2009年07月07日

「発見。角川文庫 夏の100冊2008」VS「発見。角川文庫 夏の100冊2009」

[タイトル・表紙]

 今回ようやくタイトルが落ち着いた。昨年と同様に「発見。角川文庫 夏の 100冊」だ。〈百冊〉でもないし、〈発見。夏の100冊〉でもないし、それにキャラも2008年に引き続いて松山ケンイチだ。ただし、昨年の「角川文庫60周年」記念のロゴ〈60th〉がそっと姿を消した。それに合わせるように昨年フィーチャーしていた「絶望」というキーワードの呪縛がなくなった。今年のテーマは「旅」。いや「自分探しの旅」だ。これは、夏の文庫フェアの王道に戻ったと言っていい。
  角川文庫2009.jpg   角川文庫2008.JPG

[目次・スペシャルカバー]
 目次も昨年と変わりない。「学ぶ」が「見つける」に変更されたぐらいだ。スペシャルカバーの他社とのガチンコ対決は今年も続いている。今年の松山ケンイチスペシャルは、
「銀河鉄道の夜」(宮沢賢治)
「変身」(カフカ)
「恐るべき子供たち」(コクトー)
の三冊。

 この三冊に共通するキーワードをあげるとするならば、「無垢」「孤独」「絶望」と言ったところだろうか。やはり松山ケンイチスペシャルだけあって、男っぽいクールさに満ちたラインナップだ。ちなみに昨年2008年のスペシャルカバーは、
 「人間失格・桜桃」(太宰治)
 「走れメロス」(太宰治)

の二冊だった。角川さん、ちょっと一年フライングだったんじゃないかな。だって今年こそが太宰治の記念年なのに…。

[特集:太宰治生誕百年]
 と思ったら、今年の角川は「太宰治生誕百年」にきっちりターゲットを絞ってきました。「日常のなんでもないホゲッとした一瞬」を写してしまう、あの梅佳代が写真担当で、装丁は祖父江慎。(生まれてきて)すみません、彼の装丁がどんなものなのか全然知りません。そして角川文庫太宰作品全十冊のカバーが、この強力タッグによるカバーに差し替えられた。 全十冊の表紙は一応特集ページで見ることができるが、店頭で手にとって見ないとなんとも言えない。最近、名作の表紙をアイドルの写真にして売っている文庫があるが、あれみたいなすっきりとしたイメージになるんだろうか。

 フェアに含まれる「人間失格」の表紙は、悪ガキ小学生たちのワンカット。「走れメロス」はなんとおじさんが自転車に乗って連れ回している子犬の写真だ。写真が横長に配置されているのも文庫のお約束を破っていて驚かされる。二人の対談を読む限り、〈なんでもあり〉というのが方針のようだ。「表紙を隠さないでも太宰が読める」をコンセプトにしたと祖父江さんが語っている。いいんじゃないですか、読んでももらえれば…。

 さて、今年のラインナップを検証していこう。

 今年は全101冊、新たな本52冊(昨年と同じ本49冊)だ。


[躍進した作家]

山田悠介(1->3)
三浦綾子(0->2)
有川浩(1->2)
森見登美彦(1->2)
恩田陸(1->2)
金城一紀(1->2)
筒井康隆(1->2)


[後退した作家]
京極夏彦(3->1)
森絵都(4->2)
相田みつを(2->0)
森鴎外(2->0)
ダン・ブラウン(2->0)
芥川竜之介(2->1)
江國香織(2->1)
寺山修司(2->1)
灰谷健次郎(2->1)
山本文緒(2->1)


 躍進組の筆頭は山田悠介だ。「パズル」や「リアル鬼ごっこ」など、ホラーやミステリーのジャンルで意気盛んなところを見せる流行作家が大躍進。もう一人はベテラン三浦綾子。こちらは小林多喜二の伝記と合わせ技で昨年の0冊から躍進。以上の二人以外に注目したいのは、いままさに上り調子の有川浩と森見登美彦だろう。

 一方の後退組の筆頭は京極夏彦と森絵都だ。ただし、森は昨年が4冊の大台だったので、2冊に減ったのを後退と言ってしまうのは可哀想か。京極は明らかに大躍進の山田悠介に同じジャンルで喰われたと言っていい。そのほかには、相田みつを、森鴎外、ダン・ブラウンが2冊から大きく後退して姿を消した。でも相田みつをは、きっとジェイソンかエイリアンのように何度も何度も甦るだろうから心配はいらない。ダン・ブラウンは夏に入る前に「天使と悪魔」でだいぶ儲けたから、夏のフェアからはご退場願ったようだ。

