督の最晩年の作品「八月の狂詩曲」の原作者という事だけしか知らない。映画を見た原作者が、原作とはあまりにかけ離れたストーリーに、映画化を許可した事を後悔したという話が伝わっている。僕は「八月の狂詩曲」から初めて黒澤映画を同時代の映画作家の作品として味わえた幸せに浸って映画館を出てきた記憶しかないので、原作者には悪いけれど、すでに作者の手から離れた作品が異なるメディアで花咲くためには、まったく違った想像力を要するのは当たり前なのだと自覚していただきたいと思った。とはいえ、村田さんの作品をいずれは読んでみたいとは思っていたのだが、この「文章レッスン」の文庫化は絶好の機会になりそうだ。

 岩合光昭「岩合光昭のネコ」。岩合さんと言えば「猫」。猫の写真と言えば岩合さん。というくらい切っても切り離せない関係なのだが、いよいよ猫好きが高じて猫ボケ状態になってしまったのだろうか。「ニッポンの猫」などとまどろっこしい事を言わずに、「岩合光昭のネコ」という、もう誰にも有無を言わせないネコへの愛情全開のタイトルになっている。すごいなぁ。岩合さんの猫の写真は、躍動感にあふれているとか、かわいらしいとか、そんなありきたりな枠にとらわれてはいない。もう、なんというか、あの街中にあふれるダラダラ寝そべっては我が世の春を興じきっている猫そのものを、そのまま「ハイ、これがネコです」と見せてくれているのだ。だから血統書付きの飼い猫をかわいがる猫好きよりも、僕みたいに「猫に呼ばれる」事を期待している猫人(ねこびと)たちを引き寄せる、怪しげな魅力に満ちているのだ。

 柳田邦男「僕は9歳のときから死と向きあってきた」。僕は著者の一連のガン治療をテーマにした著作が好きだ。どうやらノンフィクション作家としての著者の力量を評価しているというよりは、僕の子供の頃からのトラウマを解消してくれた恩人として評価しているみたいだ。だから、実はNHKの記者から解説委員という経歴を持つ著者の文体が、非常に精度はあるけれど意外と単調で地味なゆえに、テーマによっては読みづらいのではないかと、かねがね思ってきた。でも「恩人」にそんなひどい事は言えない。言わないで済むには「読まない」というのが礼儀というものだろう。特にガン治療の最前線への関心が終末治療へ移り、さらに医学ではなく死にゆく人々たちへの関心に移っていった時に、僕は彼の著作に向き合えなくなった。特に自分自身、この歳になると親兄弟の病や死に寄り添う事になる。渦中にある自分にとって、著者の「生と死」を見つめ続ける作品は重すぎた。でも、もういいだろう。父が亡くなり、昨年兄が逝った。物言えぬ母が残されているが、いまこそ、僕には著者の真摯な言葉が必要な時かもしれない。

 今野敏「転迷 隠蔽捜査(4)」。つい最近、第一作「隠蔽捜査」を図書館で借りて再読した。テレビドラマが進行中で、それはそれで楽しんで見ているのだが、主人公の竜崎ってこんなに愚直な男だったっけ?と思わずにいられないほど、杉本哲太版竜崎はなかなかのいい奴なのだ。「変人」と言われるほどの変わり者には見えない。だが久しぶりに読んだ第一作ではっきりと思い出した。嫌な奴なのだ。エリート官僚である事が鼻につくほど、自分の生き方に自信がある。だから、まわりと軋轢を生む。そういう男がエリート官僚としても「変人」であるところに、このシリーズの面白さがある。というわけで、この終末に第二作「果断」も借りてきてしまった。本当は文庫で揃えたいところだが、人気シリーズなのでブックオフでもまだ400円程度する。
もうしばらくは単行本とつきあう事になりそうだ。

 リチャード・マシスン「リッジウェイ家の女(仮)」。これは「2014年3月の新刊」で紹介した「リチャード・マシスン短編集(仮)」の事だろう。どうやら今月下旬には間に合わなかったようだ。相変わらず「(仮)」がとれていないが、ましなタイトルがついた。短編集のラインナップはどうなるか、そろそろ情報を仕入れようと扶桑社のHPにアクセスしてみたが、ここは近刊情報がまったくないなぁ。いや、今月出す予定だったんだから、新刊情報として挙がっていてもおかしくないのに。というわけで、これ以上、この本について書く事はない。