 躍進・後退とは違った意味で重要なのは、作家の顔ぶれの入れ替えだ。

 新しく入った作家 28名
 消えた作家    24名

 この中には一年おきの常連組もいるから、出入りだけで判断してもあまり意味がない。特に注目株だけを抜き出してみよう。

[新しく入った作家(注目)]

海堂尊
小林多喜二
葵せきな
野村美月
支倉凍砂
はらだみずき


[消えた作家(注目)]
吉本ばなな
ダン・ブラウン


 海堂は「チーム・バチスタの栄光」や「ジェネラル・ルージュの凱旋」(2作とも宝島社)が次々に映画化されるほどの売れっ子ぶりが目立つ。ようやく捉まえた逸材というわけだ。小林多喜二はもちろん時代の寵児だ。派遣切りやリストラが日常化している社会状況をいち早く先取りしたかのような「蟹工船」が、古くて新しい小説としてよみがえった。これはひょっとして〈夏の文庫フェア3社比較〉でも、最重要トピックに挙がるかもしれない。そのほかの顔ぶれは僕らの世代には見慣れない名前だ。これについては、次節で取り上げよう。

 消えた作家の話はそれほど面白いわけではないから簡単にいこう。何と言っても最大にして最重要な作家は吉本ばななだ。これは正直大変な事になったぞ、と思った。吉本ばななが角川のフェアから姿を消した。これは「キッチン」がいよいよ姿を消した事を意味する。これも小林多喜二同様、〈3社比較〉で大きなトピックになることは間違いない。と予告したところで、それ以上は深く突っ込まない事にしよう。

[角川文庫以外の文庫(14冊6レーベル)]

狼と香辛料 支倉凍砂(電撃文庫)
生徒会の一存 葵せきな(富士見ファンタジア文庫)
涼宮ハルヒの憂鬱 谷川流(角川スニーカー文庫)
"文学少女"と死にたがりの道化 野村美月(ファミ通文庫)
夜市 恒川光太郎(角川ホラー文庫)
霧が晴れた時 小松左京(角川ホラー文庫)


 以前から古典が「角川ソフィア文庫」という別レーベルになっている事は気付いていたが、まさか他のレーベルからも入っているとはうかつにも気付かなかった。少なくとも昨年は気付いていない。今年は、さきほど見てきた「新しく入った作家」に見慣れない名前が何人も出くわした。その中で実は野村美月という作家の〈文学少女〉シリーズは、たまたま最近読んだばかりだったので、あれが角川文庫だとはどう考えても思えなかった。そこでようやく、こんなにもラノベ組の作家と作品が進出している事に思い至ったわけだ。それにしても、さすが角川文庫だ。必ずしも角川文庫レーベルでなくても「発見。角川文庫」に採り入れてしまう節操のなさは大したものだ。いや、これ、決してけなしているわけじゃないよ。

 ちなみに2008年は11冊4レーベルだった。11冊と14冊なのでそんなに違わないように思われるかもしれないが、古典を提供している角川ソフィア文庫を除くと3冊から6冊へと2倍になっていることがわかる。6冊のうち4冊がライト・ノベルスだから、ターゲットとなる10〜20歳の若者のニーズにしっかりと応えている事になる。

[キャッチコピー]
 今年の紹介ページの特徴は、キャッチコピーの見直しだ。以前からこの企画で指摘してきたが、角川のキャッチコピーは詰まらない。何故か本文と同様に説明的で、大仰な惹句が多い。その点で、ワンフレーズで僕らの心をグッとつかんでしまう新潮文庫のキャッチコピーに見劣りがしてしまう。今回、そこをがらりと変えてきたのだ。例えば、

月魚 三浦しをん
 (2008年)古書店「無窮堂」を巡るふたりの青年の物語。
 (2009年)夢も、野心も、すべてあの夏の日に生まれた。

 どちらがいいかは一目瞭然だろう。2008年のコピーは解説に書いてあれば十分だろう。キャッチコピーは非常に短い解説文ではないのだ。まずは言葉どおり読者を捕まえなければ意味がない。そこにようやく角川も気づいた。だからだろうか、解説の中の印象的なフレーズをコピーと入れ替えたりしている。

 では〈大仰な惹句〉とは何か。これはあきれ返る程、2008年には溢れていた。
最強傑作(グラスホッパー)
抱腹絶倒(ドミノ)
痛快ストーリー(坊つちゃん)
痛快ファンタジー(ペキー・スー)
歴史的一大奇書(ドグラ・マグラ)
(日本軍の)衝撃の記録(悪魔の飽食)
非日常系ストーリー(涼宮ハルヒの憂鬱)
当代随一(覘き小平次)
感動作(兎の眼)
決定版(知っておきたい日本の神様)

 こんな下手な客引きでは、素直にお代を払ってくれる人は少ない。やもっとグッとくる言葉で迫ってほしい。これらの惹句の代わりにどんな魅力的な言葉に変わったか。この夏に読むには最適な宮沢賢治の童話二冊で、とくと今年のキャッチコピーの妙を味わってみよう。

注文の多い料理店 宮沢賢治
 (2008年)生前に出版された唯一の童話集。
 (2009年)神秘に満ちた、イーハトーブの世界を旅しよう

銀河鉄道の夜 宮沢賢治
 (2008年)死の直前まで推敲された宮沢賢治の最高傑作
 (2009年)せつない気持ちを抱え、少年は宇宙を旅する


 ほらね。説明的な文章も無駄な表現もなくなって、煽りが効いた表現になってるでしょ。あれっ?でも二冊とも「旅する」んだ。もうちょっと工夫が必要ですね、編集部の方々。

[その他、気になった点]
 キャッチコピーにはずいぶん手が入ったけれど、本の紹介文の方は基本的に大きな変更はない。ただし、太宰治「人間失格」だけは書き直し部分があり、比較すると面白い。

人間失格 太宰治
 (2008年)本書が世間に発表されたのは、1948年。太宰治が玉川上水に入水した後になる。(以下、略)
 (2009年)本書が脱稿したのは、1948年5月。太宰治が玉川上水に入水し、命を絶つ1ヵ月前のことである。(以下、略)


 入水自殺してしまえば原稿は書けない。死後の発表は取り立てて驚く事でもないだろう。発表時期が死ぬ直前ならば価値があるが、直後にはあまりない。しかし脱稿が自殺直前ならば、その小説には作家にとっての重要な意味が込められているだろう。昨年までの解説は、そこらへんの状況を見誤っていたのだ。この変更は当を得たものだが、惜しむらくは「本書が脱稿した」という表現は間違いで、「本書が脱稿された」か「本書を脱稿した」でなくてはならない。残念です。

 最後の最後に、夏目漱石の2冊の表紙が変わった事を指摘しておこう。「坊つちゃん」が〈下駄とイナゴ〉。「こゝろ」が〈金魚と百合〉だ。両方とも同じデザイナーの手によるものだろう。昨年までの装幀と比べると、非常に涼しげでスタイリッシュな表紙になっている。これ、いいなぁ。2冊とも買ってしまいたくなった。

[今年新たに入った本リスト(52冊)]

或る「小倉日記」伝,松本清張
海の底,有川浩
狼と香辛料,支倉凍砂
おくのほそ道(全)ビギナーズ・角川書店
怖るべき子供たち ジャン・コクトー 訳:東郷青児
怪談・奇談 ラフカディオ・ハーン
海底2万海里 (上)(下) ジュール・ベルヌ
蟹工船・党生活者 小林多喜二
きみが見つける物語 スクール編 角川文庫編集部
きみが見つける物語 休日編 角川文庫編集部
巨大投資銀行(上)(下) 黒木亮
霧が晴れた時ー自選恐怖小説集 小松左京
偶然の祝福 小川洋子
クローズド・ノート 雫井脩介
古事記 ビギナーズクラシックス 角川書店 著:角川書店
GOTH夜の章/僕の章 乙一
今夜は眠れない 宮部みゆき
サッカーボーイズ 再会のグラウンド はらだみずき
少女パレアナ ポーター
症例A 多島斗志之
新選組血風録 【新装版】 司馬遼太郎
心霊探偵八雲1赤い瞳は知っている 神永学
スイッチを押すとき 山田悠介
青春の逆説 織田作之助
生徒会の一存 葵せきな
青年社長(上)(下) 高杉良
旅人(ある物理学者の回想) 湯川秀樹
ちぐはぐな部品 星新一
罪と罰 上・下 ドストエフスキー 訳:米川正夫
道三堀のさくら 山本一力
七つの人形の恋物語 ポール・ギャリコ 訳:矢川澄子
日本以外全部沈没 筒井康隆
ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ 滝本竜彦
眠たい奴ら 大沢在昌
母 三浦綾子
氷菓 米澤穂信
氷点(上)(下) 三浦綾子
不道徳教育講座 三島由紀夫
“文学少女”と死にたがりの道化 野村美月
ぼくは悪党になりたい 笹生陽子
万葉集ビギナーズ・クラシックス 角川書店
三日月が円くなるまで 宇江佐真理
みぞれ 重松清
ユージニア 恩田陸
夢にも思わない 宮部みゆき
夜市 恒川光太郎
夜は短し歩けよ乙女 森見登美彦
ライヴ 山田悠介
螺鈿迷宮 上・下 海堂尊
リズム 森絵都
レヴォリューション No.3 金城一紀
私という運命について 白石一文