 岡本螢「おもひでぽろぽろ シネマ・コミック(6)」。同名のジブリアニメに関するあれこれを集めた本。「おもいでぽろぽろ」ではなく「おもひでぽろぽろ」だったんだ。このアニメはテレビ放映で断片的にしか見てこなかったので、それほど思い入れはないけれど、どの場面から見てもエンディングに至る淡々とした情感に包まれてしまって、結局最後まで見てしまう。やはり高畑勲監督の演出のうまさが際立っている。ところで、この本の岡本螢って誰だろう?と思ってWikiなどを調べてみたら、原作者だった。というか元々は同名の漫画が存在して、その漫画の原作者が岡本螢さんだった(絵は刀根夕子)。ジブリアニメの功罪の一つに、原作が一気に目立たなくなるという点があるんじゃないかな。原作ともどもWINWINの関係になる事はあまりなくて、ほぼ原作はジブリアニメに飲み込まれてしまう。ただし、今回の作品は原作者がジブリに企画を持ち込んだという話なので、それほど問題ではないのかもしれない。でも、あらためて原作であるマンガを読んでみたい。といってもなぁ、買わなきゃダメか。
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2014年03月05日

2014年3月の新刊

 記録的な大雪を二週連続で経験した。東京で生まれ育って50年を超えるが、こんな事は未だかつてない。子供の頃には自分の長靴が埋まるほどの大雪(当時の自分にとっての)を体験したが、今の自分の印象と比較する事はできない。とにかく大変な冬だった。いや、まだ終わったと安心はできない。なにせ風は身を切るように冷たい。早く春になってほしい。いや、春になって欲しくない(花粉症がつらいから)。でも、やっぱり寒いのはイ・ヤ・ダ〜。

 とりあえず、先を急ごう。最近はこればっかりが取り柄のブログではあるが、大洋社調べ。3月の新刊チェックだ。
03/06  シャーロック・ホームズ全集 緋色の習作 アーサー・コナン・ドイル(河出文庫) 683
03/06  シャーロック・ホームズ全集シャ−ロック・ホ−ムズの冒険 アーサー・コナン・ドイル(河出文庫) 998
03/07  心理学的にありえない(下)  アダム・ファウアー(文春文庫)  819
03/07  心理学的にありえない(上) アダム・ファウアー(文春文庫) 819
03/10  バルセロナ、秘数3 中沢新一(講談社学術文庫) 未定
03/10  柄谷行人インタヴューズ2002−2013 柄谷行人(講談社文芸文庫) 1890
03/12  サクラ咲く 辻村深月(光文社文庫) 未定
03/20  ばらばら死体の夜 桜庭一樹(集英社文庫) 未定
03/25 霧越邸殺人事件(下) 綾辻行人(角川文庫) 588
03/25 霧越邸殺人事件(上) 綾辻行人(角川文庫) 546
03/28  黄昏の岸 暁の天 十二国記 小野不由美(新潮文庫) 746
03/下  リチャード・マシスン短編集(仮) リチャード・マシスン(扶桑社ミステリー) 未定


 アーサー・コナン・ドイル「シャ−ロック・ホ−ムズの冒険」。河出文庫でもシャーロック・ホームズ全集を出す。以前ならば、新潮文庫の延原謙訳全10巻が名著として知られていたが、さすがに古びたか。以前、会社の同僚から聞いた話を蒸し返すが、同僚の友人の息子で、中学生の男の子に読書感想文用に「シャーロック・ホームズの冒険」を勧めたが、差別的な表現に辟易したらしい。創元推理文庫の深町眞理子訳では、そういうところを現代風に脱色(ロンダリング)してある。気づいていれば、新訳の方を勧めるべきだった。光文社文庫では日暮雅通訳、角川文庫では石田文子訳だ。これらの訳を比べてみるのも面白いかもしれないが、まあ、やめておこう。

 アーサー・コナン・ドイル「緋色の習作」。ああ、そうか。やっと気がついた。河出文庫の全集は新訳とは言えない。以前に河出書房で出した単行本サイズの全集をそのまま文庫化したようだ。全集出版当時(1997年ごろ)に「緋色の習作」というタイトルがミステリーファンの興味を煽った。通常「緋色の研究」と呼称される同書が、なにゆえ「習作」となるか。原作のタイトルが「A study in scarlet」で、このstudyが「研究」ではふさわしくなくて「習作」の方がぴったりくるというのがタイトルの主張するところらしい。ふーむ、やっぱりよく分からないなぁ。

 アダム・ファウアー 「心理学的にありえない(上)(下)」 。うちの書棚に「数学的にありえない」の上下巻が眠っている。いや、つい最近まで上巻か下巻のいずれかがダブっていたので3冊が眠っていたのだが、さすがに部屋が本でうずもれてきたのでダブりは整理した。しかし相変わらず「数学的…」は眠ったままだ。そこへきて「心理学的」と来ましたか。これはとっとと蔵書を読むしかないな。すると、またまた一年後には「数学的…」に代わって「心理学的…」が眠る事になるかも。だからちっとも蔵書は減らないのだ。

 中沢新一「バルセロナ、秘数3」。先月「ミクロコスモス」の第一巻が発売されたばかりで、次は本書で、さらに今月は「ミクロコスモス2」が出るらしい。最近ずいぶんと中沢さんの著書はもてはやされているようだ。ようやく時代が著者に追いついたのか。著者が時代に合わせてきたのか。吉本・江藤二大巨頭亡き後に、彼らの衣鉢を継ぐのはナカザワくんとタカハシくんではないだろうか。フフフ。