[今年消えた本]
アーモンド入りチョコレートのワルツ 森絵都
愛がなんだ 角田光代
あやし 宮部みゆき
ある愛の詩 新堂冬樹
アルケミスト 夢を旅した少年 パウロ・コエーリョ
アルテミス・ファウル妖精の身代 オーエン・コルファー
アンネ・フランクの記憶 小川洋子
生きていてよかった 相田みつを
いつかパラソルの下で 森絵都
失はれる物語 乙一
絵草紙源氏物語 田辺聖子
NHKにようこそ! 滝本竜彦
キッチン 吉本ばなな
きまぐれロボット 星新一
蜘蛛の糸・地獄変 芥川龍之介
巷説百物語 京極夏彦
彩雲国物語 はじまりの風は紅く 雪乃紗衣
山椒大夫・高瀬舟・阿部一族 森鴎外
疾走 (上)(下) 重松清
小学生日記 華恵
世界の終わり、あるいは始まり 歌野晶午
太陽の子 灰谷健次郎
ダ・ヴィンチ・コード (上)(中)(下) ダン・ブラウン
堕落論  坂口安吾
探偵倶楽部 東野圭吾
ツ、イ、ラ、ク 姫野カオルコ
つきのふね 森絵都
徒然草ビギナーズ・クラシックス 角川書店
天使と悪魔 (上)(中)(下) ダン・ブラウン
天使の爪 (上)(下) 大沢在昌
電池が切れるまで子ども病院から すずらんの会
動物農場 ジョージ・オーウェル
遠い海から来たCOO 景山民夫
新遠野物語付 遠野物語拾遺 柳田国男
新版 にんげんだもの 逢 相田みつを
パイロットフィッシュ 大崎善生
美女入門 林真理子
ファースト・プライオリティ 山本文緒
フェイク 楡周平
不思議の国のアリス ルイス・キャロル
フルメタル・パニック! 戦うボーイ・ミーツ・ガール 賀東招二
ブレイブ・ストーリー (上)(中)(下) 宮部みゆき
ポケットに名言を 寺山修司
舞姫・うたかたの記 森鴎外
枕草子ビギナーズ・クラシックス 角川書店
ミミズクと夜の王 紅玉いづき
村田エフェンディ滞土録 梨木香歩
楽園のつくりかた 笹生陽子
冷静と情熱のあいだ Rosso 江國香織
冷静と情熱のあいだ Blu 辻仁成
論語 ビギナーズ・クラシックス 加地伸行
嗤う伊右衛門 京極夏彦
posted by アスラン at 03:22| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 夏の文庫フェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月03日

ガリレオの苦悩 東野圭吾(2009/5/16読了)

 シリーズ長編作「聖女の救済」に少し遅れて図書館で入手した。あの長編でもいつの間にか、テレビドラマで柴咲コウが演じた内海薫が定位置におさまっていた。いったいどの作品からテレビとのギャップを埋めるような手順を踏んだのだろうと気になった。「聖女の救済」では、以前にガリレオこと湯川学の研究室を薫が訪れた事があると、薫自身が独白しているので、きっときっかけとなる作品があるはずだ。

 それがこの短編集の中にあると目星をつけていたが、いざ読んでみると不思議なことに、やっぱりいつの間にか薫はほぼテレビと同じ立ち位置にいる。なるほど著者の東野圭吾はテレビの「内海薫」というキャラクターが気に入ったと見える。もしくは無視できないくらいの存在になってしまって何らかの対応に迫られたようだ。そこで彼がとった方法は「バックれる」ことだ。すなわち新人刑事としていつの間にか配属されて、いつの間にか草薙の代わりに湯川とのコンビを組むようになっているという重大な変更をすんなりと実現させてしまった。

 ただし、テレビと微妙に異なるのは薫の推理能力の高さだ。原作では草薙刑事を警視庁に転属させていないため(と言うか、最初から警視庁捜査一課に所属している)、もっぱら草薙をぼんくらに甘んじさせて薫が鋭い観察力を示すという分担ができあがり、捜査一課では解決できそうにない事件を薫が湯川に持ち込むという流れになった。そのせいだろうか、親しみやすい柴崎コウの顔を思い浮かべながら小説の薫の描写を読むと、少し切れ者すぎるなぁと感じる。

 しかし、女性ならではの視点で事件に新たな光をあてるというオーソドックスな構図をきちんと盛り込む事で、シリーズとしてのわかりやすさと面白さが一層期待できるようになった。その一つの結実が「聖女の救済」であったわけだ。

 ところで、本作の短編の最初の2つ「転落る」「操縦る」は、すでに読む前からストーリーになじみがあった。何故だろう。映画「容疑者Xの献身」公開直前にテレビで放映された「ガリレオΦ(エピソードゼロ)」で、この2編が使われていたからだった。「ガリレオの苦悩」という本のタイトルの由来は、この短編の「操縦る」で湯川の恩師が犯した犯罪を湯川自身が暴かねばならない事に、珍しく湯川が苦悩するからに他ならない。だが、テレビドラマ「ガリレオΦ」では湯川は苦悩しない。犯人から恩師という設定をはずしてしまったからだ。

 おそらくは「容疑者Xの献身」で古くからの友人の犯罪に悩まされるモチーフとダブってしまうと、テレビディレクターは判断したからだろう。逆に、草薙と湯川がコンビを組んで捜査する原点を描くという趣向を持ち込んで、テレビシリーズとはひと味違った面白さを提供して、映画と一線を画していた。ただし、薫の不在が物足りなく感じてしまうのは否めない。




posted by アスラン at 12:48| 東京 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月29日

新田次郎の本

 テレ東かテレ朝でやっている夜の番組で、筒井康隆さんが出演して、いろいろと言いたいことをコメントして存在感をしめしている。他の出演者は芸人やアイドルなどのコメンテーターなので、彼らから浮いてる感じが貴重なのだろう。一番の売りは、毎週一冊「ぜひ読みなさい!」と筒井さんが本を紹介するコーナーだ。探してまで見ている番組ではないから、たまたま出くわさないと見られない。この本の紹介コーナーもまだ2回ぐらいしか見たことがない。
八甲田山 死の彷徨 新田次郎(新潮文庫,1978年)
劔岳 新版−点の記− 新田次郎(文藝春秋,2009年)

 ちょうどそのときは新田次郎の「八甲田山 死の彷徨」を、ぜひ読むように勧めていた。その理由というのは、軍隊という組織が起こした大惨事のドラマを一種の組織論として反省的にとらえよ、というような感じに主張だった。一人の無能な、というか間違った方向に闇雲に従わせた一人の中間管理職のせいで、二百人以上の舞台のほとんどが帰らぬ人になってしまう。そして、本来の責任者である上長が、映画でも有名になった「天は我らを見放した」と慟哭する。

 その史実を深く掘り下げた原作を、時代小説の大家としかイメージが沸かない新田次郎が見事な小説に仕上げているらしい。高校の修学旅行で八甲田山の頂上までバスで行った思い出があり、ちょうどそのころに映画も大ヒットとした記憶があるので、原作も筒井さんのオススメにしたがって、俄然読みたくなってきた。

 と思ったらタイムリーなことに、今映画館で上映されている話題作「剣岳 点の記」というのも新田次郎の作品なのか。では、こちらもぜひ読んでみなければ…。もし、読んだとしたらば、中井喜一が演じたNHK大河小説「武田信玄」を熱心に見てたときに読んだ原作以来の新田作品という事になる。
posted by アスラン at 19:09| 東京 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | あっ、これ読みたい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月25日

秘密の花園 バーネット(2009/5/4読了)