 「柄谷行人インタヴューズ2002−2013」。カラタニさんは結構メディアに露出するのが好きなんだ。評論家同士が対談するのはよくあるけれど、インタビュー(「インタヴューズ」というのはずいぶん気どった表現だなぁ)をこれほど長期にわたって受け続けるのは、よっぽどの出たがりなんだと思う。そういえば最近の「文学界」だったか、いとうせいこうと対談していたし。

 辻村深月「サクラ咲く」。著者の作品を最後に読んだのは2011年の「オーダーメイド殺人クラブ」のようだ。どうやら直木賞をとってしまったので、純粋なミステリー以外の作風が混在してきたので、少し彼女の作品に力を注ぐのをやめてしまったようだ。家にも未読の初期作品があることだし、もう少し著者の作品へのフットワークをあげていきたいところだ。

 桜庭一樹「ばらばら死体の夜」。彼女が無類の読書好きな作家であるのは、よく存じ上げている。だから読書日記は好んで読ませてもらっているが、意外なほど作品の方は読んでいない。「私の男」と「青年のための読書クラブ」だけと言うのは、あまりに情けない読み方か。どうやら玄人受けする物語というところが、いまひとつ馴染めないのかもしれない。こんなに本を読んでいながらも、実はそれほど小説への愛着がないのかも。とは言え、無視しがたい作家ではある。今回のタイトルはちょっとそそられるではないか。

 綾辻行人「霧越邸殺人事件(上)(下)」。初出は1990年だそうだ。すでに24年前か。まだ大御所と言われる歳ではないだろうが、ベテラン作家というべきなんだろうな。この本が最初は新潮社で出版され、その後、新潮文庫に入り、四半世紀を経て今度は角川文庫入りを果たしている。どうしても綾辻というと講談社文庫か新潮文庫のイメージが強いが、角川文庫も著者の久々のスマッシュヒットホラー「アナザー」を文庫化したので、もうちょっと強力なラインナップを揃えたいというところだろう。最近、講談社文庫は「館シリーズ」を新装改訂版として続々と出版しているのを、次第に指をくわえて見ていられなくなった。久々に著者が躍動していた頃の作品をもう一度読み直してみるとしようか。

 小野不由美「黄昏の岸 暁の天 十二国記」。最近、書店で見かけたアラフォーかアラフィフぐらいの女性二人の会話。十二国記新潮文庫版を手にとって「この、完全版って何よ」と言っていた。どうやら十二国記は講談社X文庫ホワイトハート版で読んでいるような口ぶりだった。それでいて「同じ本を出しながら完全版って意味わからないね」という趣旨らしい事はわかった。実は新潮文庫にはシリーズNo.0(ゼロ)にあたる小説がひっそりと刊行されていた事に気づいてないのだ。「魔性の子」というのがそれだが、X文庫ホワイトハート版十二国記が刊行されていた当時は「十二国記」という冠をかぶせることは許されず、本当にひっそりと隠棲した作品だった。何しろその後「屍鬼」でホラー作家としても名をはせる事になった著者だからこそ、この作品をホラー小説だと思って手を出さなかった人も多いのではないか。僕自身もそうだった。ところが読んでみれば、紛れもない「十二国記」外伝だ。だからこそ、ついに新潮文庫版が刊行されて、名実ともに完全版「十二国記」ができあがるというわけだ。そして今月発売の「黄昏の岸 暁の天」に続いて短編集「華胥の幽夢」が出版されたら、ついに僕らファンが待ち望んだ新作長編の登場だ。

 「リチャード・マシスン短編集(仮)」。昨年、マシスンが亡くなったので、追悼記念出版と言えるだろう。どんなラインナップになるのか、出版元の扶桑社サイトにも情報が皆無なので分からない。映画「ヘルハウス」あるいは映画「激突!」のいずれも原作者であるというだけで、僕などは著者をリスペクトしてしまった。最近ではウィル・スミスが主演した映画「アイ・アム・レジェンド」の原作者という方が通りがいいだろう。原作は「地球最後の男」というタイトルで、こちらも読んだ。あとはダークファンタジー短編集と銘打った「不思議の森のアリス」にはスピルバーグの映画「トワイライト・ゾーン」の一編に採用されたストーリー「二万フィートの悪夢」まで入っていて、どれだけ昔から僕らを震え上がるほど感動させてくれてきたかが、よく分かった。
 扶桑社ミステリーには「奇術師の密室」「深夜の逃亡者」「縮みゆく男」の三冊がラインナップされ、うち「縮みゆく男」を除いた2冊は買いおいてある。今回の短編集も含めて「おくやみ読書」をするには、いい頃合いだろう。
posted by アスラン at 12:42| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あっ、これ読みたい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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