 「秘密の花園」はかつて読んだことがあると思っていたが、どうやら勘違いだったようだ。最後まで読んでみて「こういう物語だったなぁ」というデジャブは訪れなかった。そのかわり「こういう物語なんだろうなぁ」という予想をまったく裏切らなかったとも言える。実はバーネットという作家は、あの「小公子」と「小公女」を書いた作家としても有名なのだと巻末の解説で初めて知った。この二冊は子供の頃にいずれも読んでいる(はずだ)。


 ストーリーもタイトルもよく知っているくせに作者に覚えがない。上記の2作品が同じ作者だということすら顧みたことがない。何故なら、こういった作品はすべて小学校の図書室で「図書」の時間に読んでいるからだ。いまも「図書」というカリキュラムはあるのか知らないが、僕が小学生のころには、45分まるまる図書室で本を読む授業があった。そこで出会った有象無象の物語たちには名前はあるが、子供にとって作者は重要ではない。今の子供たちならばアニメで摂取するであろう少年少女向けの世界の名作の数々を僕は小学校の図書で読んだ。「レ・ミゼラブル」という大層な小説ではなく「ああ!無情」という分かりやすい題名の物語を読んだのも、この「図書」の時間でだった。

 「小公子」「小公女」「ハイジ」「フランダースの犬」「母をたずねて三千里」「家なき子」くわえて、あのオランダの堤防の決壊を救った少年の話などなど、図書室には実にけなげな子供たちが主人公の物語であふれ、おそらく道徳教育の観点から大人が子供をしつけるには格好の教材であったこれらの本から、僕はかなりの影響を受けたと思う。強いて突っ込むところがあるとするならば、「けなげな子供」が多すぎるという点だろうか。

 過酷な運命に遭遇する読書体験で、感情移入の度合いが人並み以上に働いた当時の僕には、両親が死んで見知らぬ家にひきとられたらどうしようだの、母が遠くに行ってしまったら生きていけないだの、大道芸をしながら諸国を放浪するのはどんなに侘びしいだろう、などと様々に妄想が沸いて出たはずだ。眠れぬ夜の何分の一かは、そういう空想や妄想によるものだったかもしれない。

 その中でも「小公子」という物語には、過酷とはひと味違った雰囲気があった。父親を亡くした少年は確かにつらい運命に直面したが、立派な家屋敷をもつ祖父に引き取られる。ただし祖父の心が孤独に覆われていることが少年にとっての悲しみになる。と同時に最愛の母とも一緒に暮らせない事が少年の悲しみに追い打ちをかける。祖父の心を癒そうと、けなげな少年の思いやりが花開く。待ち受けている結末のカタルシスが子供ながらに予感された。幸せな結末は少年少女読者を裏切らない。当時の僕は結末で泣いただろうか?正直よくわからない。ただし眠れぬ夜の妄想が、眠れる夜を誘う空想へと転化していったことは確かだ。

 その読書体験から40年近くたって、同じようなストーリーの骨格を備えた「秘密の花園」という物語を読む巡り合わせとなった。今読んでも素直に楽しめる。この作品は、もちろん子供が読んでもいいが、原作の分量や文章の質の高さを考えると、大人向けの小説としての読みごたえがある。それは誰もが指摘するように、イギリスの荒野の中で奇跡のように育まれた〈花園〉に凝縮した自然が、見事に生き生きと描かれているからだ。と同時に、花園を中心にして交流する三人の子供たちの心の動きが非常にほほえましく、さすがは「小公子」の作者だと、その手際に拍手を送りたくなるからだ。

 何より読みやすい。バーネット女史の文章はするすると喉ごしのいいソバでも食べるかのように、すんなりと心の隅々に届いていく。読みやすいと同時に、登場人物の誰一人としてひねくれていないところが気持ちいい。悪人は一人としていないのだ。もちろんお屋敷の当主の息子は、甘やかされてわがまま勝手に育っている。ところが、メアリーという個性的な女の子が救いの手をさしのべるだけで、彼はすぐに本来持っていたまっすぐな心を取り戻す。これは、あたかも花園で枯れかけた草や花が、ほんのちょっと周囲の土を整えるだけで再生してゆく光景と変わらない。

 作者にしてみれば、近代人の自我が生んだヒューマニズムなんてこざかしいだけで、人間そのものは花や木や鳥や動物となんら変わらない「自然」の一部であるという信念があるからこそ、このような人物造形ができあがったのだろう。

 子供たちの生き生きとした感情描写に比べると、この作品に登場する大人たちに生彩がないのは何故だろう。これが「ハイジ」になると、ハイジに多大な影響を与えるアルムお爺やクララのお婆さん、それにフランクフルトのお医者さん(あるいはアニメに限って言えば家庭教師のロッテンマイヤー)のように、魅力的な大人がたくさん登場するが、この作品では大人は単なる背景にすぎない。

 そこが、ひらすら一直線に子供の物語だけを追い続けるシンプルな作品の楽しさに繋がっている事は確かだが、一方で葛藤や乗り越えといったエモーショナルな場面がまったくなくて物足りないとも感じる。特にお屋敷の主人と息子との和解が訪れるクライマックスは、もうちょっと盛り上げてもよかったのではないだろう。あまりに主人公の物わかりの良さが目立つ。あれほど妻の死に悲しみ、妻の死を呪うあまりに息子を疎んじ続けたと言うのに。

 しかし、いまさらケチをつけても詮ない話だ。これほどシンプルにして読ませる物語を、著者が健筆を奮った若い頃ではなく初老に近い年齢で書き上げた事に思いを馳せながら、こちらもじっくりと味わうという読み方がいいのかもしれない。
posted by アスラン at 19:21| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月22日

聖女の救済 東野圭吾(2009/5/2読了)

 ご存じ「探偵ガリレオ」シリーズの長編第2作だ。長編第1作は直木賞受賞作である「容疑者Xの献身」であるのは言うまでもないだろう。今回から、テレビシリーズで福山雅治扮するガリレオとコンビを組んだ内海薫が登場する。と思ったら、既にガリレオとは面識があることになっている。ひょっとしたら本作以前に別の短編で登場済みなのかもしれない。と、この書評を書き出した頃には、まだ「ガリレオの苦悩」が図書館で予約待ちだったが、その後入手して読んだのでこちらの短編集で初めて内海刑事が登場していた事がわかった。

 「探偵ガリレオ」ではガリレオの相方は草薙という男の刑事で、湯川とは大学時代からの友人でもあるという設定だ。ところがテレビシリーズでは、柴咲コウ扮する女性刑事・内海薫が毎回湯川学の研究室を訪れるという人物設定が採用された。草薙は警視庁捜査一課に転属になっている。これは女っ気のない原作にテレビ向けのロマンスの一つも持ち込もうというプロデューサーの下心で、これはまんまと当たっている。

 原作でも遅ればせながらテレビシリーズとのギャップを埋めようと、新たに内海刑事を登場させたわけだが、この長編に限って言えば、草薙が相方ではうまくない理由がある。草薙(原作では草薙は転属させずに残している)は犯人役の女性に恋愛感情を抱いて、自分を見失ってしまうからだ。「赤毛のレドメイン家」を読んだばかりなので、まったく趣向が同じなのに驚いてしまった。もちろん内容が全く同じというわけではない。草薙が使いものにならない分、とうぜんながら内海の探偵ぶりが目立つ。テレビでの薫のドジぶりとは違って、本書の内海刑事はなかなかの切れ者だ。そして彼女をバックアップして、草薙の逆走を止めるのはガリレオただ一人だ。

 本書の犯人の犯罪トリックは信じがたいもので、しかもガリレオに言わせると完全犯罪である。このトリックの存在が明かされるときは、なるほど面白いと思ったが、被害者が毒薬で殺された時点で結末が見えてしまった。作者は「赤毛のレドメイン家」のようなミステリー黄金期の作品から、犯人と警察関係者との恋愛感情という趣向を採り入れただけでなく、メインのトリックにもミステリの父であるエドガー・アラン・ポーの「盗まれた手紙」のトリックをうまく応用している。ただし、盛んに目の前に手がかりをぶら下げたからだろうか、さすがに僕でも気づいてしまった。

 読後に思ったのは、長編に仕立てるために恋愛物というオーソドックスな趣向を採用してはいるが、少々間延びしすぎているのではないだろうか。「容疑者Xの献身」では長編にするだけの必然性が内容に伴っていたが、今回の題材に長編に耐えるだけの魅力があるとは思えない。せめて中編ぐらいに納めておけば、いつものように切れ味鋭い作品になったのではないだろうか。ちょっと残念だ。
posted by アスラン at 01:50| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする